グレース・センツベリーの幸福 1
建国記念パーティーから、二週間が経った。
貴族の裁判は時間をかけて行われるものだけれど、誕生したばかりの聖女が殺されかけたというのは、民や諸外国へ悪印象を与えると陛下や国の人間は考えたのだろう。
早急にシャーロットは裁判にかけられ、生涯にわたる領地での禁固刑が言い渡された。
本来もっと重い刑罰が妥当ではあるものの、彼女の場合は魔力暴走──感情が昂り意志とは反して魔力をコントロールできない状態になっていたこと、私も重い刑は望まないという嘆願書を提出した結果だった。
「……これで本当に良かったのかしら」
イザークさんについては「何も知らない」と、一切語ろうとしなかったそうだ。
「シャーロットの望みって、何だったんでしょうね」
「ぷぴ?」
誰に向けたわけでもない問いに、ハニワちゃんは不思議そうに首を傾げる。
報告によると、現在シャーロットは子爵領の小さな屋敷で静かに過ごしているという。
『今度こそ私のことを一番に愛してくれる人ができるんだって、信じてたのに!』
あの日、彼女はそう言っていたことを思い出す。
──最初、シャーロットはゼイン様を好いているからこそ、彼に愛されることを望んでいるのだと思っていた。
けれど、今は違う。彼女は『自分を一番に愛してくれる人』を求めていたのかもしれない。
未だにシャーロットのことを思うと心は晴れないものの、どうかそんな相手が現れて、彼女が穏やかに暮らせているのを祈るばかりだった。
「お嬢様、そろそろお時間ですよ」
「ええ、分かったわ。おいで、ハニワちゃん」
「ぷぴ!」
ヤナに声をかけられ、ハニワちゃんを抱いて立ち上がる。自室を出る際に姿見の前を通ると、真新しい純白の聖女服に身を包む自分と目が合った。
今日のために国から用意されたもので、シンプルながら綺麗なシルエットと白地によく映える金色の刺繍は、清廉さを感じさせる。
当初は肩が出るデザインだったものの、ゼイン様の猛抗議により変更がなされた。
「ハニワちゃんはエヴァンと良い子にしていてね」
「ぴ!」
廊下を歩きながら、少し後ろを歩くエヴァンにハニワちゃんを預ける。
ハニワちゃんの能力についてはまだ分からないことが多いものの、今ではかわいいだけでなくとても頼りがいがある使い魔として、常に行動を共にしていた。
「……パレードのことを思うと、緊張してお腹が痛いんだけど……」
そう、今日は神殿にて聖女として正式に認められる認定式の後、シーウェル国民へのお披露目としてパレードが行われる。
パレードなんて修学旅行で行ったテーマパークでしか見たことがないし、その中心であり主役が自分だというのは違和感しかない。
王都中の中心を馬車で走る中、沿道には数万人の民衆が集まると聞いている。それほど大勢の人が私を一目見るために集まるなんて、人生で一番緊張するのも当然だろう。
「大丈夫ですよ、公爵様と俺も一緒ですし」
「それが本当に救いだわ。よろしくね」
私の警護という建前で、隣にはゼイン様が同乗することになっている。
エヴァンは私達の乗る馬車の御者として、側にいてくれることになっていた。
「それに食堂のことも広まっていて、民のお嬢様への評価は上がり続けていますから」
実はこの二週間の間に一度こっそり食堂の様子を見に行った際、記者に尾行されていたらしく、色々と調べられた結果、新聞に取り上げられてしまったのだ。
まるで芸能人のパパラッチだと思いつつ、自分の現在の立場を改めて実感した。
「はあ……イメージアップのためにしたわけじゃないのに……」
新聞には『正体を隠した聖女が平民や貧しい子どものための食堂を開いていた』と食堂のシステムや評判まで、それはもうご丁寧に書かれていた。
結果、自身への評価や利益のためでなく貧しい子どものために行動する、まさに聖女らしい心優しい女性、という美談として広まっているそうだ。
本当に恥ずかしいのでやめてほしい。
「……でも、そのお蔭で色々と良い方向に変化があって、良かったのかもしれないわ」
食堂は今では常に大行列ができるほどで、訪れる子どもの数も増えたと聞いている。
その上、この仕組みが世の中に知れ渡って評価されたことにより、同じような店を各地に作るという話が上がっていた。
夢物語のように思っていた目標が、現実味を帯びていく。
誰もが私に許可を得ようとするけれどそんな必要はない、いくらでも真似をして少しでも多くの子どもが美味しいご飯を食べられる店を作ってほしい、と伝えてもらっている。
「グレース」
屋敷の外に出ると門の前に停まる馬車の前には、ゼイン様の姿があった。
今日の彼は私に合わせて白と金を基調とした正装を身に纏っていて、陽の光を受けて輝く銀髪は片側だけ耳にかけられ、前髪は軽く上げられている。
嫉妬してしまうほどの色気が漏れており、普段より美しい両の金の目がよく見えて、改めて暴力的な美貌に圧倒されて目眩すらした。
冷たさを感じるほどの美しさでありながら、私を見つけた瞬間、嬉しそうに柔らかく微笑む姿のギャップに、どうしようもなく胸が高鳴ってしまう。
「今日は本当にありがとうございます。よろしくお願いします」
「ああ。今日も君は本当に綺麗だな、誰にもその姿を見せたくないくらい」
「ど、どうも……ゼイン様こそ素敵すぎて心臓に悪いです」
神殿へ向かう馬車の中は二人きりで、いつも通り隣り合って腰を下ろした。
ゼイン様は絶えず私を褒めてくれるものだから、落ち着かない。
そっと逃げるように離れても、余計に距離を詰められるだけだった。
「あの、心臓に悪いのであまりお顔を近づけないでください」
そうお願いすると、ゼイン様は私の首筋に触れ、なぜかさらに顔を近づけてきた。
蜂蜜色の瞳に捉えられ、目を逸らせなくなる。
「君が俺のことで余裕を無くして、戸惑う顔が好きなんだ」
楽しげに笑うゼイン様は「本当にかわいい」なんて言うとより近づいてきて、私の手の甲や首筋、頬に軽く唇を押し当てていく。
ドキドキしてしまうのはもちろん、普段はこんな風にキスをされることがないから、くすぐったくて落ち着かない。
いつもは唇なのに今日はそれ以外の箇所ばかりなのも、上手く言葉にできない、もやもやとした気持ちを膨らませていく。
「ど、どうして……」
手首に口付けられ、思わずそんな問いが溢れる。
ゼイン様は手首から唇を離し「ああ」と呟くと、顔を上げた。
「君の口紅が落ちては困るから」
主語もない問いだったけれど、私が気になっていたことを察し、答えてくれる。
神殿に到着した後は化粧を直す時間もないこと、これから大勢の前に出ることを気にしてのことだったらしい。
行動の意味を理解した私を見て、ゼイン様はふっと口元を緩めた。
「ああ、唇にしてほしかった?」
「…………っ」
即座に否定したいのに、心のどこかでそう思っているのも事実で、何も言えなくなる。
ゼイン様は誰よりも私に優しいくせに、意地悪で。そんなところさえ好きだと思えてしまう私はきっともう、末期なのだろう。
「そんな顔をされると、我慢が効かなくなりそうだ」
自分が今どんな顔をしているのかは分からないまま、ゼイン様に顎を捕らえられる。
何の抵抗もしない私に、ゼイン様が満足げに微笑んだ時だった。
「すみませーん、もう着いたので続きは後ほどお願いします」
馬車の窓をノックする普段通りのエヴァンに声をかけられ、我に返って飛び退く。
動揺と羞恥でいっぱいになる私をよそに、ゼイン様は「残念」「また後で」なんて言い、馬車から降りて私に手を差し出す。
「……もう」
少しだけ頬を膨らませて彼の手を取りながらも、認定式やパレードへの緊張が少し薄れていくのを感じていた。
ゼイン様に迫られる時以上に、ドキドキすることはないと実感させられたお蔭だ。
改めて深呼吸をひとつして、軽く頬を叩く。
「よし、頑張らなきゃ」
これから先はもう、絶対に失敗できない。
しっかりと「聖女」としての努めを果たそうと心に決めて、私は神殿へと歩き出した。