ウィンズレット公爵領 1
いよいよ三日後となった公爵領への旅行準備をヤナとしながら、鼻歌を歌う。
私の歌に合わせてハニワちゃんが愛らしいダンスをしていて、笑みがこぼれる。
「お嬢様もハニワちゃんもご機嫌ですね」
「だって旅行、すごく楽しみなんだもの」
前世では貧乏すぎて学校行事以外の遠出なんてしていなかったし、今世でも逃亡作戦としてのものしか経験がなかった。
何の気兼ねもなく大好きな人たちと旅行に行けると思うと、浮かれてしまう。
今回はヤナとエヴァンとハニワちゃん、そしてゼイン様とマリアベルの五人と一匹で行くことになっている。
「カードゲームとかも持っていた方がいいかしら」
「良いですね、ぜひ金をかけてやりましょう。実は最近、また金が溜まってきてしまって困っていたんです」
「貯金が増えると何か罰でも受けるの?」
いつも通りのエヴァンはここ数日、別の仕事に行っていた。毎日のように一緒にいるせいか、たった数日でも久しぶりな感覚がしてしまう。
そんな彼の整った顔を見ているうちに、ふとゼイン様との会話を思い出す。
「あ、そうだわ。ゼイン様にシャーロットのことを話したんでしょう?」
「ああ、そんなこともありましたね。怒ってます?」
「ううん。でも、エヴァンが私のそういう話をするのって、なんだか意外で」
驚いたし動揺もしたけれど、私のためにシャーロットの話をしてくれたのではないかと今は思っている。
とはいえ、エヴァンがそこまで考えて行動するだろうかという疑問もあった。
「それ、実は私が言ったんです。公爵様に直接お伝えしてはどうですかと」
「ええっ」
まさかのまさかで、ヤナが発案者だったらしい。
びっくりして大きな声が出てしまい、慌てて口を噤みながらヤナの次の言葉を待つ。
「そもそも酔って倒れかけたという話をお聞きした時、シャーロット様の演技ではないかと思いましたから。よくある手口ですし、そんなしたたかな女性からの好意に公爵様が気付いていないとなれば、また同じことが起きてしまう可能性もありますので」
ヤナは荷造りしていた手を止め、続けた。
「男性というのは妙に鈍感な部分があるので、はっきりと言わなければ伝わらないことも多いんです。お嬢様は気を遣って思ったことをお伝えできないこともあるでしょうし、もう傷付いてほしくなくて勝手な行動をしてしまいました」
「ヤ、ヤナ先輩……」
どこまでも頼りになる優しいヤナに、胸を打たれる。彼女の言う通り、私は絶対にゼイン様に直接伝えることなどできなかっただろう。
以前、彼女にゼイン様はシャーロットの好意に気付いていないんだろうな、なんてこぼしたことを思い出す。それもあって、エヴァンに伝えてくれたに違いない。
「二人とも、本当にありがとう。お蔭で嬉しいことも安心したこともあったわ」
「それなら良かったです」
「俺はただ伝言をしただけですけどね」
ゼイン様が私を気遣ってくれたこともそうだけれど、二人が私のことを心配して、行動に出てくれたことが何よりも嬉しかった。
いつも私を支えてくれているヤナとエヴァンには、感謝してもしきれない。
そんな二人にはたくさん恩返しをしていきたいと思いながら、もう一度感謝の言葉を紡いだ。
◇◇◇
あっという間に旅行当日を迎え、二日間の移動を経て、私はウィンズレット公爵領へとやってきていた。
「わあ……とても綺麗な場所ですね」
ゼイン様と共に馬車から降りると、自然に溢れた美しい街が視界に飛び込んできた。
小高い場所から遠目で街の全体を見ただけでも、栄えているのが分かる。先ほど馬車の中から見えた領民たちの表情も明るくて、温かい雰囲気が感じられた。
上手く言葉にできないけれど、ゼイン様が生まれ育った場所というだけで、何もかもが愛おしく思える。
「とても広いですし、今回滞在する三日間では回りきれないですね」
「いずれ君も暮らす場所なんだ、ゆっくりでいい」
「えっ? ……あ」
少しの後にゼイン様の言葉を理解した私は、照れから両頬を手で覆った。ゼイン様は普段通り涼しげな顔で、なんだか悔しくなる。
「君と来ることができて嬉しいよ、ありがとう」
「こちらこそ。その、よろしくお願いします」
「ああ」
幸せな気持ちで微笑み合いながら、繋がれたままの手を引かれ、タウンハウスよりもさらに大きくて豪華な公爵邸へと向かったのだった。
屋敷に荷物を運び休んだ後は、早速みんなでウィンズレット公爵領を見て回ることになった、のだけれど。
「グレース? なぜこっちを見ないんだ?」
「……ゼイン様があまりにも格好いいからです」
街中へと向かう馬車の中で、私は隣に座るゼイン様を直視できずにいた。
領主であるゼイン様は民に顔を知られているため、心置きなく過ごすためにも変装として帽子を被り、伊達眼鏡をかけている。
けれど桁違いの美貌は全く隠せておらず、むしろ私からすると普段とは雰囲気が変わる眼鏡によって、破壊力は増していた。
どんなものでも彼のために作られたのだと思えるくらい、よく似合ってしまう。
「そうか、君はこういうのも好きなんだな。今後も折を見て掛けることにするよ」
「ど、どうして……」
「俺ばかり好きになっては困るから」
そんな心配などいらないと即否定したいくらい、ゼイン様が本気を出せば、あっという間に沼の底まで沈んでしまう気がする。
ゼイン様の美しい顔面と甘い空気に耐えきれなくなった私は、窓の外へ視線を移した。
「もしかして、大きなお祭りがやっているんですか? 人も出店もたくさんです」
いつの間にか街中へ到着しており、大通りは人や屋台で賑わっている。子どもの頃からお祭りが大好きだったため、わくわくしてしまう。
「ああ、開催させた」
「……させ……?」
「君が好きそうだと思ってのことだったから、喜んでくれたなら嬉しいよ」
ゼイン様はあっさりそう言ってのけたけれど、これほどの大規模のものを催すには、かなりの時間やお金がかかるに違いない。これが領主の力なのだと思い知る。