72 私のご主人様
前回のあらすじ
物資補給のため、変装して商業都市アーディオンへ侵入するシド一行。
シドは今後の戦いに備え、スキルを獲得することが出来る魔刻印石を購入するのであった。
「早速だが――リンには昼間に買った魔刻印石を飲んで貰う」
「ふぇ?」
宿1階に併設されている飲食店で食事をし、再び部屋に戻った俺とリン。
エカルラートは部屋で留守番しており、長ソファの肘掛けを枕にように頭を乗せながら、昼間まとめ買いしたリンゴを食べていた。
俺はリンの目の前に3つの魔刻印石を取り出す。
それぞれ【ファイアエンチャント】【アイスエンチャント】【サンダーエンチャント】の魔法が刻み込まれている。
「これ、私が使うんですか……?」
魔刻印石を見ながら、きょとんとした顔をするリン。
「俺のせいでリンには何度も危険な目に遭わせてしまった。今後俺が守り切れない場面が出てくるかもしれない。そのために、明日はダンジョンでリンのレベルを上げようと思う」
王宮騎士団による屋敷襲撃や、アニスによる隠れ家襲撃と複数の前例がある。
今後もリンに更なる危険を晒す可能性を考慮し、俺はリンのレベリングをすることを決めた。
名前:リンリン・リングランド
クラス:盗賊
レベル:1
HP:18
MP:10
筋力:3
防御:2
速力:6
器用:5
魔力:2
運値:5
これがリンのステータスだ。
クラスは盗賊――前衛職だ。
しかしレベル1のリンを前衛で戦わせ、リンに怪我をさせる訳にもいかない。
そのために、サポートスキルをリンに覚えさせるべく、魔刻印石を購入したのである。
経験値は魔物を倒すことで得ることが出来る。
しかし――直接魔物に手を下さなくとも、前衛に回復魔法をかけたり、補助魔法をかけたりといったサポート行為が〝魔物を倒すのに一役買った〟と判断されれば、サポーターにも経験値が分配される。
「リンが属性付与魔法で俺の武器を強化する。そして俺が魔物を倒すことで、リンにも経験値が入るという仕組みだ」
これなら安全にリンのレベルを上げることが出来るという寸法だ。
『過保護過ぎる気がするがの』
「(うっせ)」
茶々を入れるエカルラートをてきとうにあしらう。
レベルだけ上げても素の身体能力が伴わなければ、いつか足元を掬われるのは確かだ。
だが、護身の為にとりあえずレベルだけ上げるのだって、有用な手段と言える。
「えと……これ、飲み込むんですか?」
「ちょっとでかい錠剤だと思えばなんとか……ならないか?」
うろたえるリン――確かに気持ちは分かる。
一口団子くらいのサイズがあるし、外見は小石だ。
飲み込むのは抵抗があるだろう。
「大丈夫だ。俺を信じてくれ」
「ご、ご主人様がそういうのなら」
「流石だ。偉いぞリン」
「んくっ!」
リンは俺のコートの裾を掴みながら、もう片方の手で魔刻印石を1つ口に含み、水と一緒に飲み込む。
コートにシワが出来るまで強く握りこみながら、リンは3つある魔刻印石を全て飲み込んだ。
ついでに魔道具屋の店主がおまけにくれた【MP上限突破ポーション】も飲ませる。
「はぁ……はぁ……」
かなりキツかったようで、唇の端から零れた一筋の水が顎まで垂れていて、大きな紫色の瞳も涙目になっている。
「凄いぞリン。頑張ったな」
「えへへ……はい、ご主人様のためですから」
リンの頭を撫でてやる。
リンは幸せそうにはにかみながら、俺に頭を撫でられ続けている。
「ケプッ……あっ……うぅ……」
一気に3つも異物を飲み込んだのが原因か、リンは小さなゲップをしてしまい、恥ずかしそうに俯いた。
俺はそれを聞こえない振りをしながら、リンの頭を撫で続けるのであった。
***
リンの身体に異変が起こったのは、魔刻印石を飲み込んで1時間後のことだった。
「うぐぅ……ご、ご主人様……」
「リン!? 大丈夫か!?」
リンはベッドの上で横になり、苦しそうに顔を歪めている。
「リンは魔法を扱わない盗賊職――にも関わらず一気に3つの魔刻印石を飲み込んだせいで、体内に渦巻く魔力の流れに振り回されておるようじゃな」
リンを診察するエカルラートが答える。
「知ってたなら先に教えてくれよ」
もしそうなら、一度に3つも与えるようなことはしなかった。
「別に死にはせんのだから構わんじゃろう。明日の朝には完全にスキルが定着して痛みもなくなる」
『お前本当そういう所あるよな……』
不死故に――死ぬこと以外かすり傷みたいな価値観。
エカルラート曰く――魔刻印石に刻まれたスキルが肉体に定着するのには半日程かかるとのこと。
その間、俺は付きっきりでリンの看病に努めた。
症状としては発熱に近い。
外傷や怪我ではないため、ウィンディーネの回復魔法は役に立たない。
体温を下げるために額に置いた濡らした手ぬぐいを取り替えたり、身体の汗を拭いたりする。
「リン……俺のミスだ、悪かった」
「はぁはぁ……ご主人様……だ、大丈夫……です、から……私、足手まといに……なりたくない……から」
朦朧としているリンは、うわ言のように言葉を漏らす。
俺を恨むようなことを言ってくれた方が気が楽なのに……。
ゴロゴロと――ここからでも聞き取れるくらい、リンの腹部が鳴る。
胃袋の中で魔刻印石が溶け、リンにとっては膨大とも言える魔力が全身を駆け巡っているのだろう。
――その時、ふと思い出すのは遠い過去の記憶。
まだ奴隷になる前。
シカイ族の集落で畑を耕しながら生活していた時の記憶。
腹を壊したとき、俺の母親は俺のお腹を優しく撫でてくれた。
不思議なことに、母親に撫でられると、痛みが和らいだのを思い出す。
「別にほっといても明日には治ると言っておるじゃろう。自分に厳しい癖して、身内には激甘な奴じゃ」
エカルラートの言葉を無視して、俺はリンのお腹をそっと撫でた。
かつて――母親にそうして貰ったように。
「はぁ、はぁ…………ふぅ」
するとどうだろうか。
若干リンの呼吸が安定してきたように見える。
そのあとも、俺はリンのお腹を撫で、看病を続けた。
夜が深け――リンが眠りにつくまで――ずっと。
***
――翌朝。
リンリン・リングランドは柔らかいベッドの上で目を覚ました。
「ご主人……様……?」
リンのベッドの脇には、椅子に座ったまま眠っているシドの姿がある。
「一晩中……そこにいて、下さったのですね」
毛布の中で、腹部にそっと手を伸ばす。
もう腹痛は完全に治っており、むしろ新たにスキルを獲得したことで、得体の知れないエネルギーで体調が良いくらいだった。
「ご主人様……ありがとうございます……お慕いしております……私の……私だけの……ご主人様」
リンは一晩付きっきりで看病してくれた、愛おしい主の寝顔を見て、目尻に溜まった涙を指で拭うのであった。




