月の獣
「ナヅキくん……起きてくれ。」
気が付くと私は眠っていたようだった。
辺りはすっかり暗くなり、しんとした空気の中に虫の音が響いている。
タッシャさんの緊張した声が聞こえる。
「ゆっくりと、顔だけをこちらに向けて欲しい……」
「は、はい……」
言われるがままに首だけ動かして声がした方に顔を向けると、タッシャさんが膝を抱えた姿勢で前方を見つめている。
「……」
「タッシャさん……?」
「……怪物だ。」
「え……?」
彼の視線を追っていくとそこには……何か巨大な影が見える。たてがみを持つ青白い獣だった。
たてがみの中には三つの光があり、背中には無数の棘、そして大きく裂けた口から鋭い牙がのぞいている。
獣の前にはいくつかの犬のような影が揺らめいている。獣はその影の群れをじっと見つめているようだ。
「あの影は私の魔法だ……単純な魔法だが知能の低い獣程度なら騙せる。
……今、あの獣は私たちが狼の群れだと思っている。だが逃げない所を見るに
狩りには自信があるようだ」
タッシャさんは私に説明してくれているが、彼は獣の様子を書き留める余裕もないようだ。恐怖で震えながらその恐ろしい獣の姿をただ眺めている。
「わかりました、私が何とかします。」
私はゆっくりと立ち上がった。
「……お、おいっ、ナヅキくん。それはだめだ。私が囮になる、
私なら魔法で時間を稼げる。シスターを連れて逃げてくれ……!」
「いえ、任せてください」
私は静かに答えた。
「いえ、私がやります。あなたはシスターを守ってください」
「ダメだ!私が!」
タッシャさんの言葉からは嘘や迷いを感じなかった。
タッシャさん、あなたは本当にいい人だ。
出会ってほんの少ししか経っていないけれど、それでもわかる。この人を見捨てたりすればずっと後悔するだろう。
私はタッシャさんを安心させるように笑いかける。
「大丈夫です。私は最強ですから」
「何を言って……あっ!」
タッシャさんが驚いている隙に、私は走り出した。私の足は驚くほど速く、風のように走った。
獣は私の方へ向きを変えると、低くうなり声をあげ始めた。
私は獣に向かってまっすぐ走る。
獣は私めがけて飛びかかってきた。私はギリギリまで引き付けて体を捻りかわすと、そのまま横を通り過ぎた獣の横っ腹に拳を叩き込む。
獣は吹き飛ばされ、地面を転がった。
手ごたえはあったが、それほど効いてはいなさそうだ。
獣は立ち上がり、再び私に飛びかかろうとする。
しかし今度は私の攻撃の方が速かった。
私は素早く動き、獣の顔面に拳を叩き込む。腐った果物を握りつぶしたような嫌な感触が拳に伝わってくる。
そして間髪入れずに手刀で獣の額を叩き割った。獣の体はしばらくぶるぶると痙攣していたがやがて崩れ落るように倒れた。
「ふぅ……」
終わったか……。私はその場に座り込んだ。
なんか思ったより時間がかかったな。最強パワーなのに。
相当強い怪物だったのだのかもしれない。
「……ナヅキくん!」
後ろからタッシャさんの声が聞こえた。
振り返ってみると、タッシャさんが走ってきていた。
「すごかった、すごかったぞ。何と書けばいいか分からないくらい
素晴らしい戦いだった……ありがとう」
タッシャさんの目は潤んでいた。喜んでくれているようだ。
「いやいや、そんな……、あの、シスターさんは無事なんですか?」
「ああ、まだ寝ているよ。……まあ、起こさない方がいいだろう」
「そうですよね……」
私はほっと胸を撫でおろした。
「色々とまた聞きたいこと出来てしまったが、その前に悪いが獣の死体を隠してくれないか。朝起きた時、大騒ぎするはずだ」
そう言いながらタッシャさんは親指をシスターに向ける。……確かに。
「分かりました」
私が死体に触れようとしたその時、辺りが明るくなった。
空を見ると、月が出ていた。
「満月……」
思わず見惚れてしまう。
こんなにも美しいものを私は今まで見たことがない気がした。
私はしばらく夜空に浮かぶ丸い月に目を奪われていたが、すぐに我に帰った。
いかんいかん、早く隠さないと、私は死体を引きずって林の中へと運び込む。
これでよし……っと。
しかしまあ、何というか……お金さえあればこんな所で野宿なんかせずに済んだかもしれないのになぁ。私はそんなことを考えながら何度目かのため息をついた。
-:-:-:-:-:-
次の朝、私たちは朝食を食べ、出発の準備を整えていた。
シスターは昨日の出来事について何も覚えていないようだ。どうやら深く眠っていたらしい。
「ふぁーあ、いい朝ですねえ!……ん?ここどこですか?」
シスターは大きなあくびをしながら伸びをする。
「ここは……ええと、なんて言えばいいのか……とりあえず、
ここを抜けようと思っています」
「へぇ、そうなんですか」
シスターはいつも通りの様子だったが、私には無理をしているように見えた。
「そろそろ行きましょうか、シスターさん」
私はシスターさんを背負おうと彼女の前でかがんだ。
「……あの、ナヅキさん。
私はもう元気いっぱいだからこれからは自分で歩いていきますよ!」
「え?でも……」
「大丈夫ですよ、ほら、早く!」
シスターは私の後ろに回り込み、ぐいと背中を押した。彼女はまだ昨日のことを引きずっているんだろうか。
私はシスターに拒絶されたようで少しショックだった。
……せっかくみんなのために戦ったのに。
「……そうですね。では、行きましょうか」
私はしぶしぶ立ち上がり、歩き出した。