悪女と主人公 1
失敗に終わった舞踏会から、5日が経った。
──私はこの半年間、小説の悪女グレース・センツベリーとして、恋人のゼイン様をこっぴどく振り、シャーロットとの出会いの場を作るため、頑張ってきたのに。
「め、目の前で振るどころか告白をされるなんて、失敗どころか取り返しのつかない大失敗だわ……あああ」
何もかもが水の泡になってしまい、泣きたくなる。
ベッドの上でじたばたと転がる私を見て、護衛騎士のエヴァンは「活きがいいですね」なんて言っている。
「お嬢様、また公爵様から手紙が来ていましたよ」
「……今はとても読めそうにないから、置いておいて」
「読めないのなら、俺が音読してあげましょうか?」
「お願いだからやめて」
舞踏会以来、引きこもっている私にゼイン様は何度も連絡をくれている。数日前に届いた手紙には、まっすぐな愛の言葉や早く会いたいという想いが綴られていた。
ゼイン様のことを考えるだけで顔が熱くなり、叫び出したくなる。もちろん、手紙の返事も出せていない。
『それでも俺は、君が好きだ』
『俺は君と、絶対に別れるつもりはない』
まっすぐな言葉や真剣な表情、熱を帯びた瞳から、私を心から好いてくれているのだと思い知らされる。
そしてゼイン様の告白に、どうしようもなくときめいてしまった。「嬉しい」と思ってしまったのだ。
とは言え、ゼイン様にあんな風に愛を囁かれ、胸が高鳴らない女性なんているはずがない。不可抗力だ。
「……それにしてもあの反応、何だったのかしら」
ゼイン様が私を好きだと言った瞬間、シャーロットは驚いたような、ショックを受けたような表情を浮かべ、口元を手で覆っていたことを思い出す。
シャーロットは元々ゼイン様に憧れていて、グレースのような最低最悪の悪女に「別れたくない」と抵抗する場面に遭遇し、ショックを受けた可能性だってある。
それでもやけに動揺した様子に違和感を覚え、ずっと引っかかっていた。きっと私の思い過ごしだろうけど。
「はあ……これからどうしよう」
ベッドの上で枕を抱きしめ唸り続ける私の側にしゃがみ込み、エヴァンは「大丈夫ですよ」と言ってくれる。
整いすぎた顔がやけに近いものの、エヴァンに対しては不思議と1ミリたりともドキドキしない。
「そもそも、そこまでの作戦は完全に成功していたわけですよね。公爵様を惚れさせるっていう」
「それはそうだけど……」
「ええ。少しタイミングがずれてしまっただけですし、きっと大丈夫ですよ。元気を出してください」
てきぱきと部屋を片付けていたヤナも、箒片手にそう言ってくれる。ハニワちゃんもずっと私の側におり、時折小さな手でよしよしと撫でてくれていた。かわいい。
「みんな、ありがとう。……そうよね、まだ戦争が起きるまで時間はあるはずだもの」
戦争が起きるのは舞踏会から1年以上が経ち、ゼイン様とシャーロットの仲が深まってからのはず。
とは言え、マリアベルの命を救ったことで、舞踏会も本来より半年早く開催されたのだ。この先の出来事も、全て物語通りのタイミングで起こるとは限らない。
ゼイン様とシャーロットとの出会いという物語の根幹を揺るがせてしまったのだから、尚更だろう。
「……よし、しっかりしなきゃ!」
それでも2人と1体によって励まされた私は身体を起こすと、両手で思い切り自身の頬を叩いた。
帰り際、ゼイン様に対して「絶対に諦めませんから」と啖呵を切ったくせに、この数日、私はどうしようと寝込むだけで何も行動を起こしていなかったのだ。
朝から晩までゼイン様のことを考えては胸がいっぱいになり、食事もあまり喉を通らなかった。こんなことをゼイン様が知ったら、きっと満足げに笑うのだろう。
気合を入れ直し、ハニワちゃんを肩に乗せてベッドから降りるのと同時にノック音が響く。
「グレースお嬢様、お客様がいらっしゃいました」
「えっ?」
今日は来客の予定はなかったはずだと思いながら、客人の名前を尋ねる。
そして予想外の答えが返ってきた後、私はヤナに急ぎ身支度をお願いしたのだった。
◇◇◇
数日ぶりに貴族令嬢らしい姿になった私は、応接間へと足を踏み入れる。
そこには眩しいオーラを纏い、ティーカップ片手に優雅に微笑んでいるランハートの姿があった。
「ごめんなさい、お待たせして」
「ううん、こちらこそ突然ごめんね。それに俺、美人を待つのは好きだから気にしないで」
「……そ、それはどうも」
相変わらずだと思いながら、ランハートの向かいのソファに腰を下ろす。彼と会うのは舞踏会の夜以来だ。
「それで、どうかしたの?」
「あの日が公爵様に別れを告げる、勝負の日だと言ってたよね? その結果を聞きに来たんだけど──……」
ランハートはそこまで言うと私の顔をじっと見つめ、ふっと口元を緩める。
「その様子だと、失敗したみたいだね」
「……失敗どころか大失敗したわ」
「まあ、そうなると思ったよ。あの日も嫉妬を隠す気すらないみたいだったし、別れるなんて無理だろうって」
残念だったね、なんて言いながらもランハートはやけに楽しそうで、明らかに他人事だという顔をしている。
とは言え、以前伝えた「ゼイン様と別れられなければ私の命や世界平和に関わる」なんて突拍子もない話を信じているはずがないし、当然の反応だった。
ランハートにとってはきっと、何もかもが娯楽でしかない。協力してくれただけで感謝しなければ。
「あはは、へこんでる顔もかわいいね。ぐっとくる」
「…………」
「それに協力すると言った以上、失敗したのは俺にも責任があるわけだし。まだ諦めてないんでしょ?」
こくりと頷けば、頬杖をついていたランハートは形の良い唇で美しい弧を描いてみせる。
この笑顔に、多くの女性が魅了されているのだろう。
「また手伝わせてよ。一緒に頑張ろう?」
「でも、まだ前回のお礼もできていないし……」
「俺は目標を達成できていないのに、報酬をよこせなんて言うほど甲斐性のない男じゃないよ」
間違いなく私を心配してではなく、私やゼイン様の反応を楽しんでいるだけだというのが伝わってくる。
それでもランハートは有能で頼りになると、たった一度のデートで思い知らされていた。詰みかけているこの状況で、味方は多いに越したことはないはず。
「ありがとう、ランハート。心強いわ」
「どういたしまして。これからもよろしくね」
──以前は私が何もしなくても、ゼイン様とシャーロットは自然と恋に落ちるかもしれないと思っていた。
けれど今は、その可能性が限りなく低いということも分かっている。ゼイン様は簡単に心変わりをするような人ではないことだって、私はよく知っていた。
私の行動により多くのことが変わってしまった以上、責任を持たなければ。ちくちくとする胸の痛みには気付かないフリをして、きつく両手を握りしめる。
そしてできることは全てしよう、絶対にゼイン様と別れてみせると、改めて固く誓った。