聖女の力 7
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これまでは自分のことだけで精一杯で周りに目を向けられていなかったけれど、小高い場所にあるここからは、街の様子がよく見える。
「…………っ」
街の人々は必死に瘴気や火の手から逃げ惑っていて、ゼドニークの騎士達によって荒らされたこともあり、美しかった街は変わり果てていた。
「この街はどうなってしまうんですか?」
「これほど瘴気が溢れているとなると、いずれ閉鎖されるだろう」
「そんな……」
瘴気がこれほど湧いてしまった以上、大勢の魔法使いによって結界を張り、街ごと封印する形をとるという。
もちろん全ての住民は、この土地を離れなければならない。あんなにも賑わっていて綺麗な街で、みんな幸せそうに笑っていたのに。
この一瞬でその全てが失われてしまうことに、言いようのない喪失感と恐怖感を覚えた。
何より小説ではシャーロットが舞台の浄化をするため、そんな描写はなかった。
「お嬢様?」
「…………」
本当にこのまま逃げるだけで良いのかと、躊躇ってしまう。
それでも私にできることなんてなく、この場にいたってやはり足手まといになることも分かっていた。
「おとうさあん、おかあさん……うああん……」
少し離れた場所でひとり彷徨いながら泣いている子どもの姿に、胸が締め付けられる。
思わず駆け寄ろうとした途端、私の行く手を阻むようにゼイン様が片腕で静止した。
「俺はここに残る。すまないが、二人を頼む」
「分かりました」
ゼイン様はエヴァンに声をかけ、エヴァンも表情ひとつ変えずに頷く。
私が何を考えているのか分かったらしいエヴァンは、ハニワちゃんにマリアベルを抱えるように言い、逃さないと言わんばかりに私を抱えた。
「待ってください、ゼイン様だって瘴気を浴びれば……!」
「すぐに追いつくから、先に行っていてくれ」
いつもみたいに大丈夫だとは言ってくれないことで、余計に不安が込み上げてくる。
けれど誰よりも正義感が強くて優しいゼイン様が、この状況で街を離れられるはずがないことだって理解していた。
「エヴァン、お願いだから離して!」
「それだけはできません」
私の身体にきつく腕を回し、エヴァンは走り出す。
ハニワちゃんも再び大きくなると、マリアベルを抱き抱えてその後をついてくる。それを確認したゼイン様は眉尻を下げて微笑み、こちらへ背を向けた。
そしてまっすぐに先程の子どもの元へと向かっていく。
「…………っ」
何もできない自分が悔しくてやるせなくて、きつく唇を噛み締めた。
だんだんと小さくなっていくゼイン様の背中に、縋るように手を伸ばす。無力な端役であることを、これほど呪ったことはなかった。
──私だって大好きな人達を、愛する人を守る力がほしい。
そんな叶わぬ願いを抱くと同時に視界に飛び込んできたのは、この辺り一体に押し寄せてきている瘴気の波で、血の気が引いていく。
『ねえ、瘴気を浴びたらどうなるかしら』
『量によっては死にますよ。少量なら病にかかるかもしれないくらいですかね』
あんなものをまともに浴びれば、誰もが無事ではいられないのは明白だった。
子どもや辺りにいた人々を庇おうとしているゼイン様だって、例外ではない。
「ゼイン様! ゼイン様……!」
絶対に愛する彼を失いたくなくて、泣き叫ぶように何度も名前を呼ぶ。
そうしてゼイン様に向かって届くはずのない手を伸ばし続けながら、心の底から「ゼイン様を守りたい」と強く祈った瞬間──私の右手からは眩い金色の光が放たれた。
呆然としながらも、この温かくて美しい光には覚えがあることに気付く。
「……これ、まさか……」
金色の光は輝きを増していき、瞬く間に辺りへと広がる。
視界に入る街の中は全て光に包まれており、目には見えなくとも、今もなおその範囲が広がっていくのが分かった。
エヴァンもマリアベルも息を呑み、私を見つめている。
やがてエヴァンは何かを察したのか立ち止まり、私を地面に降ろしてくれた。
「……グレース……?」
少し先にいるゼイン様も歩みを止め、両目を見開いてこちらを見ている。
私は自然と自分がどうすべきなのかを理解していて、もう一方の手も前へ突き出すと、自身の持つ全ての魔力を出し切るように放つ。
──どうかこの街の瘴気が全て消えますようにと、願いながら。
「…………っ」
これまで経験したことのない速さで、身体中の魔力が持っていかれる。
それでも唇を噛み締め、両の足を地面にしっかりとつけて、魔法を使い続けた。
「グレースお姉様……」
「お嬢様って、本当に予想外のことをしでかしてくれますよね」
泣きそうな顔をしたマリアベルと楽しげに笑うエヴァンに、なんとか笑顔を向ける。
肩で汗を拭い、再びまっすぐ前を見据えた。
「瘴気が、消えていく……」
「嘘だろう? こんなことがあり得るのか」
「こんなの、どう見たって──……」
辺りにいた人々も私の姿を見て、口々に戸惑いの声を漏らしている。
先程まで押し寄せていた瘴気は見渡す限り消えていて、みんな無事みたいだった。
「……う、……く……」
とはいえ、私自身は既に限界が近付いているらしく、強い目眩に襲われる。
少しふらついてしまったものの、誰かが後ろから抱きしめるように支えてくれた。
振り返って顔を見ずとも、すぐに誰なのかは分かった。
「……君が聖女だったんだな。母と同じ、優しくて温かな光だ」
懐かしむような、愛おしむようなゼイン様の声に、胸の奥が締め付けられる。
ゼイン様の言葉や温もりを胸に、私はまだ頑張れるはずだと前を向く。
最後の最後まで、自分の持てる力全てを振り絞る。
「……お願い……!」
そして自身の魔力が空っぽになる感覚がしたのと同時に、先程まで感じていた瘴気の気配が一切なくなった。
無事に全ての瘴気を浄化できたのだと理解した途端、安堵からどっと全身の力が抜け、立っていられなくなる。
そんな私をゼイン様はきつく抱きしめてくれた。
「……はあっ、……はぁ……っ……」
息も上がり心臓の辺りがひどく痛んで、動悸が止まらない。
魔力を使い切ることが危険だというのも、エヴァンに最初に魔法を習った際、しっかり言い聞かせられていた。
けれど後悔なんて、するはずがない。
「……よ、……かった、です……」
良かったという言葉すら上手く紡げなかったけれど、ゼイン様には伝わったらしい。
「……ああ、本当にありがとう」
ゼイン様も泣きそうな顔で微笑んでくれて、つられて笑みが溢れた。
震える手を伸ばし、ゼイン様の頬に触れる。今度は届いた、なんて思いながら。
──ゼイン様を救うことができて、本当に良かった。
静かに瞳から流れていく涙を、ゼイン様が指先でそっと拭ってくれる。
「聖女様のお蔭で助かったぞ!」
「この街を守ってくださって、ありがとうございます……!」
そんな街の人々の声が聞こえてきてほっとしながらも、端役である私──グレース・センツベリーが「聖女様」と呼ばれていることに、違和感を覚えていた。
そして、今になって気付く。
聖女の力を発現した人物や場所や時期は違っても、小説の通りの展開だということに。
「……グレース?」
だんだんと倦怠感は強くなり、目を開けていられないほど瞼が重くなっていく。
「ごめんなさい、少しだけ、休みます……」
ゼイン様に心配をかけたくなくて、なんとかそれだけ言うと、私は静かに目を閉じた。
「──へえ、やっぱり良いな、あの女。なおさら欲しくなった」
離れた場所からフィランダーがそう呟いていたことを私が知るのは、まだ先になる。