38 束の間の平穏な日々
奴隷の少女改め、リンリン・リングランドには屋敷の管理及び、俺とエカルラートの身の回りの世話をする仕事を任命した。
ちなみにラギウ族は同じ音を2度繰り返す名前を付ける風習があり、かつ親しい者は音を繰り返さず呼ぶらしく、俺もエカルラートも彼女のことを〝リン〟と呼ぶことにした。
「(勇者パーティのルゥルゥのことも、ルゥと呼ぶ親しい者がいるのかもしれないな……)」
リンは複数の主の元で奴隷をした末、最終的に再び奴隷商人に売られたらしい
そのためか掃除や洗濯、料理といったスキルは既に一通り身に着けており、かつよく働く子だった。
「ご主人様、コーヒーを淹れました。エカルラート様にはお紅茶を」
「うむ、苦しゅうないぞ、リン」
「ありがとな……で、なんでメイド服なんだ?」
「妾の趣味じゃ。可愛いじゃろう?」
リンはエカルラートの指示でメイド服を着ていた。
貴族の屋敷で働いてそうな白と黒のスタンダードなメイド服だが、スカートの丈が短すぎるような気もする。
黒いロングコートもエカルラートが選んだものだし、この吸血鬼は他人を着飾るのが趣味なのかもしれない。
「ご、ご主人様、似合ってますでしょうか? お目汚しにならないと良いのですが……」
「まぁ、似合ってるよ」
「そ、そうですか……へへっ……ありがとうございますっ」
リンは嬉しそうにはにかみ、ぱたぱたと駆けていくと庭仕事を始めた。
コーヒーを飲みながら、窓越しにリンを観察する。
花壇にも花やハーブが植えられ、殺風景な屋敷もいくばくかマシになり、少なくとも幽霊屋敷などとは呼ばれない程度には華やかになったと思う。
「しかしまぁ、随分と見違えたのゥ。花のように可憐な乙女じゃ。妾程じゃないがの」
十分な栄養を与え、衛生的な環境で生活を送ったリンは――見違える様な美少女になっていた。
ラギウ族の顔立ちは整っている者が多く、肌の色にさえ嫌悪感を抱かなければ、白い肌を持つ標準的な王国民からも好かれやすい傾向にある。
故に出稼ぎとして娼婦として働いたり……奴隷として子供を売るという事がよくある。
「古物屋で気まぐれに購入した石を割ったら宝石が出てきた気分じゃな。それをたったの200万Gで手放すとは奴隷商人も見る目がなかったのゥ」
「お前も俺がリンを買おうとしたとき散々止めただろうが」
コーヒーを啜りながら軽口を叩きあう。
「シド、その泥本当にうまいと思って飲んでおるのか?」
「少なくとも紅茶よりは好きだな」
「どうやら五感の内味覚は元に戻らなかったようじゃの」
隣に座るエカルラートも、リンが淹れた紅茶を飲みながらリンを眺めていた。
嗜好品の類は影霊術師になってから嗜むようになったが、俺はコーヒー派なのに対してエカルラートは紅茶派だった。
「して――リンがここにきてもう2週間になるが、どうじゃ?」
「どうとは、どういう意味だ?」
「そのままの意味じゃ」
「まぁ――助けて良かったと思ってるよ。確かにリンはシカイ族ではないが、そんなことは関係なかった」
確かに当初――リンがシカイ族ではなくラギウ族だと知った時、がっかりしたと思わなかったと言えば――嘘になる。
でも――俺が本当に欲していたのは、同族の人間ではなかったことを、リンを手元に置いてから気付いた。
リンが一生懸命仕事をし、楽しそうに庭いじりをし、彼女の作った料理を食べて俺が「うまい」と言うと、彼女は幸せそうに笑う。
そしてリンもまた色んな物を食べ、柔らかいベッドで眠り、仲間と言える者と共に暮らし、少しずつ心に刻まれた傷を癒していく。
そんな姿を見ていると、俺が本来欲しかった幸せとはこういうのだったのだと――彼女を通して気付かされた。
「俺は既に死体で、不死だ。普通の人間として生きていくことは出来ない。でも、俺と同じ奴隷の子供が幸せそうにしていると……俺も少し、幸せな気持ちになれる。止まった心臓が温かくなるのを感じる」
「なんじゃ感傷にふけって……キモいこと言うのゥ」
「お前が聞いてきたんだろうが……ッ!」
エカルラートはカラカラと笑う。
リンが来てから、エカルラートもなんだか楽しそうだ。
奴隷を買うのに反対したり、リンを助けるのに理由を求めたりと、リンに否定的だったのが嘘のようだ。
「ご主人様、お夕飯の買い出しにいこうと思うのですが、ご希望の献立はございますか?」
庭仕事を終えたリンが戻ってくる。
「ビーフシチューが良いの。リンの作るビーフシチューは絶品じゃ」
「本当ですか? そう言って下さると嬉しいです。飲食店で奴隷をしていた経験が、このような形で生かされて嬉しいです……あの、ご主人様は?」
「俺もビーフシチューでいいよ。買い出しに付き合おうか?」
「いえっ! 私だけで問題ありません!」
リンはメイド服のまま、買い出しに出かける。
その首にはまだ、奴隷の首輪が巻き付けられたままだ。
俺は取ってやりたいと思っているが、リンが頑なにそれを拒否している。
「ま、本人がそれで良いなら、構わんか」
いつかその傷が完全に癒えたと判断したとき、もう一度彼女に聞くことにしよう。
俺は欲していた普通の幸せを手に入れる前に死んでしまい、不死となり、復讐鬼となってしまった。
代わりに、彼女に俺が求めていた幸せを享受してもらうことで、間接的に救いを求めてしまっているのだ。
そうして――彼女の首から奴隷の首輪が取れたとき、本当の意味で俺は救われるのかもしれない。
「それが、俺が彼女を助けた理由だ」
「後から気付いた癖によく言うわい」
***
――リンが屋敷に来てから1月が経過した。
リンは本当に器用で、大抵のことは何でもできた。
俺は相変わらずダンジョンでレベル上げと魔石集めを繰り返す日々だが、裁縫の心得もあるリンが、戦いで破けたロングコートの補修もしてくれている。
今まではボロボロになるたびに新品のロングコート買い直していたのだが、捨てずにとっておいたロングコートも綺麗に補修され、現在屋敷のクローゼットには似たデザインのロングコートが3着もある。
もし外部の人間がクローゼットを見たら、俺のことをロングコート大好き人間だと思うことだろう(実際はエカルラートの趣味なのだが)。
花壇に植えた花もちらほらと開花して、ハーブも収穫可能なまでに育ってきた。
とても穏やかな一ヶ月だった。
しかし――俺が本当の平穏を手に入れるには、まだすべきことが残っている。
「ご主人様、朝刊を持ってまいりました」
「ありがとう」
朝のコーヒーと共に、リンが新聞を持ってくる。
1面の見出しを見て、口元に持っていこうとしていたコーヒーカップを止めた。
――勇者パーティ、ついにS級ダンジョン完全攻略に挑む!
――第二王子であるシルヴァン・レングナード殿下率いる勇者パーティ蒼剣の団は、S級ダンジョン【緋宵月】の完全攻略を目指すことを決めたと記者からのインタビューに答えた。
――今までは慎重を期して20階層で攻略で止まっていたのだが、人類初のS級ダンジョン攻略の兆しが見えたことで、国民は勇者パーティへの期待が高まっている。
――王宮並びに聖教会も勇者パーティへの支援は惜しまない姿勢であり、次の遠征で緋宵月が完全攻略されるのはほぼ確実と言われている。
「勇者パーティ……」
こいつらを殺すまでは、俺に本当の平穏は訪れない。
でも――俺はこの日を待っていたのだ。
勇者パーティがS級ダンジョン【緋宵月】に潜るのを。
ダンジョンの中なら目撃者に見られる心配もなく、何よりあのダンジョンの構造は奴隷時代にマッピングしていたので誰よりも熟知している。
復讐決行は奴らが緋宵月に潜るときは以前から決めていた。
そのためにヴァナルガンドを仲間にした際も、ダンジョンコアを回収せずに未クリアのまま放置していたのだ。
「待ってろよ……クズ野郎共」
くしゃりと、手の中で新聞に印刷された勇者パーティの写真が潰れる。
奴らの未来を暗示するように。




