127 《聖痕之壱》――フローレンス・キューティクル
前回のあらすじ
聖教会の教皇はシドに呪いの言葉を残して死んだ。
シドは一人になった謁見の間で、教皇の言葉を再度噛みしめるのであった。
大聖堂最上階――謁見の間。
玉座に座る小さな教皇は、眠ったように息を引き取った。
『毒薬を服毒したか』
「…………」
デュラハンの長剣が俺の手から零れ落ち、大理石の床の上を跳ね、消滅する。
『シド――気にすることはない。お主には妾がおるじゃろう。それとも……妾ではお主の孤独を紛らわす相手には、なれぬのか?』
「…………リン」
悔しいが――お前の言葉は今の俺に、痛いくらいに響いたよ。
俺は王族殺しで――そして今は、大聖堂を破壊し、多数の聖職者を虐殺した。
もう1人の影霊術師――ソブラがかつて行った国家転覆と同じ罪を、俺は犯した。
そもそもな話――俺は最初からリンに好かれるべき人間ではなかった。
今思えば、あれは酷い洗脳だった。
劣悪な環境で死にかけている哀れな少女に優しくし、俺以外に頼れる人間がいない状況下。
リンに害をなす奴らは問答無用で殺すが、リンにだけは危害を加えない。
そうなれば――リンが俺に懐くのは当たり前で、そのリンを手放さなかったのは俺のエゴだった。
その結果リンは死に――俺は気付かされた。
俺はリンをペットや人形と同じように扱って、孤独を紛らわせていたことを。
今後俺は、あいつの言った通り孤独に病み――何も知らない子供を洗脳してリンの代用品を作り愛を求めたとしても、あいつの呪いの言葉が、リンの死に様が、己の愚かさを、浅ましさを、虚しさを思い出させるだろう。
「俺からリンを取り上げる――それが、聖痕の騎士団の本当の目的だったんだな」
もしかすると、ソブラが国家転覆を諦め、五大魔公を集めて新しい世界を創造しようとしたのも、同じ理由なのかも、しれねェな。
「シド! 気をしっかり持つのじゃ!」
影から出てきたエカルラートが俺の両肩を掴んで揺さぶる。
エカルラートは言った――妾には、お主の孤独を紛らわす相手には、なれぬのか――と。
その答えが是でも否でも、リンを失った事実は変わらない。
そしてその重大さを、小さな教皇によって浮彫にさせられた。
少しでも早く――俺に俺を殺させ、この世から消すために。
――タン、タン、タンッ、タンッ!
――その時だった。
既に散り散りになって逃げ出し、無人となっているはずの大聖堂に足音が響いた。
どんどん大きくなっていき、こちらに近づいてくる。
そして――1人の少女が俺の前に姿を見せた。
「はぁ、はぁ……教皇猊下!?」
「……フロウ、か?」
長い金色の髪、整った顔を持つ、かつてヴァナルガンドを倒す際に共闘した少女。
以前見た時はシスター服で、両目とも青色だったはずだが、今は立派な法衣を羽織り、左目だけが黄金色になっている。
「久しいな……フロウ」
「シドさん……あなたが、猊下を?」
「ああ……このガキは俺が殺した。聖痕の騎士団も枢機卿団も、他の多数の聖騎士も」
フロウの顔が歪み、瞳が揺れた。
彼女はもう、冷遇されているシカイ族に対しても、甘い焼き菓子を差し出し屈託のない笑顔を見せてくれることはないのだろう。
シカイ族は害悪極まりなく、平気な顔して人を殺す醜悪な人種だと思い知り、憎しみだけがそこに残るのだろう。
それはフロウだけでなく、勇者パーティの奴隷時代から優しく接してくれた、冒険者協会の受付嬢のエミリーさんや、大規模ダンジョン崩壊の際に共闘した人類最強アルムガルドからの信頼も、俺の悪行が知れ渡れば崩れ落ちる。
フロウはシャン――と手に持った錫杖を捨て、懐から杭のようなものを取り出した。
理を見通す眼が、その杭の正体を告げる。
聖遺物――【始僧の聖杭】。
かつて聖痕之壱がエカルラートの心臓を貫き、聖痕之弐が俺の抜け殻に空打ちした、不死をも殺す必殺の聖杭。
「小娘ッ! どこでそれを手に入れた……ッ!?」
エカルラートが吠える。
あの杭はヨハンナが持っていたはずだ。
なぜフロウが持っている……?
フロウの瞳は潤み、今にも涙が零れそうだった。
しかし、それでも彼女は俺から目を反らさずに――こう言った。
「私は……私は! 《聖痕之漆》改め《聖痕之壱》にして《慈愛の聖女》――フローレンス・キューティクルです! 乙女の果実を剣の贄に、聖女の祈りを天秤に掲げ――影霊術師を祓殺します!」
フロウが……最後の|《聖痕の騎士団》……だと……!?




