132 そして影に希望を込めて
前半はフロウの一人称。
後半はシドの三人称になります。
初恋だったのかもれしれません。
恋なんかしたことないから――真偽の方は定かではないのですが。
私は何も知らない子供でした。
物心ついた頃から親はいなかった。
ですが育ての親には恵まれて、不自由のない生活を送ってきました。
聖典に登場する聖者に無邪気に憧れを抱き、聖女だった親を誇り思い、自分もそんな偉大な聖職者になりたいと、漠然と夢見ておりました。
自分なら――シカイ族の差別を取り払えると、無垢で無知な私は、楽観的に考えておりました。
彼らがどんな生活を送り、どんなことを思いながら生きているのさえ知らずに。
結果――〝信念〟はポッキリと折れて。
結果――〝教義〟を司る聖教会は壊れて
結果――〝命令〟を下してくれる同胞を失って。
もはや――私に残された選択肢は何も残っていなくて。
せめて――自分の人生が何か意味のあるものだったと言えるような死に方をしたくて。
最後に託されたヨハンナ様の「影霊術師を殺す」という命令を遂行することで、ちっぽけな自分の人生にも価値があったのだと――そう思い込みたかったのです。
胸が痛くて。
心が苦しくて。
私だけ生き残って。
ただ死ぬ理由が欲しかっただけで。
でも――ヨハンナ様は私が満足して死ぬために《聖痕之壱》の名を託した訳ではなく。
シーナ様は、何者にもなれなかった私が、せめて意味のある死に方で人生を終えるために育ててくださった訳でもなく。
『さて、説明はこれで十分かな? それじゃあ――死んでね?』
ソブラと呼ばれるあの冷たい瞳のシカイ族の、邪悪な企てを知って――
『なぜ大聖堂から脱出する際、私も一緒に転移させてくれたのですか? 私を放置して1人で逃げることも出来たのに』
『それは…………体が、勝手に』
死体を弄ばれたカイネ様が放った錆塵から、転移能力で救ってくれたシドさんの優しさに触れて――
――安易な死に逃げてはいけないと、そう、思ったのでした。
ただ1人生き残ってしまった無力な私でしたけれど。
まだ、1人じゃないと、そう思ったから。
シドさんに謝るなら――
誤り続けた愚かな私の人生を、挽回する最後のチャンスは――
――今しかない。
『今更何をと仰りたい気持ちは重々承知でございます。その上で厚かましい要求とは存じますが――お願いがあります。あのシカイ族のことを教えてください。そして――どうか私に力を貸してください!』
恥を上塗り、厚顔無恥だと罵られようと、調子のよい愚者だと蔑まれようと構わない。
それでも。
『こちらからも頼む――ソブラを倒すため、力を貸してくれ』
頭上からそんな優しい言葉を聞いた時――確信してしまいました。
初恋だったのかもれしれません――と。
***
俺はフロウにソブラのことを説明する。
俺と同じ影霊術師であるということ。
五大魔公と呼ばれるS級ダンジョンのボスを全て手中に収めることで、天地創造の権能が手に入ること。
五大魔公の詳細についても説明する。
一つは、血を分け与えることで永遠の命を付与する吸血姫――《永遠》を司る《不滅のエカルラート》。
一つは、現世と同量の異空間を体内に有する獣――《悠久》を司る《呑み下すヴァナルガンド》。
一つは、神の持つ知識を余すことなく書き記した書物――《叡智》を司る《神脳のアーカーシャ》。
一つは、ありとあらゆる物質を生み出すことが出来る大蛇――《創造》を司る《産み落とすククルカン》。
一つは、世界の全てを焼き滅ぼし終末を齎す邪竜――《破壊》を司る《終焉のリュシフィール》。
そのためにソブラは俺の持つエカルラートとヴァナルガンドを狙っていること。
そして、俺と聖教会を共倒れさせるために暗躍していたことを。
加えて、大規模ダンジョン崩壊を起こした張本人であることも。
聖教会はなぜか大規模ダンジョン崩壊は俺が発生させたと勘違いしていたが、恐らくはそうなるように仕向けたのもソブラなのだろう。
「奴の目的は五大魔公を全て手に入れることだ。協力するよりも、俺を殺してヴァナルガンドを献上し、早い所五大魔公を集めて貰い、この世界から立ち去って貰ったほうが、てっとり早いかもしれねェぞ?」
「試すようなことを言わないでください。あの方は聖教会に――そしてこの世界に強い恨みを持っているように見受けられました。五大魔公を全て集めても、この世界に危害を加えずに別次元に旅立ってくれる保証はどこにもありません」
「ま――だよな」
世界を創造する力があるということは、破壊する力もあるということだ。
奴が俺と聖教会を共倒れさせようとしたのは、俺の戦力を削いで五大魔公をぶんどるだけではない。
20年前に聖教会に殺されかけた恨みを晴らすという、私怨も含まれていたはずだ。
ほぼ確実に、この世界をめちゃくちゃにするつもりと見ていいだろう。
現にソブラは聖教会を制圧した。
そして聖教会以外に不死のソブラを殺す手段はない。
それは例え――人類最強であろうと例外ではないだろう。
つまりソブラは王都を掌握――20年前からの悲願であった、国家転覆に成功したのだ。
「あの……フロウ様、ですよね?」
「ええ、そうですよ。リンリンさん」
タイミングを見計らっていたように、おずおずとリンが声をかけた。
さっきまでロングコートの裾を掴み、俺の後ろに隠れていたが、意を決したように一歩前に出で、フロウに姿を見せる。
「この短剣はアニス様のものでした。これを……お返しします」
リンリンの手には赤い短剣が握られている。
リンとアニスの間にどのような問答があったのかは知らないが、リンはアニスを返り討ちにしたらしい。
だが、リンのレベルは30で、アニスは61。
加えてアイツは素の身体能力も高く、アサシンのスキルを巧みに使い、何度も俺を欺いてきた。
いくら油断していたとしても、リンがアニスを殺すのは不可能だ。
となれば――恐らくアニスは自らの意思で、リンの攻撃を喰らったのだろう。
「いえ。これはあなたが持っていて下さい。アニス様もきっと、それを望んでいます」
「アニス様が……?」
「はい。アニス様はよくリンリンさんの事をお話していましたよ。とても可愛い女の子で、もっと仲良くなりたいって」
「ッ!? ア、アニス様が……?」
アニスは過去、王都に買い出しに出かけた際に襲われた悪漢からリンを守っているし、隠れ家を訪れ仲良く雑談していたこともある。
あれは俺の情報を探り、リンを人質にするための仕込みだと思っていたが、どうやらアニスは本当に、リンとの間に友情を感じていたらしい。
となればやはり――アニスはわざとリンの攻撃を喰らったのだろう。
「ですから、アニス様のことを恨まないであげてください。あの方はああ見えてとても寂しがり屋なんです」
フロウはにっこりと微笑んだ。
「ア、アニス様……」
リンはぎゅっと、大切な形見であるかのように、赤い短剣を強く握りこんだ。
「ごめんなさい……フロウ様にとっても、アニス様は、大切な人だったのに……私は……」
「リンリンさん、泣かないでください。あの方は、誰よりも優しくて繊細なお方でした。女の子を殺すくらいなら、自分が死ぬ――そんな選択を取る方です。そしてきっと、その選択を悔いてなどいないはずです」
おかしな話だ。
さっきまで殺し合いをしていたというのに――今はこうして、手を取り合うことになっている。
リンは生きていて、俺は何も失っていないのに。
フロウは大切な友達を仲間を、帰る場所を失ったというのに――それでも俺を許すと言った。
対して勇者パーティを殺した俺は――〝許す〟という選択が出来なかった。
もしリンが死んでいれば、ソブラが世界を牛耳るという状況下になってもなお、フロウの手を取ったりなどしかっただろう。
フロウはリンを殺す機会があり、殺す理由も憎しみもあったのに、傷を癒しここまで連れてきた。
やられたらやり返す。
その永劫に続く戦いを、より深く傷ついたフロウが断ち切る決断をした。
彼女は――俺が今まで出会った誰よりも、強い人間だと、そう思えた。
であれば――俺もいつまでもウジウジなど、していられない。
「ソブラを倒す方法――俺に1つ考えがある」
「それは一体……?」
「俺とソブラの能力は同じ――となれば勝敗は影霊の戦力と五大魔公の所持数によって決まる。だが俺は殆どの影霊とエカルラートを失った」
しかし失った戦力はもう1度集め直せばいい。
エカルラートもだ。
ポケットの中に手を突っ込めば、指先に触れるのはエカルラートの舌先の欠片。
――テメェがこの程度でくたばるとは思ってねェからよ。
「俺は奴を倒す力を手に入れる――その間にフロウは、人類を守れ。最後の《聖痕の騎士団》として、最後の聖女として」
「魂を剣の贄に、祈りを天秤に捧げ、そして影に希望を込めて――必ずや。だからシドさんも……どうか、よろしくお願いいたします」
《聖痕の騎士団》との戦いはこうして幕を閉じる。
最悪の魔王という、共通の敵を打倒するという、共同戦線を結ぶ形によって――
もう2度と大切なものを失わないために。
「シドさんの未来に、祝福があらん事を」
最後の――――長い長い戦いが始まる。




