126 教皇――リンハルト・レオルヘイン
再びシドの一人称に戻ります。
デュラハンの影霊長剣を袈裟斬りに一閃。
返す刀で逆袈裟に一閃。
――斬! 斬!
――ガラガラッ!
大聖堂の最上階。
一目で貴人の部屋だと分かる豪奢な扉を破壊し、足を踏み入れる。
「お前が教皇か?」
【影門・卍髏の剣】で【神霊の聖像】を破壊し、枢機卿団を皆殺しにした俺はそのまま大聖堂に乗り込み、やがて行きついたのがこの部屋だった。
「いかにも――余が聖教会の教皇――リンハルト・レオルヘインである」
謁見の間のような作りになっている部屋で、天井一面に天使と思われる宗教画が描かれた部屋の最奥の玉座に――教皇が座っていた。
どう見ても私室ではない。
逃げも隠れもせず、客人を招き入れるかのように、謁見の間で待ち構えていたということか。
「護衛も付けずに1人で出迎えるとはな。しかも、ここまで来るまで聖騎士を殆ど見なかった。教皇を見捨てて逃げ出すとは薄情な信者だな」
「余が――いや、もはやこんな喋り方に意味はないね――ぼくがそのように指示したんだ。ぼくを見捨てて逃げるようにとね」
「…………」
教皇――リンハルト・レオルヘイン。
大陸の隅から隅まで、どんな小さな集落だろうとその教えが行き届いている国教――聖教会の頂点に君臨する教皇の正体は、齢2桁にも満たないであろう幼い少年だった。
聖教会を象徴する白い法衣を羽織った、白髪の美しい少年。
少女のようにも見える中性的な美貌だが、その声は確かに、変声期前の男子の声だった。
「(エカルラート――あれは本物か?)」
『いかにも。あの小童こそ、教皇じゃ』
教皇の顔も知らない背教者の俺を騙して、てきとうなガキを影武者にして本物は逃げ出したのかと思ったが――エカルラート曰く、正真正銘本物らしい。
「もはやぼくを殺しても、影霊術師にメリットはないよ。ぼくは枢機卿団の傀儡だから」
「命乞いか?」
聖教会から迫害を受けていたシカイ族だが、教皇は代々、聖教会の教えを広めた教祖の血族が担うことは知っている。
だが――その実、聖教会の実権を握っているのは、老獪な枢機卿団であると、少年は告白する。
「ぼくの家系は代々短命の定めなんだ。後継者になる子供が5歳くらいになると、必ず病死する――そういうことになっている。枢機卿団にとって不都合なんだ。教皇が知恵をつけ、味方をつけ、人望を身に着けるのが」
後継者がある程度育ったタイミングで病死する血族。
それはあまりにも、傀儡を操る枢機卿団に都合がいい――つまりは、病死ということに、処理させられているのだろう。
「毎年法衣の採寸をしなおさなければならないという手間と引き換えに、枢機卿団は抵抗する力を付ける前に代替わりする可愛い人形を手に入れたという訳さ」
「教皇も楽じゃねェんだな」
「うん」
10歳前後の少年がするには、あまりにも寂しい、悟ったような笑顔だった。
「でも――教皇は傀儡の務めを果たすつもりだよ」
リンハルトは大量殺人鬼を前にしても、怯むことなく言葉を紡ぐ。
その穏やかな声は不思議と心地よく、なぜか耳を傾けてしまう不思議な魅力があった。
エカルラートさえ、横やりを入れることなく、リンハルトの次の言葉を待っているように見えた。
「聖痕の騎士団が血を被り物理的な脅威を排除し、枢機卿団が汚泥を被り政治的な脅威を排除する――こうして教皇だけは手を汚さず、綺麗な人形のまま、高潔な聖僧として、信者に崇拝される――役割分担なんだ。そして今代の役割は……君に殺されること」
「よく分かってるじゃねェか」
「ぼくは今日――ここで君に殺される。そしてその事実は、大聖堂から逃げ出した聖職者達が、大陸中に伝えることになっている。かつてぼくの教祖の使徒達が、聖教会の教えを大陸中に伝えたように、君の悪行は、大陸の隅々までいきわたることになる」
教皇は続ける。
その小さな身体には不釣り合いな玉座に腰掛け、その小さな身体には不釣り合いな重責を背負いながら。
「聖痕の騎士団も壊滅し、枢機卿団も全滅し、聖地大聖堂がこのような有様になった今、もはや聖教会は宗教組織として機能しない。でもね、聖教会の教えは人々の心に残る。そしてこれから来る影の脅威に怯える暗黒時代を生き延びる希望として紡がれ、受け継がれ続ける。そして――君の悪行は永劫に残り続ける」
「なにが言いたい?」
「君がこの大陸を――世界を意のままに操ろうと、恐怖と暴力で支配しようと、誰も君を愛さない。圧倒的な力に伴う圧倒的な孤独に押しつぶされ、やがて不老不死は孤独に殺される。自らの命を断つという結末で、影の時代は終わりを告げる。それが何十年後だろうと、何百年後だろうと、必ず人類は生き残る。そして残った子孫は荒れた大地を耕し、愛を紡ぎ、胸に秘めたぼくらの教えを希望に、再び数を増やしていく」
「…………」
「精神の飢えが、孤独の畏れが――いつか必ず君を殺す。これがぼくが君に送る――祝福の言葉だ」
「…………」
不思議と、何も言い返せなかった。
平時であれば、こんな戯言に耳を貸すことも、影響を受けることもなかった。
けれどもなぜか、教皇の言葉は俺の心を深くえぐった。
紡がれる言葉に耳を傾けてしまう天性のカリスマを身に着けた血族なのかもしれない。
かつて神の言葉を教え歩いた、聖教会の教祖の言葉に民衆が耳を傾けてしまうように。
枢機卿団が既得権益を奪取されるのを恐れ、教皇の跡取りがある程度成長したタイミングで殺してしまうのも理解できなくはない。
「これで……話は……終わりか……?」
絞り出すように、かすれた声が辛うじて出た。
「うん。これで終わりだよ――ありがとう、最後まで聞いてくれて。ぼくの説教を、聞き届けてくれて」
少年は最後にそういうと、にっこり笑い、何かを口に含む。
そしてまだ喉仏の出ていない、細い首をごくりと鳴らして嚥下した。
すると――ゆっくりと目をつむり、動かなくなる。
ステータスが確認できない。
――死んでいる。




