93 忌顔の呪い
前回のあらすじ
ヨハンナは人類最強――アルムガルドにシドの抹殺を依頼する。
しかしシドが大規模ダンジョン崩壊の最大の功労者であることを知っており、彼女はその依頼を断固として断るのであった。
「先ほども申し上げた通り、仰る意味がよく分かりませんわ」
ヨハンナは自身のティーカップを手に取って、そしらぬ顔で紅茶を口に含んだ。
「…………話が脱線してますわね。一旦元に戻しましょうか」
「あくまで認めないおつもりですか」
アルムガルドは、正面に座る老婆が何を言おうと、その仕事を請け負うつもりはサラサラなかった。
生来より人殺しを悪と考えてきた彼女は――どんな極悪人であろうと、重傷を負わせることはあっても、命まで取ることはしなかった。
それにシド・ラノルスには借りがある。
A級ダンジョン【藍蘭湖】にて、ダンジョンボスのドロップアイテム【ウィンディーネの涙】を譲り受けた借りが。
つまるところ――人類最強アルムガルド・エルドラドは、市井の殆どの者と違い、シド・ラノルスに対して嫌悪を抱いていないのである。
「では――もしシド・ラノルスの馘を持ってきて下されば、あなたの呪いを解呪する――と言えば?」
「……なに?」
甲冑越しでも、彼女の目の色が変わったのを感じ取ったヨハンナは、畳みかけるように言葉を紡ぐ。
「あなたのことを調べさせて頂きました――《忌避顔の呪い》――あなたがその甲冑を取ることが出来ない原因でしょう」
「驚いた。今まで誰にも告げたことがなかったのに」
《忌避顔の呪い》――昔A級ダンジョンの主、《邪泥竜・ニードヘグ》を討伐した際、邪竜の返り血を浴びたことで発症してしまった呪いである。
呪いを受けた者は、あらゆる人間に忌避され、恨まれ、憎悪と悪意を向けられるという恐ろしい呪い。
ニードヘグそのものも非常に強力な魔物で、先日シドとの共闘で倒したタイタンにも匹敵するドラゴンであったのは、今もアルムガルドの記憶に印象強く残っている。
故にアルムガルドは全身をフルメイルプレートで纏い、その姿を誰にも見せることが出来なくなってしまった。
素顔を見たものは、誰もが彼女に憎悪を向けることになるから。
彼女は誰よりも人類を愛しているのに、誰よりも人のために剣を振るい続けてきたのに。
世界中の人間から例外なく嫌われる呪い――それが《忌避顔の呪い》なのである。
「聖教会の保有する聖遺物があれば、解呪することも不可能ではありません。いかがでしょう――考え直してくださいましたか?」
「…………」
人類最強は何も答えない。
しかし、それが葛藤の沈黙であるとヨハンナは解釈した。
「どうぞじっくりと考えてください――紅茶のおかわりもどうぞ」
ヨハンナは自らの手で、ティーポットに入った残りの紅茶を、空になったアルムガルドのカップに注ぐ。
紅茶を注ぎ終わる前に、アルムガルドは答えた。
「いえ――答えはノーです」
「…………」
――ピシリ。
おかわりを注いだティーポットにヒビが入り、染み出た紅茶がローテーブルに垂れる。
アルムガルドは毅然と態度を変えることはない。
――カチャリ。
アルムガルドは重鎧の金具を外し、甲冑を脱いだ。
兜の中にしまわれていた、長い髪が広がり、誰も見たことのない人類最強の顔が露わになる。
「…………ッ!?」
ヨハンナは構える。
だが――アルムガルドの顔を見ても、ヨハンナは彼女に殺意を抱くことはなかった。
老婆の瞳に映るのは、絶世の美貌を持つ美女。
「既に忌まわしき呪いは解呪されております――まあ、例え解呪に至っておらずとも、ワタシが首を縦に振ることはなかったでしょうが」
「なるほど……それは残念ですわ」
ヨハンナはため息は吐く。
「ではなぜ、あなたは未だに兜で顔を……?」
「自分で言うのも恥ずかしい話ですが、この顔が世の男性の心を乱すことを自覚しておりましてね――しかしワタシには既に射止めるべき男性がおります。興味のない男といらぬやり取りを省略するためにも、この兜は重宝しているのですよ。声も変えられますから」
今度こそ、アルムガルドは離席した。
「人類最強の助力が望めないとなれば、我々も――剣の贄を捧げる必要が出てきましたね…………はぁ、全くもって残念です」
1人に残されたヨハンナは、もう1度――大きなため息を吐くのであった。
「20年前は3人死にました。今回は何人生き残れるか……オズワルド君……やはりわたくしに《聖痕之壱》は荷が重すぎますわ」
《聖痕之弐》を名乗り続ける聖母は、戦友の顔を思い出し、己の命をかける覚悟を決める。
《聖痕之壱》を名乗るより、よっぽど気が楽だと笑いながら。




