ヒロインの結末 4
シャーロットのことやシャーロットの背景だって、私は知らない。
それでも彼女にとって、ゼイン様は大切で大好きな人で、彼との未来を強く望んでいるのだと知り、胸が張り裂けそうになる。
本来のハッピーエンド──シャーロットがいずれ掴むと信じていた幸せを奪ってしまったことに対して、やはり罪悪感を覚えずにはいられなかった。
「……誰か、私のこと……ひっく……一番に……愛してよぉ……」
子どものように泣きじゃくるシャーロットを前に、何も言えなくなってしまう。
──私はグレースとして転生してすぐ「前世でできなかった夢を叶えたい」と思った。
もしかするとシャーロットも同じような望みを抱いていて、彼女にとってそれは「ゼイン様に愛されること」だったのかもしれない。
私だって小説の通りになるだろうと信じてこれまで行動してきたからこそ、シャーロットもそう思うのも理解できる。
今の私が何を言ったところで、彼女にとっては言い訳にしかならない気がした。それでも。
「……私も気付くのが遅くなってしまったけれど、ここが小説の世界で、彼らが小説に出てくるキャラクターだったとしても、みんな自分の意思を持った人間で確かに生きてる」
何もかもが小説の通りに起こるわけではないことも、誰もが小説の通りに考え、行動するわけではないということも、今は知っている。
「だからこそ、誰を愛するのか選ぶのはゼイン様自身だわ」
シャーロットを見つめてそう告げると、彼女の瞳が揺れた。
その反応から、彼女だって本当はそれを心のどこかで分かっていたものの、認めたくなかったのかもしれないと思った。
私もずっと、小説の展開通りに起こりうる未来に怯え続けていた。
けれどゼイン様のまっすぐな愛情に触れたことで、彼を信じ、不安を抱きながらも違う未来を掴むため、もがいていく決意ができたのだから。
「…………」
シャーロットはしばらく俯いたまま、何も言わなかった。
私が言いたいことは全て伝えたし、イザークさんが私を殺そうとしたのはシャーロットの命令によるものではないということも、察していた。
それが分かった以上、今はもう彼女と話すことはない。イザークさんといることが彼女にとってプラスだとは思えないけれど、先程の様子を見るに私がそこまで口を出すべきではない気がした。
「突然引き止めてしまってごめんなさい。話を聞いてくれてありがとう」
表情が見えないシャーロットにそう告げて、私は彼女に背を向けた。
まだ心は重くなるばかりで、この先も気持ちが完全に晴れることはないだろう。
それでもこうしてシャーロットと向き合い、彼女の気持ちを聞くことができて良かった。
そうして早足で、会場へと戻ろうとした時だった。
「……うるさい、うるさいうるさいうるさい!」
背中越しにシャーロットの叫び声が聞こえてきて、びくりと肩が跳ねる。
振り返った先にいた彼女は俯き「うるさい」「こんなのおかしい」と繰り返していて、私の憧れたヒロインはもうどこにもいなかった。
明らかに普通ではない状態で声を掛けることも躊躇われ、胸の前で両手を握りしめる。
「──グレースなんて、いなくなればいいのに」
やがてシャーロットが低い声で呟いた途端、彼女の身体から、ぶわっと黒いもやのようなものが溢れた。
瘴気に似た嫌な感覚がして、本能的に危険だと悟る。黒いもやは瞬く間に辺りに広がり、こちらへ向かってきた。
「お嬢様!」
すぐに駆けつけてくれたエヴァンは私を抱えて地面を蹴り、後ろに飛び退く。
すんでのところで黒いモヤを避け、シャーロットから離れた場所にすとんと着地したエヴァンは「ふう」と息を吐いた。
「もっと早く呼んでください。勝手に出てきちゃいました」
「ごめんなさい、助かったわ」
まさかシャーロットがこんな行動に出るとは思わず、反応が遅れてしまった。
「あれ、まともに食らっていたら死んでいましたよ」
「…………っ」
今もなお広がっていく黒いもやを見つめながら、エヴァンははっきりと言ってのけた。
その直前にシャーロットが発した「いなくなればいいのに」という、強い怒りがこもった言葉を思い出し、ぞくりと鳥肌が立つ。
間違いなく今のは、私を殺す気だった。
「闇魔法ですよ、あれ。黒いのは全て魔力です。俺も実際に見るのは初めてですが」
「そんな……」
「しかも完全に呑まれかけちゃってますね」
シャーロットが闇魔法使いだなんて、信じられなかった。
──闇魔法は聖魔法や光魔法と対をなし、貴重でありながらも忌避される属性だ。
なぜなら闇魔法は生まれつきでなく後天的に得るもので、魔法使いの心が穢れた結果、元々あった属性が変化すると言われているからだ。
そして感情が昂ると闇魔法に呑まれ、自我を失ってしまう。
小説「運命の騎士と聖なる乙女」の三巻でも闇魔法に呑まれた敵が暴走し、街ひとつを壊滅させるストーリーがあった。
それほど強力で危険な属性の攻撃を受けていることよりも、シャーロットが闇魔法を発現するほど追い込まれていたことに、胸が痛んだ。
「いやー、困りました。俺、女性には手をあげない主義なんです。そもそもあれだけ身体を覆っていると、近づくこともできませんね」
私を抱き抱えたまま、エヴァンはシャーロットの攻撃を避けていく。
確かに過去、悪女のグレースにどんなに罵られても虐げられても、護衛としての仕事を全うしたエヴァンが女性に攻撃するイメージは、全く思い描けない。
それでいて、シャーロットを覆う黒い魔力は濃くなっていくばかりだった。
「ど、どうすれば……」
「お嬢様、あの黒いのどうにかなりませんか? あれさえなければどうにかなるかと」
そう言われて、はっとする。瘴気に似た感覚がする以上、聖女の力で浄化できるかもしれない。
「分かった、やってみる」
左手でエヴァンの肩を掴みながら、右手を襲いかかってくる黒い魔力へと向ける。
まずは確認として狭い範囲に浄化魔法を放つと、霧が晴れるように消えていった。
「良かった、効いたわ! ベイエルの時みたいに辺り一体を浄化すればいいのよね」
「それはそうなんですが、あの人に当たると溶けるかもしれません」
「とける?」
「はい、どろっと」
「……嘘でしょう」
魔力というのは人体と密接に関わっており、私達の体内を循環しているらしい。魔法使いの身体の一部といっても過言ではない。
闇の魔力を浄化すれば、シャーロットの肉体にも影響が出る可能性があるという。
「つ、つまりシャーロット自体は避けながら、彼女の周りにある黒い魔力だけを浄化する必要があるってこと……?」
「そうなりますね。頑張ってください」
思いきり他人事のように、エヴァンは爽やかな笑顔で親指を立てた。