感情ジェットコースター 4
恋人の浮気を噂として耳にするのと実際に目の当たりにするのでは、かなり違うだろう。
何よりランハートの偽装工作があまりにもハイレベルすぎて、これは流石に怒られるというか、舞踏会でこちらから振る前に振られる気がする。
かと言って、これはどうしたって言い訳ができるような状況でもないだろう。冷や汗が止まらない。
「…………」
「…………」
ゼイン様と一緒にいた部下らしき見知らぬ男性は、私とランハートを見比べ、ゴミを見るかのような視線を向けてくる。正しい反応すぎる。
「…………」
「…………」
ここで開き直っては即破局フラグだし、変に言い訳をしても火に油を注ぐことになりそうだ。
どう声を掛けるべきかと必死に頭を回転させている中、重苦しい沈黙を破ったのはゼイン様だった。
「グレース、君も来ていたんだな」
「えっ? あっ、ハイ……」
予想していた反応とは真逆の、いつもと変わらない笑顔を向けられ、呆気に取られてしまう。やがてゼイン様は部下らしき男性に「行くぞ」と声を掛けた。
「また連絡する。今週末は一緒に過ごそう」
「ハ、ハイ……」
そうしてゼイン様はあっさりと立ち去ってしまい、その場に残された私は安堵感と共に、ひゅ〜と枯葉が飛んでいきそうな虚しさに包まれていた。
「いやあ、びっくりしたね。すごいタイミングだ」
「…………」
「大丈夫? 呆けてるけど」
ランハートは「おーい」と言いながら、私の顔の前でひらひらと手を振っている。
私ははっと顔を上げると、頭を抱えた。だって、今の反応はどう考えたって──…
「私、これっぽっちも好かれていないのでは……?」
そう呟くと、ランハートは「確かに」と頷き、青くなっているであろう私の顔を見た後、吹き出した。
「本気で好きな女性相手だったら、こんな現場に遭遇して笑顔でいられるわけがないし」
「…………」
「俺としては殺されずに済んでホッとしたけどね。この国にあの人に勝てる人なんて存在しないんだから」
「うっ……ど、どうしよう……」
間違いなくランハートの言う通りだ。やはりゼイン様は私に義務感で付き合ってくれていただけで、親しくなれたと思っていたのも、マリアベルのような妹ポジだったからなのかもしれない。
だとすればこの状況での浮気など、ただ好感度を下げまくっているだけだ。もう時間がないというのに、絶望的すぎる展開に冷や汗が止まらない。
「でも、どうしてゼイン様がここにいたんだろう」
「カジノって、実は話し合いの場とかにも使われるんだよね。君の護衛騎士くんも同じ用事かもしれないよ」
ゼイン様とエヴァンの共通点と言えば、国屈指の強い騎士であるということだろう。そんな二人が集められるような何かが、あったのかもしれない。
「とりあえず帰ろうか。目的は果たしたし」
「ハイ……」
もちろん優しいゼイン様を傷付けるのは私としても本意ではないし心苦しいけれど、ノーダメージでは困る。ここ数ヶ月の行動は、全くの無駄だったのだろうか。
そうしてランハートに手を引かれ、とぼとぼと歩いていると、少し先が騒がしいことに気が付いた。
どうやら壁に、大きな穴が空いてしまったらしい。すぐに多すぎる補修費用が支払われたと、オーナーらしき人が喜んでいるのが見えた。
「……負けてイライラしちゃった人がいたのかな?」
「っはは、どうだろうね?」
何故かおかしそうに笑うランハートは「いやあ、やっぱり楽しくなってきたな」なんて言うと、上機嫌でカジノを後にしたのだった。
◇◇◇
数日後、私はゼイン様に呼ばれ公爵邸を訪れていた。
いつものように彼の自室に通された私は、どういう態度で臨めば良いか分からず、困惑している。
本来なら小説の中のグレースのように、少しずつ飽きてきたような態度をするべきなのだろうけど、今は悪手としか思えない。
「君はいつもと同じ紅茶でいいか?」
「は、はい……ありがとうございます……」
メイド達はてきぱきとお茶を用意すると、あっという間に出て行く。やがて二人きりになり、私はすぐにティーカップに口をつけた。
「君と会うのは先日のカジノ以来だな」
「げほっ……す、すみません」
まさかいきなり笑顔でその話題を振られると思わず、動揺してしまう。とにかく堂々としていなければと、私は慌てて笑顔を浮かべた。
「そ、そうですね。ゼイン様はカジノで何を?」
「仕事の話をしていただけだ」
「もしかして、エヴァンも一緒ですか?」
「ああ」
やはりそうだったのかと思っていると、ゼイン様はティーカップをソーサーに置き、頬杖を付いた。
「それで、君は何をしていたんだ?」
これ以上ないくらいストレートな質問が飛んできて、冷や汗が止まらなくなる。
とは言え、ここは変化球よりもストレートで返すべきだろうと、私はぎゅっと両手を握りしめた。
「う、浮気をしていたんです!」
「そうか。悲しいな」
頬杖をついたまま表情ひとつ変えず、そう答えたゼイン様はやはりノーダメージだったらしい。
ゼイン様が傷付いていないことでほっとする気持ちと焦燥感、そして何故か寂しいような気持ちなど様々な感情でいっぱいになっていた私は、目を伏せた。
「やっぱり、どうでもいいことですよね……」
「まさか。真逆だよ」
「えっ?」
「あの日だって想像していた以上に苛立って、どうにかなりそうだったからすぐに立ち去っただけだ」
驚いてすぐに顔を上げれば、ゼイン様と視線が絡む。
想像していた、というのはどういう意味だろう。
何より、彼が苛立っていたということにも戸惑いを隠せない。それが本当なら、私を責めることなく笑顔でいた理由も分からなかった。
「グレース」
ゼイン様は私の頬に触れると、名前を呼んだ。
「ランハート・ガードナーと何をしていたんだ?」
「え、ええと……」
「何を話した? どこに触れられた?」
「…………っ」
鼻先が触れ合いそうなくらい、顔が近づく。手を握られ、指先を絡められ、心臓が大きく跳ねた。
「君は本当に悪い女だな」
溶け出しそうなくらいに熱を帯びた瞳に見つめられ、鈍感だと言われている私でも、気付いてしまう。
「……嫉妬、してくれているんですか?」
「それはもう」
ゼイン様はそう言って自嘲するような笑みを浮かべ、私は言葉ひとつ発せなくなっていた。