夢の在処 3
「うわあ、にんきものですね」
「もう少し感情を込められなかった?」
どっさりとテーブルの上に山積みになった手紙の山を前に、エヴァンは棒読みでそう言ってのけた。現在は社交シーズン真っ只中のため、日々招待状が届いている。
あんなにやりたい放題していたグレースでも、センツベリー侯爵家の一人娘のせいか、取り入ろうとする人間は跡を絶たない。元々グレースは社交の場によく出ていたし、付き合いのある人間は多いようだった。
とは言え、友人と呼べる存在は一人もいなかったようだし、上辺だけの付き合いだろう。
「夜会、夜会、舞踏会……」
「ぱぴ! ぽぷぽ!」
ヤナは手紙をせっせと仕分けしてくれており、最初は虐められ役のサクラとして雇ったのに、今では絶対に手放せない侍女となってくれている。ハニワちゃんも一生懸命お手伝いしてくれていて、とてもかわいい。
最近は一切社交の場に出ていなかったものの、そろそろ侯爵令嬢として顔を出すべきなのかもしれない。
「お嬢様、こちらが招待状で、こちらはお手紙です」
「ありがとう、ヤナ」
結局、普通の手紙はランハートからと、領地にいるお父様からの二通だけだった。その二通を手に取って見つめていると、後ろからエヴァンが「そういや」と呟く。
「公爵様からの手紙、来なくなりましたね」
「…………」
「良かったじゃないですか。お嬢様はずっと無視していたし、さすがに諦めたんですかね」
「…………そうね」
自分の行動のせいだというのに、何故かエヴァンの言葉がぐさぐさと胸に突き刺さる。
──エヴァンの言う通り、ゼイン様から一切連絡が来なくなっていた。確かに手紙は無視していたけれど、あんな山奥まで追いかけてきたと言うのに、そんな簡単に諦めるものなのだろうか。
シャーロットと出会った影響かもしれないと思うと、また心臓が鉛になったみたいに重くなっていく。けれどその一方で、安堵しているのも事実だった。
実は昨日、出先でぼんやりしていたところ、馬車に轢かれかけたのだ。
エヴァンがすぐに助けてくれたけれど、一瞬「死」を意識し、このままではいつか小説のグレースと同じようになってしまうかもしれないと思うと、怖くなった。
「エヴァン、絶対に私の側を離れないでね、お願い」
「はい、お嬢様は俺が命に代えても必ず守ります」
「どうしてだろう、全然安心できない」
縋るようにエヴァンの手を握れば、爽やかな笑顔で握り返されたものの、不思議と安心できないから困る。
「失礼いたします」
そんな中、ノック音がして顔を上げれば、メイドが新たな手紙を届けにきたようだった。
どうやら急ぎらしく、なんだか嫌な予感がしつつ手紙を開封した私は絶句してしまう。
「う、嘘でしょう……」
食堂のオープン予定日まで後少しだと言うのに、なんとメインの仕入れ先から取引ができなくなったと連絡が来たらしい。突然のことに冷や汗が止まらなくなる。
「とりあえず出掛けるわ。ヤナ、準備をお願い」
「かしこまりました」
詳しい理由は分からないものの、とにかくすぐに別の業者を探さなければと、私は二人と共に屋敷を出た。
「ど、どうしよう、全然決まらない……」
「困りましたね」
「……もう、お父様に頼るしかないのかしら」
数時間後、私はヤナとエヴァンと共に王都の大衆店カフェでぐったりとしていた。必死に探したものの、取引してくれるところが全く見つからなかったからだ。
以前はすんなり決まったのに、まるで何かに邪魔されているかのようにどこも門前払いされてしまう。
なるべく食堂に関しては自分の力でやりたいと思っていたけれど、もう仕方ないかと思っていた時だった。
「……あれ、あなたは」
そんな声に顔を上げれば、先日この店でハンカチを渡してくれた黒髪黒目の美形男性の姿があった。
彼はテーブルに突っ伏していた私を見て困ったように微笑み、柔らかく目を細めている。
「先日はありがとうございました」
「いえ、どういたしまして」
慌てて身体を起こしお礼を伝えれば、男性は小さく首を左右に振った。
「困られている様子でしたが、何かあったんですか?」
「い、いえ……」
お父様以上に、見知らぬ人に頼るわけにはいかないと首を左右に振った──けれど。
それから1時間後、私はとあるお店の前で彼に深々と頭を下げていた。
「助かりました、本当にありがとうございます」
「お役に立てたなら良かったです」
テーブルの上に広げていた資料を見たらしい彼は私が何に困っているのか察してくれ、すぐに知人を紹介できると言ってくれたのだ。
こういうのも何かの縁だし、渡に船だと思った私はお言葉に甘えることにした。そしてあっという間に紹介してくれ、すんなり問題は解決してしまった。
「あの、何かお礼を──」
「本当に結構です。僕は知人に恩も売れましたし」
気にしないでくださいと微笑む男性はイザークさんと言うらしく、家名を聞いたものの「下級貴族ですし名乗るほどの者ではないですから」と、教えてはくれない。
一方、彼は私を知っていたものの、まさか大衆向けのカフェにいるはずがない、よく似た別人だろうと思っていたんだとか。
このままではお礼もできないと困惑していると、イザークさんは「ああ、でも」と続けた。
「僕もぜひ、オープン後にお邪魔させてください」
「はい、もちろんです! ただ、私の店だということは内緒にしていただけませんか……?」
「あなたが望むのなら、もちろん」
爽やかな笑みを浮かべるイザークさんはどこまでも良い人で、その際には目一杯サービスしようと決める。
「それとハンカチも洗って屋敷に保管してあるので、次にお会いした時にお渡ししますね」
そう告げるとイザークさんは一瞬、驚いたように目を見開いたものの、やがてふっと口元を緩めた。
「あなたは本当に素敵な方ですね」
「えっ?」
「──だから、困るんですよ」
今の呟きはどういう意味だろうと思っていると何故か頬に触れられ、端正な顔が近づいてくる。その瞬間、エヴァンの「あれ、公爵様だ」という声が耳に届いた。
思わずぱっとエヴァンの方を向くのと同時に、頬に何か柔らかいものが触れる。それがイザークさんの唇だと気付いた途端、私は慌てて後ろに飛びのいた。
「す、すみません! 私のせいですよね!?」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。頬に睫毛がついていたので、取ろうとしたのですが」
「そ、そうだったんですね、ありがとうございます」
私が急に顔を逸らしてしまったせいで、申し訳ない事故が起きてしまった。
驚きと気まずさでいっぱいになっていた私は、重要な何かを忘れていることに気付いてしまう。
「……ゼイン、様……」
後ろからぐいと腕を引かれ、慌てて顔を上げればゼイン様と視線が絡み、私ははっと息を呑んだ。