幕間 シャーロット・クライヴ
とん、ととん、とステップを踏むように、少女は軽い足取りでクライヴ子爵邸の薄暗い廊下を歩いていく。
少し後ろで彼女を見つめていた黒髪の青年は、黒曜石のような瞳を柔らかく細めた。
「シャーロット様、ご機嫌ですね」
「ふふ、だって嬉しいんだもの。大好きなゼイン様にたくさん触れちゃったし、初めて名前を呼ばれちゃった」
ドレスのスカートを靡かせくるりと振り向いたシャーロットの表情は、まさに恋する乙女そのものだ。青年はつられて笑みをこぼし、両頬を手で覆う彼女を見守る。
「でも、クライヴ嬢って他人行儀よね。本当はシャーロットって呼んでほしいのに」
「次お会いした時、そうお願いをしてはどうですか?」
「だめよ、ゼイン様は女性からぐいぐい来られるのが好きじゃないキャラだから。上手くやらないと」
明るい栗色の髪を靡かせながら、シャーロットは再び歩みを進めていく。
「あーあ、グレースは楽でいいなあ。マリアベルがぐちゃぐちゃに殺されたお蔭で、ゼイン様と仲良くなれるんだもの。……でも、まだあの子が生きているのもおかしいのよね。そこからおかしくなっちゃったのかしら?」
人差し指を口元に当て、シャーロットは首を傾げる。
「ゼイン様もマリアベルが死んで、グレースに捨てられて心を閉ざすはずなのに、冷徹公爵なんて呼ばれていたのが嘘みたいに優しいし」
シャーロットは「はあ」と深い溜め息を吐くと歩みを止め、青年へと視線を向けた。
「ねえ、イザーク。私、もう疲れちゃった。部屋まで運んでくれる?」
そんな命令を当然のように、まるで小さな鞄を持たせるくらいの感覚で言ってのけると、青年──イザークはふわりと微笑んだ。
「かしこまりました」
シャーロットの元へ近寄り、宝物に触れるように華奢な身体に手を回し、慣れた手つきで抱き上げる。
彼女の方も遠慮なくイザークの首に手を回し、自然に身体を預けていた。
「小説だとそろそろ二人でお茶をする機会もあるはずなのに、全然上手くいかないわ」
「やはり、グレース・センツベリーのせいでしょうか」
「多分ね。ゼイン様とまだ別れていないみたいだし、おかしいことばかりだもの。第二王女の婚約を祝う舞踏会の日に、二人は別れるはずだったのに」
心底同情するように、憐れむように、目を伏せる。
「可哀想なゼイン様はね、グレースに洗脳されているだけなの。だから私が早くそれを解いてあげないと」
「グレース・センツベリーさえいなくなれば、シャーロット様の心は晴れますか?」
「確かにそうなれば楽だけど……でもグレースのこと、私は嫌いじゃないの。だってああいう悪役がいてくれるからこそ、ヒロインの私が輝くんだから」
窓越しに夜空に浮かぶ月に手を伸ばし、掴むように手のひらを握りしめる。
そんなシャーロットに、イザークは熱を帯びた眼差しを向けていた。
「僕があなたを誰よりも輝かせてみせます」
「ありがとう。でも、悪いことはしちゃだめよ?」
「──はい。全て上手くやってみせます」
「ふふ、イザークはいい子ね。私のためならどんなことでもしてくれるんだから」
子どもを褒めるように艶やかな黒髪を撫でながら、シャーロットは満足げに微笑んだ。