幕間 ヒロインの憂鬱
招待客全員を見送り、屋敷の中へと戻る。
終始貼り付けていた笑顔を取り去るのと同時に、ずっと玄関ホールで私を待っていたらしいイザークに声をかけられた。
「おかえりなさいませ、シャーロット様」
「ただいま」
差し出された手を取り、自室へと向かう。両親は領地におり、このタウンハウスには私しかいないため、しんとした静寂が流れている。
ぼふりとソファに腰を下ろすと、イザークはすぐにお茶の準備をしようとした。
「いいから、こっちに来て慰めて。最悪の気分なの」
「かしこまりました」
イザークは表情を変えずにこちらへ来ると、私の前に跪く。そして私の右手を取り、手の甲に唇を落とした。
「シャーロット様、どうかされたのですか」
「……グレースがわざわざゼイン様を迎えに来させて、私に見せつけたの。ゼイン様は私のものなのに、酷いと思わない?」
「はい。とても傷付かれたのですね」
「それにね、やっぱりグレースは小説と全然違ったわ」
今日のお茶会に招待したのは全員、グレース・センツベリーを嫌う令嬢達だった。
婚約者を誘惑されたり、大勢の前で馬鹿にされたり。グレースに嫌悪感を抱く令嬢を探し出すのは簡単で、どれほど彼女が最低な悪女だったのか容易に想像がつく。
「あれが悪女なんて、絶対におかしいもの」
けれど今のグレースは明確な「善人」だった。
腰が低く謙虚で、悪口を言われても飲み物をかけられても怒りもしない。毒蛇を使って試してみても、他の令嬢を囮にしようとするどころか自ら捕まえてみせた。
間違いなく小説に出てくるグレース・センツベリーとは別人で。ずっと抱いていた推測が合っているのか確かめるため、彼女を自室へ連れて行き二人きりになった。
「イザークが言っていた通り、本当に面白いくらい分かりやすい人だったわ」
国内で瘴気が増えていることや、魔鉱水が採れにくくなっているという話をした際、彼女ははっきりと動揺していた。
追い討ちをかけるように「戦争」というワードを出したところ、その顔色は分かりやすく真っ青になった。
小説の展開を知っていて、原因が自分だと自覚しているからに違いない。
──グレース・センツベリーが私と同じ転生者なのだと、確信した瞬間だった。
「信じられない、悪女のくせに私のポジションを奪おうとするなんて。だから小説のストーリーも変わってしまったのね」
ゼイン様はヒロインである私のものなのに、端役如きが望むなんて許されるはずがない。
私がゼイン様と愛し合って聖女の力に目覚めなければ、まず命を落とすのはグレースなのに。
戦争が起こる未来だってあるのに、自分の欲を優先させるのも間違っている。
「やっぱりグレースは邪魔だわ。悪女でもないなら、私の役にも立たないし」
「分かりました」
イザークは迷わずそれだけ言い、小さく頭を下げた。
「私にできることがあれば、お申し付けください」
「ありがとう、イザーク。あなただけが頼りなの」
さらさらとした黒髪を撫でると、イザークはふっと口元を緩める。
小説には出てこないキャラだけれど、私の言うことを何でも聞いてくれる彼のことは一番に信頼しているし、これから先も側に置いてかわいがるつもりだった。
何よりイザークほど綺麗な人が私に心酔していると思うと、気分が良かった。
「ねえ、抱きしめて」
「はい」
甘えるようにそう言えば、イザークは私を宝物みたいに抱きしめてくれる。
温かくてほっとして、一人じゃないと実感した。
「……私とゼイン様の未来のために、これからも頑張ってくれる?」
「はい、お任せください」
ゼイン様が愛する小説のヒロイン・シャーロットはとても優しくて純粋な、誰からも愛される心の綺麗な女性だった。
だから私が自らグレースに手を下すなんてこと、絶対にあってはいけない。
強欲で分不相応な卑しい、あの転生者とは違う。
「私は小説のストーリーを正してゼイン様を救って、ハッピーエンドを迎えるの」
この世界はヒロインである私が幸せになるために作られた、舞台でしかないのだから。