聖女 グレース・センツベリー 2
会いたいと願いすぎたあまり幻覚を見ているのかとも思ったけれど、何度目を擦っても目の前の光景は変わらないまま。
「どうして、ここに……」
「この辺りでの魔物討伐の仕事を終えて、ここで友人と食事をしていたんだ。君もこの辺りにいる頃だとは思っていたが、こうして会えるとは思わなかったよ」
本当に偶然が重なった結果らしく、神様からのご褒美のような気さえする。
「君が無事で良かった。どうか無理だけはしないでくれ」
「はい、ありがとうございます」
ゼイン様と言葉を交わすだけで、胸がいっぱいになっていく。すると私の隣にいたエヴァンは「良かったですね」と両手を合わせた。
「今も公爵様不足だなんて言って、肩を落としていたので」
「エ、エヴァンは少し黙っていて!」
事実とはいえ、恥ずかしくなる。心配をかけないよう、先日会った時には必死に平気なフリをしたというのに。
「それは大変だ。──おいで、グレース」
ゼイン様はそんな私を見てふっと笑い、私の手を掴んだ。
「次の予定まで三十分ほどは余裕があるんだ。二人きりで話がしたい」
「は、はい! ぜひ」
「周りには俺が上手く言っておくので、ごゆっくり」
笑顔もエヴァンに見送られる中、ゼイン様に手を引かれ、彼の馬車に乗り込む。
ゼイン様は隣り合って座ってすぐ、私を抱き寄せた。
「会いたかった」
「わ、私もです……んっ」
背中に回して顔を上げた途端、唇を塞がれる。
「俺こそグレース不足だったよ。毎日、君のことばかり考えていたくらいには」
その手つきや仕草からはゼイン様らしくない余裕のなさが感じられて、どれほど私に会いたいと思ってくれていたのかが伝わってきた。
「せっかく会えたのに、時間がないのが悔やまれるな」
「この後も討伐に関するお仕事ですか」
「ああ。魔物に関する妙な噂があって、呼び出されている」
噂というのが気になったものの、お仕事の話に首を突っ込むのはよくない気がして、それ以上は何も尋ねないでおく。
その後もゼイン様はずっと私を抱きしめながら、愛の言葉を囁き、触れたりキスをしたりするのを繰り返していた。
「あの、ゼイン様、もう……」
私の気持ちも完全に伝わっているせいか、完全に遠慮がなくなっている。もちろん嬉しいし幸せだけど、ゼイン様はこれまで以上に甘くて、私の心臓は限界だった。
ゼイン様の目を見ることすら恥ずかしくなってきてしまい、長すぎるキスから解放された後、そっとゼイン様の肩を押す。
「グレース」
けれどゼイン様は俯いた私の両頬や耳に触れると、そのまま上を向かせた。逃げるなという意志を感じる瞳から、目を逸らせなくなる。
「君は俺とキスしたくない?」
そんな風に言われて、断れるはずがない。ゼイン様もそれを分かっていて尋ねているだろうから、ずるいと思う。
「口を開けてくれ」
「…………っ」
ゼイン様の黄金の両目に見つめられるともう拒否権なんてなくなり、されるがままになってしまっていた。
三十分後、ゼイン様と甘すぎる時間を過ごした私はもう溶けそうになっていて、馬車から降りた後もふらふらしてしまっていた。
ゼイン様は困ったように微笑みながら、私の頬を撫でる。
「今の君のかわいすぎる顔を他の男には見せたくないな。まっすぐ部屋に向かって、どうかゆっくり休んでほしい」
「わ、分かりました……」
「ありがとう。会えて良かった、また連絡する」
ゼイン様の乗った馬車が見えなくなるまで見送った後は、言われた通りにまっすぐ宿へと向かう。案内された部屋に入ってすぐ、ぼふりとベッドに倒れ込んだ。
「……次はいつ会えるのかしら」
たった今別れたばかりで、さっきまではいっぱいいっぱいだったくせに、もう会いたくて触れたくて仕方ない。
けれど濃すぎる三十分のお蔭で「ゼイン様不足」は無事に解消されたように思う。
寂しい気持ちを込めてぎゅうっと枕を抱きしめながら、次に会える日までまた頑張ろうという決意を胸に、目を閉じたのだった。
◇◇◇
浄化した町から数日かけて、王都に戻った翌日。
久しぶりに自分のベッドで眠ったこと、やはり疲労が溜まっていたこともあり、昼過ぎまでぐっすり寝てしまった。
「ふわあ……」
今日だけは頑張っている自分へのご褒美として、ゆっくり好きに過ごすつもりでいる。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、ヤナ」
ベッドから身体を起こすと、すぐにヤナがやってくる。
ヤナも私の浄化の仕事についてきて世話をすると言ってくれたけれど、信用できるヤナには王都で任せておきたいことも色々あって、残ってもらっていた。
「いつまでも起きてこないので、死んだのかと思いましたよ」
「ぷ! ぱぱ!」
「いてっ、こいつ!」
着替えを終えた頃には、エヴァンとハニワちゃんがやってきた。失礼なエヴァンの発言に対し、ハニワちゃんはすかさず強烈なパンチを繰り出す。
二人は喧嘩するほど仲が良くて、殴り合いをしながらも一緒にいて微笑ましい。
「食事の準備もできていますので」
「ありがとう、早速いただくわ」
そうして朝食か昼食か分からない食事を終えた後は、軽い作業をすることにした。
「す、すごい量ね……」
「はい。これでもある程度の選別はしてあります」
机の上にどっさりと積み上がった招待状の山を前に、呆然としてしまう。社交シーズンが近づいているとはいえ、これほどの量は見たことがない。
私が常に国内を回っていることは誰もが知っているため、直近の予定のものも返事がギリギリになって参加しても問題はないそうだ。
「お嬢様は今や、国一番の人気者と言っても過言ではありませんから」
「本当に噂が一人歩きしすぎているわ……」
本来は純粋無垢な少女だったという謎の話や食堂の話も広まった上、聖女として瘴気を浄化して回っていることもあって、今やグレース・センツベリーは大人気なんだとか。
私をオペラの題材にする話が出ていたり、姿絵も飛ぶように売れたりしているそうで、あまりにも美化されている気がしてならない。
元々のグレースが知ったら「気色悪いわ」なんて言いそうだ。
「……でも、元のグレースってどうなったのかしら」
誰にも聞こえないような小さな声で、独り言ちる。
元の世界でよく読んでいた異世界転生ものの小説や漫画では、なり代わりや転生は「そういうもの」として深く突っ込まれずに描かれていることが多かった。
最初はとにかく自分のことで精一杯であまり考えたことはなかったけれど、バルコニーから落ちた時に元のグレースは命を落とし、その器に私の魂が入ったのだろうか。
気になるものの、いくら考えても答えなんて出るはずもない。
「あ、ランハートからだわ」
そんなことを考えながら招待状を選別していると、ランハートの誕生日パーティーへの招待が来ていた。
彼にはたくさんお世話になっているし、全力でお祝いをしに行かなければ。
「これは行くと返事をしておいて」
「かしこまりました」
以前ランハートと一緒に会いに来てくれた、侯爵令嬢のダナ様からもお茶会のお誘いが来ていて、そちらも参加することにした。
彼女とも手紙や贈り物のやりとりを続けていて、この世界では唯一の同性の友達と言ってもいいだろう。
ダナ様は流行りや社交界事情に詳しく、たくさんのことを勉強させてもらっている。
「それと、このガーデンパーティーと夜会にも参加するわ。あ、この舞踏会も予定が合いそうね。行くって返事をお願い」
いくつもの招待状を束にして渡すと、ヤナは眉根を寄せた。
「お休みが全くなくなりますが、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ」
心配げなヤナに笑顔を向けると、彼女は「それと」と一通の手紙を取り出した。
「こちらはウィンズレット公爵様からです。お嬢様が王都に戻って落ち着き次第、渡してほしいとのことで」
「ありがとう」
つい口元が緩んでしまうのを感じながら、爽やかなブルーの封筒を受け取る。
丁寧に封筒を開けると美しい字で書かれた手紙には、先日遭遇したのが偶然だったこともあり、私を心配していることやゼイン様の近況、今後の予定が綴られていた。
「ゼイン様もランハートの誕生日パーティーに参加するのね」
仕事で多忙な予定の中にはランハートの誕生日パーティーもあり、討伐遠征から予定通り帰ってこられれば、途中から顔を出すそうだ。
きっと私も行くだろうからそこで会えると嬉しいとも書かれていて、ほんの少しでも会えると思うと胸が弾む。
今はマリアベルと共に公爵領にいるというゼイン様へ、すぐに返事を書く。急ぎ届けるようお願いした後、椅子から立ち上がってぐっと両腕を伸ばした。
「よし、着替えて庭へ行くわ! ハニワちゃんも一緒に行きましょう?」
「ぷぽ! ぴぷ!」
良い子に机の上で私の様子を見守ってくれていたハニワちゃんに声をかけると、嬉しそうにお尻を振って飛び跳ねていて、その可愛さにまた笑みがこぼれた。
「わあ、すごく順調に育っているわね。ヤナや庭師の人達のお蔭だわ」
庭園にある畑の真ん中で、私はすくすくと育っている魔草の葉を撫でる。
ここは私の誕生日にヤナが庭師達と作ってくれた私専用の畑で、畑を埋め尽くしているのはエヴァンがプレゼントしてくれた珍しい魔草だ。私が王都を離れている間はずっと、ヤナ達が世話をしてくれている。
「エヴァンが採ってきてくれた魔草は本当に貴重みたいで、この黄色い小さな花がついているものなんて、国の研究機関から観察させてほしいってお願いをされたのよ」
「ああ、それはかなり珍しくて強い魔物の脳天に生えていて、殺さずに丁寧に引き抜く必要があるんですよね。俺の足を食わせている間に抜きました」
「ええっ……だ、大丈夫だったの?」
「腕の良い治癒魔法使いの知り合いがいるので、手足が多少なくなっても平気です」
大したことのないように恐ろしい発言をするエヴァンに対し、視界の端でヤナがドン引きした顔をしているのが見えた。至極当然の反応だろう。
「今度からはもっと安全な方法でお願いね……それに今は私も治癒魔法を使えるから、何かあったらすぐに言ってちょうだい」
習うより慣れろという感じで日々聖魔法を使っているうちに、瘴気の浄化だけでなく、治癒魔法も使えるようになっていた。
「ありがとうございます。ですが、何事にもリスクや犠牲はつきものですから」
全く気にする様子のないエヴァンは、さらっとそんなことを言ってのける。
「確かにそれは正論なんだけど、避けられるものもあると思うの」
目の前の可愛らしい魔草も、多少なりともエヴァンの血を摂取しているのかもしれないと思うと、食用に使用するのはやめておこうと思う。
「でも、この辺りはもう収穫できそうね。クッキーにして食堂で売るのも良さそう」
「でしたら収穫後は、食堂の方に届けておきましょうか?」
「ううん。明日の夜会の前に様子を見に行くつもりだから、直接届けるわ」
ミリエルにある食堂も私が経営していると広まってからはより大盛況で、聖女フィーバーの今、こっそりと様子を見に行くことしかできずにいる。
以前より子どももたくさん訪れるようになり、同じように子どもが無料で食事できるお店も増えているそうで、とても嬉しく思っていた。
「さ、今日はこの辺りの空いているスペースを耕そうっと」
「聖女様が鍬を持って畑を掘り起こしているなんて、誰も想像しないでしょうね」
木の下の日陰でこちらを見ているエヴァンは、暑いのが苦手らしい。
ちなみに今の私は三つ編みにお得意の芋スタイルで、農家の娘にしか見えないだろう。
「よいしょっと……」
鍬を手に畑を耕しながら、ぼんやりと今後のことを考える。
ゼイン様との一年の婚約期間の間に公爵夫人としての仕事についても学ばなければならないし、後半は結婚式の準備で忙しくなるはず。
無事に全ての瘴気を浄化しても聖女としての仕事は尽きないし、まだまだ多忙な日々は続きそうだ。
それでも全て大好きな人たちのため、ゼイン様との未来のためだと思うと、いくらでも頑張れる気がした。
「よし、頑張ろう! 畑仕事の後は食堂の経営についての資料を作ろうかしら」
ゆっくり休む予定だったけれど、時間がもったいない気がしてきてしまう。
そうして気合を入れるのと同時に、ぱたぱたと慌てて使用人がかけてくる。
「お嬢様、お客様です」
今日は来客の予定はなかったはず。それでも取り次ぐメイドのひどく焦った困惑した様子からは、相手がかなりの立場であることが窺えた。
とにかく急ぎ向かおうとした最中、視界に飛び込んできた鮮やかな赤色に足を止める。
「……ど、して」
風に揺れるひとつに束ねられた深紅の長髪に、血のような真っ赤な瞳。
忘れられるはずもないその姿に、どくん、どくん、と心臓が嫌な音を立てる。
「よお、久しぶりだな」
「…………
っ」
そこにいたのは、フィランダー・ゼドニークだった。
──フィランダーは隣国のゼドニーク王国の第三王子で、小説でグレースの顔を切り、腹を刺し、グレースが死にかける原因となる人物だ。
『俺好みの女だな。国へ連れ帰ってやろうか』
『いいな。気の強そうな顔をして怯えてんの、そそるわ』
そして五ヶ月前には兵を率いて、シーウェル王国に攻め込んできた。思わず手に持ったままだった鍬をきつく握りしめて後ずさる。




