幕間 本当の結末
3話更新してます。
クライヴ子爵領内にある森の奥にある、小さな屋敷。
元々は狩猟の際に使っていたというこの場所に、シャーロット様と俺は暮らしていた。
「シャーロット様、少し散歩をしませんか。少しは陽の光を浴びた方が良いですから」
椅子に座る彼女の前に跪き、小さくて滑らかな手を取って尋ねる。
シャーロット様は小さく首を左右に振ると、長い睫毛を伏せた。快活で明るかった、以前の彼女の姿はもうどこにもない。
──グレース・センツベリーへの殺人未遂で生涯に渡る禁固刑を言い渡された彼女は、一生をこの場所で過ごすことを選んだ。
犯罪者となった彼女は両親や友人達からも見捨てられ、誰も会いにくることはない。
グレースが聖女となって持て囃されている今、グレースの不興を買ってまで、全てを失ったシャーロット様に近づこうとする人間などいないのだろう。
そもそも現在の彼女は、俺以外の他人に会うのを心底嫌がった。
「では、ここでお茶にしましょうか。あなたの好きな茶葉を用意したので」
「……うん」
朝昼晩と俺が食事を用意し、全ての身支度も家事も俺がこなしている。シャーロット様は人形のように俺に世話をされ、俺の側でぼんやりと過ごす日々を送っていた。
まるで世界には二人きりだけだと錯覚してしまうほど、静かで穏やかな時間だった。
「シャーロット様がお好きだった本の続きも届いていたので、後でお持ちします」
「……私、イザークがいないと駄目になりそうね」
「僕が一生お側にいますから、問題ありませんよ」
「本当に? 本当にずっと私の側にいてくれる?」
「はい、この命をかけて誓います」
シャーロット様の美しいエメラルドの瞳を見つめ、はっきりと答える。
すると彼女は大きな瞳に涙を溜め、俺に抱きつくと背中に両腕を回した。
「……ありがとう。こんな私と一緒にいてくれるのはイザークだけよ。みんな私の側からいなくなっちゃったもの」
感動するような様子を見て、口角が釣り上がりそうになるのを堪える。
こんな顔を彼女に見られては全てが水の泡だと、シャーロット様の頭に手を添え、自身の胸元に押し付けた。
きっと今のシャーロット様は、俺をこの世界の誰よりも信頼しているのだろう。
──この状況に彼女を追い込んだのは、他の誰でもない俺だというのに。
全ては邪魔者を排除し、シャーロット様と二人だけで生きていくためだった。
だからこそ俺は今日まで、従順な下僕のふりをしながら彼女を裏切り続けてきた。
グレースを最後まで殺さず、シャーロット様のためだと余計な情報をあえて漏らし、闇魔法に目覚める薬を飲ませ、彼女が暴走を起こすよう仕向けた。
その結果、俺の望んだ結末となり、彼女は罪人として扱われ閉じ込められ、ゼイン・ウィンズレットとの未来も絶たれ、完全に孤立してくれた。
そうとも知らず、俺の腕の中で安心した顔をする愚かな彼女が、愛おしくて仕方ない。
「どうしてイザークは、こんなにも私に良くしてくれるの?」
甘えるように俺の肩に頭を預けたシャーロット様は、そんなことを尋ねてくる。
「シャーロット様が僕や家族を救ってくださったからです」
「……救ったと言っても、大したことはしていないじゃない」
過去に借金で一家心中まで追い込まれた際、俺の容姿を一目見て気に入った彼女は借金を全て返済してくれる代わりに、俺を執事として雇ってくれた。
だが彼女の言う通り、これは建前だ。本当は家族のことなど、どうだって良かった。野垂れ死のうが自らの手で死のうが、何の興味もない。
──彼らは俺がこの世界に転生してきてから、たった数ヶ月間だけ、家族として過ごしただけの赤の他人なのだから。
俺自身、前世も今世もずっと、いつ死んだっていいと思っていた。特に今世は訳の分からない世界に突然やってきて、スラムのような場所で貧しい生活を強いられていたのだから、尚更だ。
『実は私、違う世界から来たの。転生? って言うのかしら』
そんな中、図らずとも俺を救ってくれたのが前世で長年恋焦がれ、遠目で見ているだけだった彼女だと気付いた時には、歓喜で胸が震えた。
生まれて初めて、存在すら信じていなかった神に心から感謝をした。
『おはよう、──くん。いつも綺麗なお花を飾ってくれてありがとう。お花を見るたび私、すごく気持ちが明るくなるの』
彼女は常にクラスの中心にいながら、地味な俺にもいつも気さくに声をかけ、愛らしい笑顔を向けてくれた。
彼女はひどく眩しくて遠くて、俺にとって太陽のような存在だった。そんな彼女と再び異世界で出会えるなんて、まさに運命だろう。
『イザークは本当に良い子ね、大好きよ』
『ずっと私の側にいてね?』
この世界では誰よりも彼女の側にいられる上に、常に彼女を取り囲んでいた性根が腐った女達も、彼女の見かけしか見ていないクソみたいな男達だっていない。
彼女の好みの顔になれたことも、どうしようもなく嬉しかった。
『ヒロインの私はいずれ、ゼイン様と愛し合って結婚するのよ。そして一生、大好きなゼイン様に愛されて幸せに暮らすハッピーエンドを迎えるの!』
だが、シャーロット様が言うにはここは小説の世界で彼女はヒロインであり、いずれ主人公であるゼイン・ウィンズレットと結ばれるらしい。
彼女にとっての運命の相手は、俺ではなかった。
だがそんなこと、許せるはずがない。
だからこそ俺は彼女を裏切り、罠に嵌め、俺の元まで堕ちてくるのを待っていた。
こんなにも上手くいくとは思わず、これでもう彼女は本当に俺だけのものだと思うと、腹の底から笑いが込み上げてくる。
「……イザーク?」
愛おしい彼女の絹のような髪に触れ、唇を落とす。
シャーロット様が俺を異性として意識していないことだって、分かっている。
これから先、時間をかけてゆっくりと彼女からの愛情を得るつもりだった。この小さな屋敷の中で、一生二人きりで過ごしていくのだから。
何より俺は、誰よりも彼女が心から望んでいるものを与えられる自信があった。
「少し街中に買い物に行ってきます。夕食の食材が足りないので」
「だめ! 行かないで、ちゃんと私の側にいて!」
立ち上がろうとするフリをすれば、シャーロット様はすぐに俺の腕を掴んだ。
必死に俺に縋る姿に、どうしようもなく胸が高鳴る。
彼女が求めているのはゼイン・ウィンズレットではなく俺なのだと思うと、これ以上ない満足感が込み上げてくるのが分かった。
「……わ、ワガママを言って、ごめんなさい」
そんな感情に浸っていた俺が黙り込んでいることに対して不安を覚えたのか、シャーロット様は弱々しく謝罪の言葉を紡いだ。
「なぜあなたが謝るのですか?」
「だって私はもう、イザークに何もしてあげられないのに……」
そう呟くシャーロット様にはまだ、俺の愛情が伝わりきっていなかったらしい。俺は金なんて必要なく、ただ彼女の太陽のような笑顔を俺だけに向けてくれれば良かった。
青白い陶器のような頬に触れ、微笑む。
「シャーロット様のお側にいられることが、僕にとって最大の幸福ですから」
嘘まみれの俺でも、この気持ちだけは本当だった。
するとシャーロット様はなぜか、驚いたように目を見開く。そして何故か今にも泣き出しそうな顔をして、ぐっと唇を噛み締めた。
彼女がなぜそんな顔をするのか、俺には分からない。
そんなシャーロット様は俺の頬に両手を添え、至近距離で見つめ合う。
彼女は薄い桃色の唇を開いては閉じるのを、何度も繰り返した。まるで言葉にすることに対して怯え、躊躇っているようだった。
「……ねえ、私のこと好き?」
少しの間の後、彼女が口にしたのはそんな問いで。
こちらの心の中を必死に見透かそうとするような、縋るようなまなざしを向けられる。
そんな心配をしなくとも、俺がシャーロット様へ向ける愛情は本物だというのに。
──彼女は前世で家族も恋人も友人も、誰もが彼女を一番には愛してくれなかったと話していた。みんな嘘吐きで大嫌いだと、涙を流しながら。
それ故にこの世界で運命の相手であるゼイン・ウィンズレットの最愛となり、幸せなハッピーエンドを迎えることができるのが嬉しいのだと、いつも楽しげに話していた。
そんな話を笑顔を貼り付けて聞きながら、いつしか気付いた。
シャーロット様が好きなのは、求めているのは、ゼイン・ウィンズレットではなく「永遠に自分を一番に愛してくれる人間」なのだと。
それなら、俺でいい。俺がいい。俺こそが彼女に相応しい。
だからこそ、この胸にある想いの全てが伝わるよう祈りながら、いつも彼女が好きだと言っていた穏やかな笑みを浮かべた。
「──はい。僕はシャーロット様を何よりも誰よりも一番、愛しています」
すると彼女は愛らしい顔に安堵の色を浮かべ、幼子のように微笑む。
その姿を見つめながら、これが俺と彼女にとってのハッピーエンドだと確信していた。