夢の在処 1
「…………はあ」
本日何度目か分からない溜め息を吐くと、何故か近くに立っていたエヴァンはすうと息を吸った。
先程から深呼吸みたいなものを繰り返していて、気になった私は「何をしてるの?」と何気なく尋ねてみる。
「最近ついてないので何かいい事ないかなって、お嬢様が溜め息を吐いて逃げた幸せを吸ってみてます」
「今までで一番狂気を感じたわ」
エヴァンといると、色々悩んでいるのが馬鹿らしくなってくる。そんな彼に救われているのも事実だけれど。
「それで、何をそんなに気にされているんですか?」
「自分でもよく分からなくて……うーん」
──ゼイン様はシャーロットのことをどう思っているのだろう、あれからも交流をしているのだろうか。
『君の側に居られることが、俺にとって最大の幸福だ』
小説の内容を思い出したり、二人が一緒にいる姿を想像したりする度に何故か胸の奥が痛み、苦しくなった。
主役であるゼイン様とシャーロットが親しくなるのは当然で、喜ばしいことだというのに。
そんな私を心配するように、ハニワちゃんはきゅっと短い両手で私の腕に抱きついた。
「ぷぺぷ、ぺぴぽ、ぱぴぱぴ?」
「ハニワちゃんは世界で一番かわいいわ、大好きよ」
「ぷぴ!」
よしよしと撫でれば、嬉しそうに頬ずりしてくれた。エヴァンとの魔法の練習も続けており、私の能力が上がったせいか、以前より表情が豊かになった気がする。
相変わらず何を言っているのか分からないけれど、よく出てくる単語がいくつかあることにも気が付いた。
一番話しているのが「ぺぴぽ」で、次に「ぷぺぷ」と「ぷぴ」が多い。私達の言葉はしっかり理解しているみたいだし、私もハニワちゃんの言葉を理解し、いつか一緒にお喋りをするのが今の夢だ。
「お嬢様、またお花と手紙が届いていましたよ」
「ありがとう」
ヤナの手には華やかな大きな花束と、二通の封筒がある。ガードナー侯爵邸に行ってからと言うもの、ランハートから頻繁に手紙や贈り物が届くようになった。
手紙を開封して目を通してみると、恥ずかしくなるような甘い言葉が並んでいて、叫び出したくなる。
ゼイン様からも何度か手紙が届いていたけれど、開封できずにいた。読んでしまえば、また罪悪感で死にそうになるのが目に見えているからだ。
私が別れるために逃げ出したりしていないせいか、ゼイン様も特に行動を起こしていないようだった。そもそも誰よりも多忙なのだし、当然なのかもしれない。
「ランハート様とも交際を始めたんですか?」
「ううん、友人のままだけど」
「こんなの友人に贈るものじゃない気がしますけどね」
花束に込められた花言葉もかなり情熱的なものばかりらしく、怖いので調べないでおこうと思う。
──ちなみに、ランハートからの申し出は断った。
彼を好きになれる確証なんてないし、焦ってしまったものの、二人はまだ出会ったばかりなのだから、少し様子を窺ってもいいだろうと思ったのだ。
小説でも二人は少しずつ惹かれ合っていったし、ゼイン様が傷付いていない今は、本来の展開よりも時間がかかってもおかしくはないはず。
ゼイン様に動きもないし、二人が出会うという変化があった今は変に行動を起こさず、様子見するつもりだ。
『なんだ、残念。でも俺、手に入らないものほど欲しくなるタイプなんだよね』
けれど逆にランハートの謎のやる気に火をつけてしまったようで、こんな事態になっている。
困惑する私を面白がっているのがメインな気もするけれど、最初から絡まれていたところを助けてくれたし、次に会った時には「付き合って」と言っていたことを考えると、割とグレースの顔が好みなのかもしれない。
「それと、マリアベル様からもお手紙が届いています」
「あああ……」
実はマリアベルからの可愛らしい手紙もこまめに届いており、流石に彼女のことは無視できずにいた。
なるべく当たり障りのない、ゼイン様に関しては触れない内容で返事をしてきたけれど、そろそろ限界だ。
可愛らしい桃色の便箋には最近の嬉しかったことや作った料理、ゼイン様の近況や私に会いたいといった内容が綴られていて、心臓が押し潰されそうになる。
ゼイン様はかなり忙しい日々を送っているらしく、ある意味私のせいな気がして、また申し訳なくなった。
「…………つらい」
テーブルに突っ伏し、腕の中に顔を埋める。大切な人達と距離を置いたり冷たい態度をとったりしなきゃいけないなんて、辛くてどうしようもなかった。
どうして私はグレース・センツベリーなんかになってしまったのだろうと、何度神を恨んだか分からない。
それでもグレースでなければ出会えなかった人達でもあるのだし、文句を言っても仕方ないと分かっている。
「……よし!」
何かしていないと余計なことばかり考えてしまうと思った私は両頬を叩き、今後の計画を改めて立て始めた。
◇◇◇
そして翌日、私はミリエルへとやってきていた。店内の準備もほぼ終わり、どう見ても完璧な食堂だ。
私の店だと隠しているため、働いてくれる従業員も無事に見つかった。変装をして仕事を教えており、このまま行けば来月にはオープンできるだろう。
そんなことを考えては胸を弾ませ、料理の下ごしらえをしていると、後ろからランハートが顔を覗かせた。
「へえ? 君が料理ができるって本当だったんだ」
そう、今日は先日の約束通りランハートも一緒にミリエルを訪れている。ずっと物珍しそうにあちこちを眺めては、楽しげな様子を見せていた。
彼がこんな大衆向けの店を訪れたり、厨房などの裏側を見たりする機会なんて滅多にないからだろう。
「そんな嘘つかないもの」
「でもさ、貴族令嬢どころかあのグレース・センツベリーが料理をするっていう話、信じる方が難しくない?」
「確かにそうかも」
そんな話をしながらランハートが私の腰に腕を回した瞬間、ハニワちゃんが飛んできてその手を叩いた。
「ぱぺ! ぱぺ! ぺぴぽぽ!」
「痛っ……この子、絶対に俺が嫌いだよね」
「ふふ、ありがとうハニワちゃん」
今日初めて会ったものの、どうやらハニワちゃんはランハートが嫌いなようで、先程から彼が私に触れる度にこうして怒ってくれている。
ゼイン様が私に触れてもこんな風に怒ったりはしないため、ハニワちゃんの中で何らかの基準があるらしい。
そんな中、来客を知らせるドアのベルが鳴った。