56 ただ苦いだけの液体
前回のあらすじ
シドの前に《聖痕の騎士団》の1人、セルヴァ・アルトゥスが立ちふさがる。
毒霧によって倒れるシドへ、セルヴァの魔の手が迫るのであった。
「もう指一本動かす力も乗っていないだろう? 意識が残っているだけでも大したものだヨ。あとはキミを聖母様の所へ連れていき、真紅の吸血姫と同じ様に《始僧の聖杭》で胸を貫いて貰えば任務完了だヨ」
セルヴァは目や口を通す隙間のない、密閉性のある革マスクを取り出した。
恐らくマスクの中にも毒が充満しており、俺を拘束し続けるマスクなのだろう。
「ボクの【薬師】もキミの【影霊術師】も――スキルに任せて自らは戦わない後衛タイプ。スキルが無力化された後衛はもはや赤子も同然ということサ」
奴は膝をつけて屈み、マスクを付けるため俺の頭に手を伸ばす――――
「――それはどうかな?」
――――その瞬間。
――――斬ッ!
「がはッ!?」
起き上がりざまに振り上げた長剣が、セルヴァの胴を袈裟斬りにする。
セルヴァは慌ててバックステップで俺から距離を取る。
「ごふッ――な、なぜ動けるッ!? 毒耐性があることも踏まえて時間は余分に稼いだはずだヨ……ッ!?」
白衣を血で汚しながらセルヴァは困惑している。
なぜコイツは動けるんだ? ――と。
「悪ィな。この肉体は既に死んでいて人体としての機能は残ってねェんだ。筋肉が麻痺しようと神経が狂おうと関係ねェ。言ってしまえば――俺に毒は効かねぇ」
格好つけてそういったが、実は不死になり覚醒してから毒にかかったのはこれが初めてだ。
しかし俺の予想通り、この肉体は毒に侵されないことが分かった。
だがセルヴァを油断させるため、あえて毒にかかった演技をしたという訳だ。
わざわざ舌を嚙みちぎって吐血した振りまでしてな。
「想定外だヨッ! 【薬液生成】ッ!」
セルヴァはスキルを発動させる。
手が輝き、無から薬品で満たされた瓶が出現してセルヴァの手に収まった。
これがMPと引き換えにポーションを生成するスキルか。
「させるかよッ!」
――ビュンッ!
ヴァナルガンドから取り出した投擲ナイフがセルヴァの腕を切り裂く。
筋が切れたことで腕に力が入らなくなり、セルヴァはポーションの入った瓶を落とす。
「残念だヨ……悪いねカイネ……先に逝く……ヨ」
「テメェに敗因があるとすれば、素の身体能力を鍛えなかったことだな。もっと外で運動しろ――モヤシ野郎」
――斬ッ!
一足飛びで距離を詰め、長剣による斬撃。
セルヴァの首は宙を舞い、HPが0になる。
「確かに俺もお前もスキル構成は後衛タイプかもしれねェが、だからって毒霧ばっか頼ってるから、こういう時に動けなくなって負けるんだ」
俺の反射神経であれば、先ほどのうつ伏せからの袈裟斬りも、回避するか武器で受け止められただろう。
ステータスに頼らず素の身体能力や反射神経を鍛えていて良かった。
デュラハン師匠にも感謝。
「クカカ――見事な演技じゃったぞ」
勝負を終えてエカルラートが出てくる。
最悪俺の肉体が本当に毒で動けなくなり、スキルが使えなくなっても、エカルラートは吸血鬼の能力で俺の影の中にいるので、コイツだけは動けた訳だ。
にも関わらず決着がつくまで出てこなかったということは、それだけ俺のことを信用していたからだろう。
「して――この後はどうするのじゃ?」
「今日はもういいや。帰ろう」
「死体はそのままにするのか? ダンジョンを攻略してこやつの死体を処理した方が良いかと思うが?」
「いや、むしろ放置した方が都合がいい。これは宣戦布告だ。聖教会は俺に喧嘩を売った。俺はそれを買った。こからは本気の殺し合い――それを知らしめるために、わざと死体は放置しておく」
「もう後には引けぬという事じゃな?」
「そういうこった」
このままコソコソ隠れながら生活していても、いつかはアジトが見つかりリンが戦いに巻き込まれる可能性がある。
だったら、こうしてダンジョンで迎え撃たれた方が俺としても都合がいい。
「じゃったら死霊操術でこやつの死体を【大聖堂】まで送り返してやるのはどうじゃ?」
「悪趣味過ぎるだろ……!!」
「最後は体内に仕掛けた爆弾で“ボン”じゃ」
俺も不老不死となってコイツと同じ種族になり、感覚が麻痺してきたけど、時たま見せる凄惨な思考には付いていけないんだよな……。
「で――その《聖痕の騎士団》って奴らはあと何人いるんだ?」
本当に死体に爆弾を仕掛けかねないので、無理やり話題を逸らす。
セルヴァという聖職者は自分のことを《聖痕之伍》と名乗っていた。
つまり最低でもあと4人はいると見ていいだろう。
「《聖痕の騎士団》の定員は常に7人と決まっている。《聖痕之壱》――オズワルド・ワイデンライヒは妾と相打ちになり死亡。じゃが補充はされておらぬ。一方シドが殺した勇者パーティの1人、《聖痕之漆》――リリアム・モースの方は既に後釜が補充されておる」
つまりオズワルドの爺さんとさっき殺したセルヴァが減って――あと5人ってことか。
「流石の聖教会も、最高戦力が根こそぎやられたら手を引かざるを得ないだろう。とりあえずの目標は《聖痕の騎士団》の殲滅だな」
俺の故郷は聖教会のせいで焼き滅ばされたが、聖教会の奴らが全員極悪人という訳ではない。
中にはフローレンスのような善良な信徒も多数いるはずだ。
奴らは上からの命令でシカイ族狩りを行っていただけだ。
だから最終的な目標は――聖教会のトップである教皇と最高幹部である枢機卿団を全滅――って所で手打ちとしよう。
「それはそれとして――毒が利かないってことはアルコールもカフェインも効果ないってことだよな……? やっぱ今まで場の空気で酔ってたのか……」
生身の肉体の時はコーヒーも酒も飲んだことなかったから気付かなかった。
俺はこれからどんな気持ちでコーヒーを飲めばいいんだ……。
***
ヴァナルガンドでリンの待つゴブリンの森に帰還する。
「あっ! ご主人様! おかえりなさいませ!」
「ただいまリン。変わりなかったか?」
「はい、いつも通りでした!」
ログハウスに帰宅すると、リンがパタパタと駆けてきて俺からロングコートを預かる。
護衛として置いていったゴブリンロードの反応を見るに、異常はなかったみたいだ。
やはり聖教会は俺の移動先までは把握していても、アジトであるこの場所は特定できていない様子。
もうしばらくはここでスローライフを送れそうだ。
「ご主人様、コーヒーをお淹れしました」
「ん、あ、ああ……ありがとう」
俺は帰宅するとまずコーヒーを飲む習慣をつけている。
リンは言われなくてもコーヒーを淹れてくれるのだが……俺の肉体は既にカフェインが効果なしというネタバレを食らってしまった。
果たして――俺はコーヒーを飲む。
ただ苦いだけの液体。
でも、それは不思議と心を落ち着かせてくれた。
ああ、そういうことか。
「ご主人様? どうかなさいました? もしかして、お口に合いませんでしたか?」
「いや、むしろ逆だよ。今日も美味しいよ――リン」
リンの紫色の髪をそっと撫でる。
リンは困惑しながらも、嬉しそうにはにかんで上目遣いで俺を見つめる。
俺がコーヒーを好む理由。
それはきっと、リンが俺のために丁寧にコーヒーを淹れてくれていたからだ。
この肉体は既に死んでいる。
無限に再生し続けるだけの腐肉に過ぎない。
でも――感情は確かに残っている。
だから、きっと俺はこれからもコーヒーを飲み続ける。
リンが俺のために淹れてくれる限り。
それは俺にも効く、とても苦くて――優しい毒だ。
***
シドがダンジョンを後にし、無人となったダンジョンにて。
――コツ、コツ、コツ。
足音。
散布された毒が薄れてきた回廊。
セルヴァの死体の前に、紫髪の少女――ラギウ族が歩み寄る。
「…………」
「《聖痕之伍》――本物だね」
死体を前にして、無言を貫く少女。
その少女の後ろにいるシカイ族の男が声をあげる。
ラギウ族とシカイ族、少数部族という共通点こそあれど、珍しい組み合わせの2人組。
「ルゥ――死体をこちらに」
「…………」
少女はセルヴァの死体を持ち上げ、後ろに控える男に差し出した。
男は死体に手を伸ばし触れ、唱えた――
「【死霊操術】」
***
――数時間後。
――聖教会が誇る総本山、通称【大聖堂】。
《聖痕之肆》――カイネ・カイウェル。
全身に包帯を巻き付け、革のコートと深く被った革の帽子姿の聖騎士は、大聖堂の正門前に姿を見せた。
「…………セルヴァ、なのか?」
抹殺対象であるシド・ラノルスの討伐に向かったセルヴァ・アルトゥスが帰還したものも、様相がおかしいとの報告を受け、他の《聖痕の騎士団》は出払っていたため、カイネが対応した次第であった。
しかしカイネは、変わり果てた旧知の姿を見て声を失った。
「ズッ……ズマナイ……ゼルヴァ……先ニ……逝ク」
セルヴァの肌は死体のように変色していた――否、実際に死体であった。
シカイ族のスキルで死体を操られ、切断された首は粗末な縫合で無理やり繋げられており、その傷跡が痛々しい。
――ボンッ!
――ビチャ!
セルヴァの死体が爆発した!
体内に仕込まれていた爆弾が炸裂し――血が、体液が、臓物が――カイネの身体に飛び散る。
「…………ッ!?」
上半身の大半を失ったセルヴァは、糸の切れたマリオネットのように頽れた。
カイネは包帯の奥で歯を噛みしめ、両拳を強く握りしめる。
「ラノルスめ……ッ! 死霊操術で魂を穢しただけに飽き足らず、死者を弄ぶ外道めが――貴様は必ず、俺がこの手で葬りさる……ッ!」




