167 ルゥルゥ・ジンジャー
次回最終回です!
光を羨み
影を纏う我等
希望を求めて
暗闇の中で
永遠に彷徨う
***
――真っ暗だ。
何も見えない。
右も左も。
上も下も。
果てしない黒が続いており、壁と床の区別もつかず、気付かずに壁に衝突してしまいそうだと――ルゥルゥは思った。
「(いや――そもそも、この空間、五大魔公の一柱、《悠久》を司る呑みくだすヴァナルガンドの胃袋の中に、〝果て〟という概念があるのかすら疑わしい)」
不思議な感覚の床を踏みしめ、ルゥルゥは進む。
そして――見つけた。
「…………」
リンにとってのシドがそうであるように。
ルゥルゥにとって己の全てを捧げるに値する――大切な人。
たった一人の家族。
ソブラがそこにいた。
彼はヴァナルガンドの奥深くで、あぐらをかいた体勢で座り込んでおり、その瞳は虚ろで精気が宿っていない。
アーカーシャに触れたことで、森羅万象の理を余すことなく脳味噌に流し込まれ――廃人と化していた。
ルゥルゥが目の前にいるにも関わらず、気付いていないようで、時たま――
「あぁ……」
「うぅ……」
――と、ゾンビのような声を漏らすのみ。
「…………」
そんなソブラの隣に、寄り添うようにルゥルゥは座り込み、ソブラの手の上に自らの手を重ねた。
「……あぁ……ル……ルゥ……?」
「ッ!」
その時、廃人と化し、考える能力どころか、五感の全てが消失したとソブラの口から、自らを呼ぶ声が漏れる。
「はい……私です」
その言葉を聞き、ルゥルゥもまた――普段は閉ざしている言葉を紡ぐ。
「どう……して……」
「あなたのいない世界など、ありえません。ですが……あなたがいる世界なら、それはたとえ、何処であろうと、私にとっては、天国です」
ルゥルゥはソブラに笑顔を向ける。
それは――親に甘える小さな子供のように無邪気で、初恋の相手に向ける乙女のように純粋な。
「例えあなたが、何をしようと、私はあなたのそばにいますから。だってあなたは……私の、たった1人の、家族、ですから」
ソブラに重ねた指を動かし、指と指を絡める。
そうしてルゥルゥはソブラの肩に頭を乗せてよりかかる。
ソブラもまた、ルゥルゥの方へ身体を傾けた。
お互いがお互いを支えあうように。
これまでそうしてきたように。
これからもそうであるように。
「ほら、あなたが欲しかった世界ですよ。私とあなただけの世界。広くて真っ黒な、なにもない世界。なんにもないけど、私がいます。だから、なんなりとご命令を」
ソブラはしばらく無言を貫く。
やはりもう会話もままならない。
そう諦めたルゥルゥであったが――
「…………ずっと…………隣に…………ルゥ」
――廃人状態のソブラにとって、これは思考の末に出た言葉ではなく、反射的に漏れた言葉。
会話が成立したことさえ奇跡であると同時に――こんな状態になってもなお出てくる、ソブラの根本にある願い。
その言葉のあと、ソブラは二度と意味のある言葉を吐かなくなる。
最後の命令を聞いたルゥルゥは、普段の無表情を氷解させ――微笑む。
「はい――仰せのままに」
***
「ああ……そこに、誰かいるのか?」
「…………」
「すまない、誰かは知らないけれど……水を一杯、貰えるだろうか?」
「…………」
「おお、ありがとう……わざわざ飲ませてくれたんだね。返事がないから、無視されてどこかに行ってしまったのかと不安に思ってたんだよ。うん、生き返る。どんな高価な酒や果汁よりも、今飲んだ水が一番美味しいよ」
「…………」
「ああ……ようやっと目が治ってきたよ。改めてありがとう、優しくて可愛いお嬢さん。君の名前を教えて貰っていいかな?」
「…………」
「はは……君はクールだね。僕好みの女の子だ」
「…………」
「よく見れば、傷だらけで随分と酷い恰好じゃないか。ま、僕も人のこと言えないか。そうだ、その傷、回復魔法で治して――ああいや、アイツは影門で使っちゃったんだった」
「…………」
「ははは。よっこらせ――お゛ッ!? ダメだ、身体が殆ど動かない。生まれつき口はいくらでも動くのに。《聖痕の騎士団》の奴等め、全くもって容赦がない」
「…………」
「ああ、すまないね……身体を支えてくれて。君のスレンダーな体躯では、僕の体はいささか重たいだろう? いや、四肢も2つ欠けてるし臓器も結構なくしたし減量成功しちゃったかな?」
「…………」
「綺麗な……紫の瞳だ」
「…………」
「ありがと、見ず知らずの行き倒れなんかに優しくしてくれて」
「やっと見つけた! おいルゥルゥ! いつまでサボってんだ! まだ今日のノルマ達成してねェだろ! テメェに出来ることなんかロリコン相手に股開くことくらいだろうが! 誰のおかげで生きていられると思ってんだ!?」
「うう……ボロボロの身体に響く不快な声だ。君の親御さんかな? ――うん? 違う? でも、保護者的な存在なのかな?」
「なんだその行き倒れはよ? どうせ追剥ぐようなもん持ってねェ浮浪者だろ。こんな奴の相手してんじゃねェ殺すぞ!」
「…………ッ!?」
「ちょっとそこのお兄さん……こんな小さな子を殴りつけるのは、いささか可哀想じゃありませんかね?」
「あぁ!? 俺がコイツに何しようが勝手だろうが! そもそもテメェはなんなんだよ。ぶっ殺すぞ!」
「悪いがこの子は、僕の恩人でね――義理は返すタイプなんだ」
「はぁ? あ? え? ……うわああっ!? なんだそのバケモノはっ!? うぎゃああああっっっっ!?!?」
「…………」
「大丈夫かい? お嬢さん――ああ、良かった、平気そうだ……ん? ああすまない、この男、殺してしまったよ、もしかして、不味かったかな?」
「ッ! ッ! ッ!」
「ははは……これは驚いた。死体とはいえ、容赦なく人間にナイフを何度も突き刺せる子供はそうそういないよ。この男とどういう関係かは知らないけれど、相当恨みが溜まっていたらしいね――そっか、君も僕と同じなんだ」
「…………」
「その憎しみで満たされた瞳も――綺麗だ」
「…………」
「僕と一緒に来るかい?」
「…………」
「そっか、ありがとね――あの男が呼んでたけど、君の名前はルゥルゥって言うんだね」
「…………」
「僕の名前はね――ソブラ。ソブラ・ジンジャー。今日から君は僕の家族だ。だから君の名前は今日から――ルゥルゥ・ジンジャーだよ」




