136 聖女様と黒い騎士
「影霊だわ!! みんな! 影霊がきたわよッッ!!」
お母さんは村中を走って、黒い魔物が近づいていることを知らせた。
農作業をしていた大人たちも、全員が血相を変えて村まで戻ってくると、武器をとって黒い魔物を迎撃する準備をした。
子供と女は村で一番頑丈な建物である礼拝堂(聖女様が勉強を教えてくれる場所)へ避難させられる。
まだ大人になったばかりの十代の男達も、礼拝堂を守るために、わたしたちと一緒にいるけれど、女性たち同様に怯えているように見えた。
「大丈夫よ、大丈夫だからね」
礼拝堂の入口には、机とかテーブルとか箱とかを積み立てて魔物が入ってこれないようにして、がらんどうになった礼拝堂で、お母さんはわたしを強く抱きしめた。
やがて村に魔物が到達する。
礼拝堂の外からは、大人たちが戦う声や、魔法が衝突する音、魔物の叫び声が聞こえてくる。
魔物なんか怖くないと思っていたわたしだけれども、戦いの音が大きくなるにつれて、どんどん怖くなってきた。
――ドンッ! ドンッ! ドンッ!
「ひぃ!?」
魔物が礼拝堂の扉を叩く音が聞こえた頃には、恐ろしさのあまりに泣き出しそうになってしまった。
お父さんは大丈夫かな……?
「神様どうか我らをお救いください! どうかお願いします!」
大人の男たちは扉が壊されないようにバリケードを押し支えていて、女たちは唯一バリケードの素材に使われなかった聖女像に必死にお祈りをしていて、わたしを含めた子供達はすすり泣いていた。
――バンッ!!
「くそッ!! 影霊が入ってきたぞッ!!」
ついにバリケードが壊される。
『『『『グオオオオオオオオッッッッ!!!!』』』』
沢山の魔物の咆哮が重なって、ビリビリと体が痺れる。
耳だけじゃなくて、体全体が震えて、それだけで心臓をぎゅうと掴まれたかのような恐ろしい気持ちになった。
「引くな! 戦えー!」
「ダメだ! 強すぎるッ!?」
『グオオオオオオオオッッ!!』
魔物は人間と同じ形をしていたけれど、背丈は2メートルくらいあって、大人たちは次々とやられていく。
「危ないッ!!」
「お母さんッ!?」
――ガンッ!!
戦闘の最中、バリケードの残骸が飛んでくる。
いち早くそれに気付いたお母さんに、覆いかぶさるように抱きしめられた。
「お母さん……?」
残骸がお母さんに衝突し、わたしを抱きしめる力が弱くなるかわりに、お母さんの体重が重くのしかかってきた。
「お母さん? お母さん!?」
わたしの代わりに、残骸がぶつかったお母さんの頭からは血が出ていた。
『グルルルルッ』
「ひぃ!?」
影が落ちてくる。
顔をあげれば、大きな剣を持った魔物がすぐそこに来ていた。
全身は影みたいに真っ黒だけど、目の部分だけがゆらめく青い炎みたいだと思った。
「やだッ!!」
『グロオオオオッ!!』
魔物はわたしの身長より大きな剣を振りかざし、わたしとお母さんをまとめて殺そうとしてくる。
もうダメだ――そう思ったとき。
「【ソードバッシュ】!」
――キィィンッ!!
金属同士が擦れる音が響いた。
力強く打ち込んだ剣と剣が衝突する剣響。
大人になったばかりの男たちが持っている剣は、こんな綺麗な音は鳴っていなかった。
「お兄さん……誰……?」
最初に目に入ったのは、剣と天秤のエンブレム。
わたしの目の前に、珍しい黒い髪のお兄さんがいた。
そのお兄さんの剣が、魔物の剣を弾いたらしい。
この村の住民は50人程度で、全員の顔も名前も知っている。
でも、今わたしの前にいるお兄さんの顔を、わたしは知らない。
「聖火隊だ! 遅くなってすまない!!」
聖火隊。
霧の中にいる黒い魔物と戦ってくれている、聖女様の仲間達。
『グオオオオオオッ!!』
黒髪のお兄さんはまだ10代くらいに見えるくらい若くて、男の大人にしては細身で小柄な人だった。
身長は160センチ半ばくらいに見える。
眉間にシワを寄せて眉を吊り上げているものの、それでも優しさを感じる中性的な顔だった。
「【影烈斬】!」
でもお兄さんはとても強く、二回りも大きい魔物をあっという間に剣でやっつけてしまう。
更に物凄く素早くて、礼拝堂の中をびゅんびゅんと――縦横無尽駆けまわると、魔物達を次々を薙ぎ倒していく。
「広域治癒」
『『『『グオオオオオオオオッッッッ!?!?』』』』
礼拝堂の床全体が、淡く光ったと思うと、心地いい気持ちになるのを感じた。
魔物がすぐ近くにいるのに、こんなリラックスするなんて、なんでだろう? と思ったけれど、わたしの膝の上でぐったりとしているお母さんが目を覚まして、それどころではなくなった。
「お母さん!? 怪我が治ったの!?」
「ああ……聖女様、来てくださったのですね……!」
「聖女……様……?」
「良かった。なんとか間に合ったようです」
礼拝堂には黒髪のお兄さん以外にも、聖火隊の人達が次々と入ってきて、その中には聖女様の姿もあった。
聖女様。
フローレンス・キューティクル。
〝聖火隊〟のリーダーで、〝枢機卿〟で〝聖痕之壱〟で〝慈愛の聖女〟。
沢山の呼び名があって、どの名前がどのような役割を意味するのかはよく分かっていないけれど――これだけは分かる。
聖教会の1番偉い人で、1番強い人で、1番綺麗な人で――――1番優しい人。
聖女様の回復魔法で、お母さんの傷を治してくれたんだ。
いや――お母さんだけじゃない。
魔物と戦っていた村の若い大人たちの傷も治っている。
回復魔法は治す対象に触れないといけないのに、聖女様は触ることなく、また沢山の人を同時に治すことが出来て、それはとっても凄いことらしい。
「スキア君、今です!」
「承知しました、聖女様!」
聖女様が回復魔法で村人たちの傷が治ったと同時に、逆に魔物はダメージを受けたようで、ぐったりと動きが鈍くなった。
そういえば、聖女様が魔法を使ったと同時に魔物たちが悲鳴をあげていた。
回復魔法と攻撃魔法を同時に使い、対象を人間と魔物で正確に使い分けたってこと……?
「【影烈斬】ッ!!」
聖女様は黒髪のお兄さんのことをスキア君と呼んだ。
するとお兄さんはスキルを発動して、剣に黒いオーラを纏わせる。
それはなんだか黒い魔物と似たような、影のような黒だったけれど、不思議と怖いという感情は抱かず、格好いいと思った。
――斬! 斬! 斬!
お兄さんはオーラを纏った剣で、弱った魔物を次々と切り伏せていった。
『グオオオオオオオオッッッッ!?!?』
魔物達はその攻撃を受けて次々と消滅していく。
死体は残らず、まるでロウソクの煙が無散するように、黒い魔物達は跡形もなくなってしまった。
「聖女様、お母さんを助けてくれてありがとうッ!」
「いいんですよ。それが私達――聖火隊の役目ですから」
すると聖女様はにっこりと笑って、わたしの頭を撫でてくれた。
***
聖火隊の人達は、村を襲った魔物を全てやっつけてくれた。
そして村の壊れた建物の修理を手伝ってくれて、魔物との戦いで死んでしまった村人の埋葬と葬儀を執り行ってくれた。
聖女様が追悼の祈りを捧げてくれて、聖火隊の人達と一緒に鎮魂歌を歌った。
聖教会の人には色んな讃美歌を教えて貰い、好きな歌もあるんだけど、お葬式の時は、この歌を皆で歌うと決まっているらしい。
聖女様が跪く墓地の下には、お父さんも眠っていた。
村の人達は、「聖女様が直々に弔って下さったのだから、必ず天の国へ行けただろう」と慰めてくれたけど、それでもお母さんはずっと泣いていた。
そんなお母さんを見て、「本当にもうお父さんと会えないんだ」という実感が湧いて、私もまた泣いてしまった。
「申し訳ございません。私達がもっと早く到着していれば、あなたのお父さんも無事だったはずなのに……」
葬儀が終わったあと、聖女様は泣きじゃくるわたしを抱きしめてくれた。
とても良い匂いがして、聖女様がいつも髪飾りとして付けているお花の匂いがした。
「聖女様……絶対、絶対に魔王を倒してね」
「はい、必ず」
念を押すように、わたしは泣きながら、お父さんを殺した魔物の親玉の名前を叫ぶ。
「魔王を! シド・ラノルスをッ! 絶対にやっつけて!!」
「…………ッ」
聖女様は魔王の名前を聞いて、悲しそうに顔を伏せた。
けれどもすぐ顔をあげ、「私がこの手で、悪しき魔王を倒します」と答えてくれた。
***
村の北側は、視界一面を覆いつくす、凄く濃い霧に包まれている。
お父さんが言うには、わたしが産まれる前には霧なんかなくて、〝王都〟って言う王様が住んでいた、大陸で一番立派な街があったらしい。
この世界は無慈悲で、救いがなくて、人が簡単に死んでしまい、魔王に支配された暗黒の時代だ。
だけど――わたし達には聖女様がいる。
だからわたしは明日も生きる。
いつか聖女様が、平和な世界を作ってくれると信じて。




