ぬかるみとバッカデッカ
「助けとくれよあんたたち!この子ねえ、すっごく愛想はいいんだけど、さっきからずっと地引き網がどうこう言ってて話が通じないんだよ!」
シスターさんがただニコニコと笑っている一方、おばあさんは困惑しきった表情で頭を抱えている。
その気持ちは痛いほどによくわかった。
「……ご安心ください。何かお困りのようですが、私たちが力になれることがあるかと思います」
タッシャさんがおばあさんを落ち着かせようと声をかける。
「ああやっと話が通じた!この子って地引き網がどうのってずっと言ってて、私はどうすればいいのかわからなっちゃってね……ってそれどころじゃないんだわ!」
おばあさんは慌てて私の手を引くと、茂みの中に引っぱり込んだ。
「うわ……っ!」
「ほら、あの子!!ねずみに驚いてこの中に突っ込んじゃったのよ!何とかしておくれよぉ!」
おばあさんの指さした先には、じたばたと暴れている一頭のロバがいた。ぬかるみにハマってしまったのか後ろ脚が泥から抜けなくなっているようだ。
「ぬうおぉお……」
もがいているロバのすぐそばには額を脂汗でぐっしょり濡らしたおじいさんがいた。
おじいさんはロバの体をぬかるみから押し上げようと、馬具をつかんで必死に引っぱっている。だが上手く行っていないようだ。
「あ、あの方は……?」
「ああ、うちの旦那だよ!バッカデッカがぬかるみに……バッカデッカってのはあのロバのことなんだけどさ、バカでかいからね。あの子の母親もさあ、大きかったんだけど、相当な難産でバッカデッカを産んだ後は……い、いや、そのさ、茂みに突っ込んで、運悪くハマっちゃって……。私はもう年だし、旦那も力仕事はからっきしでねえ……」
「な、なるほど……」
おばあさんの話を聞きながら私は少し考える。この程度なら私一人の力でなんとかなりそうだ。
「なるほど……ロバがぬかるみに足を取られてしまい動けなくなっていて、その脱出を手伝ってほしいというわけですね」
タッシャさんがシスターさんにも理解できるよう簡潔にまとめた。
「そうなんだよ!ていうかあ、そんなこと言わなくたって見みりゃあ、わかんだろアンタ!しゃべってないでどうにかしとくれえ!」
「ま、まあまあ私が手伝いますんで……」
おばあさんをなだめつつも、私は少し迷ってしまう。
ロバはまだまだ元気なのか口からよだれを垂らし、興奮気味に泥を前脚でかき出し、抜け出そうと暴れ続けている。
それを見て私は思う。
(いやだなあ……泥で服が汚れちゃったらどうしよう……)
けどこのままではロバが抜け出せそうにないし……。おばあさんもおじいさんも困っているし……。
って、私は今さら何を考えてるんだろう?
みんなのために率先して役に立とうと、さっき言ったばかりじゃないか。
私が覚悟を決めようとしたその時だった。
シスターさんは何か言われるよりも先にぬかるみに片膝をつけると、両手を泥の中に突っ込んでロバの体を持ち上げようとした。
「でぇええいっ!だぁあぁあっっ!」
「……」
シスターさんは泥で汚れることなど全く気にせず、ロバの巨体を力いっぱい押し出そうとする。しかし大きなロバの体はシスターさんの腕力ではびくともせず、ただ泥にめり込むばかりだ。
「あ、あの……お気持ちだけで……」
おじいさんが申し訳なさそうに言う。
「うぬぅうう……っ!」
(いや、だから無理だって!)
私は心の中でツッコミを入れるが、シスターさんは全く聞く耳を持たないようだ。
「しっ、シスターさん、代わりますよ!」
「でいやぁあっ!」
「でいやぁあっじゃなくて、私が代わりますって!」
「大丈夫です!ナヅキさんは倒れている台車の方を起こしてあげてください!」
シスターさんのがんばりにお婆さんが困ったように笑う。
「あ、あのね、お嬢さん、イケメンの彼氏さんはあなたに泥に汚れて欲しくなくてそう言ってるんだよ。ここはひとつ、ほら!彼氏さんに任せてさ……」
「ナヅキさんはイケメンですけど彼氏さんじゃありません!でもまあ、そういうことなら……でええいっ!!」
「す、すみません!私も手伝いますっ!」
私はつくづく恥ずかしくなってしまった。
もちろん彼氏どうこうなんてことはどうでもいい。心の中でブツブツと文句を言い、ボケっと突っ立ったままなんてこれ以上恥ずかしい真似をしてられない。
私は思い切って泥の中に膝をつき、私はロバの前脚を抱えて抱きすくめるとそのまま立ち上がろうと足に力を込める。
重みだけで足元が陥没し、泥水があふれ出してきた。