137 聖女――フローレンス・キューティクル
影霊操術――ソブラが王都を掌握し、魔霧に包まれて10年が経過した。
夜の帳が降り、星々が煌めく時間帯。
「やはりここ最近影霊の活動が活発化しています……そろそろ魔霧周辺の村人を避難させるべきですが……受け入れ可能な村はもう……」
ランタンの光が、長く艶やかな金髪に縁どられた白い肌を照らす。
22歳になったフローレンス・キューティクルは、聖火隊総長室のデスクで、各地から送られてきた報告書を読んで頭を悩ませていた。
――聖火隊。
10年前にフロウが立ち上げた、対影霊特別攻撃部隊。
ソブラは王宮と聖教会を壊滅させ、王都を完全に掌握すると、クルルカンのあらゆる物質を創造する能力を使い、王都を濃霧に包み込んだ。
そしてその霧は少しずつ浸食し、今や王都周辺の農村の殆どが影霊が闊歩する魔霧に飲まれた。
そんな影霊から人々から守るために設立したのが、フロウが総長を務める聖火隊という組織であった。
《聖痕の騎士団》はシドとの戦いでフロウを除き戦死し、王宮騎士団もソブラの影霊の前に、ろくな抵抗も出来ずに壊滅した。
国営組織である冒険者協会も機能を失い、魔石を買い取る機関がなくなったため、冒険者の殆どが傭兵や野盗などの荒くれ稼業に下ってしまった。
そのためかつては厳格に管理されていたダンジョンも放置され、ダンジョン崩壊を起こして地上に大量の魔物が溢れ、生態系も10年前と大きく変わっている。
大陸の領地を治める地方貴族も、王朝が滅びたことで反旗を翻した。
大陸のあちこちで、領主同士が合戦を起こし――人と人が争う始末。
人と人が手を取り合わなければならない時代にも関わらず、人同士で争っている貴族が王朝を築いたとしても、まっとうな政治が出来るとは到底思えないが……。
暴力と悪意に支配され、奪わなければ奪われる修羅の時代。
だが――そんな時代でも弱者を救い、影霊の侵略に抵抗し、王都を奪還せんと集まったのが聖火隊であった。
聖火隊は王都から数十キロ離れた箇所にある、まだ大陸が統一されていなかった時代に築かれた砦を拠点としている。
そこでフロウは日々影霊を狩り、魔霧近隣の村々を巡回し、時に励まし、説教を行い混沌の時代こそ善性を持つべきだと訴え、子供には勉学を、大人には魔物と戦う手段を教えてきた。
また貴族同士の侵略戦争によって、無辜の民が戦火に晒されないよう、貴族間の間に入って調停を試みたり、存命している唯一の枢機卿として聖教会の運営も担っている。
フロウがいなければ、人類は影霊に滅ぼされる前に、人同士の戦争で滅んでいただろう。
「ですので、ここで私が倒れる訳には参りません……シドさんもまた、ソブラを倒すために頑張ってくださっているのですから……」
脳裏にシドの顔を思い浮かべながら、フロウは己に発破をかけ、溜まっている雑務に取り掛かった。
その時。
――コンコン。
扉がノックされる。
「どうぞ」
「失礼しますフロウ様」
「スキア君ですか。おかえりなさい」
フロウは信頼している部下の顔を見て、安心したように顔を綻ばせた。
入室したのは10代半ばのシカイ族の青年。
細身で中性的な顔立ちだが、その体は筋肉で鍛えられ引き締まっており、手には研鑽が伺える無数のまめが出来ている、剣士の手だった。
スキア・レッドビー。
聖火隊副隊長を務めるシカイ族の青年。
かつては奴隷であったが、持ち主に捨てられ路頭に迷っていた際にフロウに保護され、フロウの孤児院に引き取られた経歴があり、フロウに絶対の忠誠心を誓っている剣士である。
「魔霧領域ですが、やはり500メートル程範囲が広がっておりました。このままでは近隣の村が呑まれるのも時間の問題かと」
「やはりですか……」
ソブラはやろうと思えば、とっくに大陸を完全に支配できたであろう。
だが彼はまるで己を神か魔王に見立て、人類が抵抗する様を見て楽しんでいるように見える。
そして無言で訴えるのだ。
五大魔公を所持するシド・ラノルスを寄越せ――と。
そのためシドは10年前を最後に、姿を消した。
ソブラが五大魔公を全て手に入れれば、本当に世界が滅んでしまうから。
「また大陸北部で崩壊したA級ダンジョンですが、こちらはアルムガルド副隊長が魔物を殲滅。街への被害は殆どなかったとのことです。詳細はこちらの報告書にまとめてあります、お目通しください」
「調査ご苦労様でした。お茶を淹れますね――きゃッ!?」
「フロウ様ッ!?」
デスクから立ち上がったフロウだが、心労が祟って立ち眩みを起こしてしまった。
今日も近隣の村に影霊の襲撃があり、なんとか撃退したものの、肉体的精神的な疲労がかなり蓄積していた。
倒れ込むフロウの体を、俊敏な動きで前に出たスキアが支える。
「ありがとうございますスキア君。いつの間にか随分と逞しくなりましたね」
「フロウ様は、随分と体重が軽くなってしまったようにみえます。もっとご自愛ください」
「私のことは平気です。魔霧と貴族間の戦争で農地はどんどん少なくなり、魔物の活動領域も増えて墾田可能な土地も殆どありません。罪のない人々がお腹を空かせているのに、私だけお腹を満たせるはずがありませんから」
「あなたが倒れたら守るべき人類は滅びます」
「でも私はスキア君やアルムガルドさんと違い、近接戦闘タイプではないので、食事は必要最低限だけで大丈夫ですから」
「フロウ様……」
「そんな泣きそうな顔をしないでください。その代わりお茶を沢山飲んでますから」
フロウの回復魔法はこの10年で急速に成長し、様々な応用が利くようになっている。
茶畑に回復魔法を施すことで、収穫物に疲労回復効果を増強する効果を与えたり、農地に栄養を与えて農地面積に対して作物の収穫量を増量させる効果を付与出来るようになっている。
そのためフロウは各農村を巡礼しては、農地に回復効果を施す活動も行っている。
こうして活動により食料生産量を維持し、民からは信仰されている。
王家が滅び貴族同士で争っている現在、フロウの存在こそが、人類が明日を生きるための希望の糧であるのであった。
「私よりもスキア君の方が心配ですよ。スキア君がいなければ、影霊を倒すことは出来ないのですから」
「ですが……」
スキアは他のシカイ族と同様、クラスは死霊術師である。
本来であれば死体を操作するスキルしか習得できないクラスであるが、大量の影霊を消滅させたことで【影烈斬】という攻撃スキルを習得した。
影霊とは消滅させても、術者がMPを消費することで何度でも蘇る性質を持つ。
だが【影烈斬】でトドメを刺した場合、影霊を完全に滅殺することが出来る。
スキアは対影霊戦において、なくてはならない存在であった。
聖火隊副隊長であるスキアが影霊を完全に殺すことが出来るのは民衆からも周知されている。
危険を顧みず最前線で戦い続けているスキアによって、低迷していたシカイ族の地位も向上していた。
「期待していますよ、スキア君」
「はい。ご期待にそえるよう、今後も尽力します。そして、オレが必ず――――諸悪の根源シド・ラノルスを殺します」
「…………そう、ですね」
シドの名前が上がり、フロウは胸が締め付けられるのを感じた。
王家を滅ぼし王都を掌握し、人々を襲う影霊を操っているのはソブラである。
だが――そのことを知る人物は、聖火隊の中でも殆どいない。
世間では影の魔王はこう呼ばれている――シド・ラノルス、と。
シドは大聖堂を襲撃して枢機卿団と教皇を殺害した。
その悪行は、大聖堂を脱出した聖職者によって大陸各地に広められ、今やそれを訂正することは不可能な状況になっている。
フロウは胸を痛めながらも、これ以上世間を混乱させる訳にもいかず、その事実を胸に秘めざるを得なかった。
「(シドさん――あなたは今も、ソブラを倒す力を手に入れるために戦っているはずです。誰からも賞賛されず、むしろ世界中の人々から悪意を向けられているにも関わらず、それでも――我々の為に)」
フロウは窓から見える夜空を見上げた。
この広い空のどこかにいるであろう、本当の英雄の姿を思い浮かべて。
・10年後の世界について。
(今回の話の要約なので読まなくても構いません。逆に本編を流し読みの方は読むのをオススメします)
ソブラ、王都を乗っ取り濃霧に包み込む。
ソブラの目的は五大魔公を全て手に入れることだが、ヴァナルガンドの異空間に身を隠しているシドの居場所をソブラは特定することが出来ない。
故に誘き出すために人々を襲っている。
濃霧は少しずつ広がり人類の活動領域を狭めており、ソブラが使役する影霊が人々を襲っている。
それに対抗するために作られたのが聖火隊。
聖騎士の生き残り以外にも、影霊に対抗するために集まった冒険者も加入している。
人類最強、アルムガルド・エルドラドも聖火隊に入っており、主に地方の魔物討伐を担当している。
フロウは影霊と戦うと同時に、村々を巡回して村人の傷や病を治したり、畑に回復魔法を施して肥沃にしたり、勉強や魔物と戦う術、そして聖典の内容を教えながら、人々に生きる希望を与えて回っている。
また大陸の各諸侯との政治的やり取りにも介入している。
王室が滅びたことで野心を抱き、他領地に侵略行為を行う領主間の紛争の仲裁なども行っている。
フロウ「やることが……やることが多い……!!」
あとがき2
今回のAIイラストは前回初登場した新キャラ、スキア君です。
スキア君はフロウが運営していた孤児院出身のシカイ族で現在19歳。
実は58話に少しだけ登場しています。
中性的な美少年です。




