ヒロインの結末 5
その上、エヴァンに抱えられたまま四方からの攻撃を避けながらとなると、難易度が高すぎて嫌な汗が背中を伝う。
浄化魔法を扱う練習はしてきたけれど、こんな高度なことは想定していなかった。
「グレース!」
そんな中、名前を呼ばれて振り返ると、こちらへ駆けてくるゼイン様の姿があった。
ゼイン様の背後にはサミュエル殿下やボリス様だけでなく、騒ぎを聞きつけたらしい招待客達の姿もある。
シャーロットの闇魔法に気付いた令嬢達は悲鳴を上げていて、それほど忌み嫌われている魔法なのだと改めて実感する。
ゼイン様は私達の側へやってくると「大丈夫か」と声をかけてくれた。
「何があった?」
「シャーロット様が、闇魔法を使って攻撃を……浄化魔法が効くようなので、なんとか彼女の周りの魔力だけを浄化できたらと思っていたんです」
「そうか」
ゼイン様は「分かった」と言うと、冷たい眼差しをシャーロットへと向けた。
視界にゼイン様を捉えているはずなのに、彼女の表情に変化はない。
彼女の深緑の目にはもう光はなく、どこか虚ろだった。エヴァンの言っていた通り闇魔法に呑まれかけていて、自我が失われているのかもしれない。
「君はヘイルと共に浄化を続けてくれ、俺が彼女を取り押さえる」
「分かりました」
私が頷くと、ゼイン様は「ありがとう」と小さく微笑んでくれる。大切なゼイン様の身を守るためにも、必ずやり切らなければ。
「公爵様、これを使ってください」
エヴァンがゼイン様に向かって投げたのは、銀色のブレスレットだった。
魔力を抑える魔道具らしく、犯罪者などに使われるそうだ。シャーロットにこれさえ付けることができれば、暴走も収まるはずだという。
「何かあった時のために持っていて良かったです」
「ああ、助かる」
ゼイン様はブレスレットを左手に握りしめると、シャーロットへ向かって走り出した。
まずはシャーロットに近づくため、ゼイン様の進む先の瘴気を浄化していく。
エヴァンは驚くほど的確に、私が浄化をしやすい場所へ移動してくれる。
やがてシャーロットの半径一メートルほどまで近づくことができた、けれど。
「…………っ」
それよりも先に近づくのはなかなか上手くいかず、苦戦してしまう。シャーロットの青白い肌に当たってしまうことを思うと、怖くて仕方なかった。
私の集中力だって魔力だっていつまでも持たないだろうし、少しのミスでゼイン様も危険な目に遭わせてしまうことになる。
「グレース」
そんな中、ゼイン様が私の名前を呼んだ。
「大丈夫だ。君ならできる」
離れた場所にいるのに、ゼイン様の声ははっきりと心まで届く。今もなお彼を飲み込もうとする黒い魔力を避けながら、ゼイン様は続けた。
「俺は君の失敗くらい、いくらだってカバーできる」
だから何も恐れることはない、何かあったとしても全て俺のせいだと言ってくれたゼイン様に、私は泣きたくなるくらい胸を打たれていた。
大好きなゼイン様にここまで言われて、怖気付いてなんかいられるはずがない。
「エヴァン、お願い」
「お任せください。ただ、公爵様と同時に近づけるのはほんの一瞬です」
「分かったわ」
エヴァンにも私の気持ちが伝わったのだろう。
彼は両足に風を纏い、思い切り地面を蹴った。地面は抉れ、目を開けているのもやっとなほどの速さで、エヴァンはシャーロットへ近づく。
「……ここだわ!」
必死に食らいつき、ゼイン様の向かうべき先──シャーロットの腕をしっかりと捉えた私はその周りに浄化魔法を放った。
絶対に誰も傷付けないと、針に糸を通すように意識を集中させる。
黒い魔力を浄化する光が一際強く輝き、真昼のような明るさが辺りを包む。
「──よくやった、ありがとう」
そしてゼイン様がそう呟いた瞬間、カシャンという音が耳に届く。エヴァンは背後に飛びのき、とんと軽く地面に着地する。
さっと黒い魔力と聖女の光が晴れていき、やがて視線の先には地面にシャーロットを押し付けるゼイン様の姿があった。
シャーロットの手には、銀色のブレスレットがしっかりと嵌められている。辺り一体に広がっていた黒い魔力も、完全に消え去っていた。
「……ゼイン、さま……?」
先程まで仄暗かったシャーロットの瞳には、輝きが戻っている。
闇の魔力が抑えられたことで彼女自身の意識が戻り、今しがたの記憶もないのか、この状況に対して困惑しているようだった。
「私……なんで……」
「すぐに憲兵が来るはずだ、大人しくしていろ」
ゼイン様はそう告げてシャーロットから手を離し、身体を起こす。
けれどゼイン様の腕を、青白い手が掴んだ。
「何の真似だ」
「ねえ、ゼイン様、嫌です! 私を好きになってくれるはずでしょう? 私を一番に愛してくれて、永遠に一緒にいるって、約束してくれるはずじゃない!」
シャーロットは涙ながらに、ゼイン様に必死に訴えかける。
小説のヒロインとしての立場に縋り、何も知らないゼイン様に対して主人公としての役割を押し付ける姿には、苦しくなるほどの痛ましさを感じた。
ゼイン様は無表情のまま、シャーロットの手を振り払う。
「俺が君を好きになることはない。俺が愛しているのはグレースだけだ」
それだけ言い、ゼイン様は彼女の元を離れた。
はらはらとシャーロットの両目からは、大粒の涙が零れていく。
「……う、うあああ……あああ……っ」
シャーロットは子どものように泣き、彼女の声だけが夜の庭園に響き渡る。
──シャーロットは方法を間違え、罪を犯してしまった。
それが許されることではないと分かっていても、やるせない気持ちになって心を刺すような痛みを感じる。この感情はやはり、罪悪感に似ていた。
私は駆けつけた憲兵に連れていかれる彼女の姿を、最後まで見つめていた。