聖女の力 4
登場は多くない敵キャラではあるものの、その美貌を好む一部からは絶大な人気のあるキャラだったことを思い出す。
「俺好みの女だな。国へ連れ帰ってやろうか」
小説と同じセリフに、心臓が嫌な音を立てていく。
小説とは違いエヴァンが側にいてくれていても、恐怖心が込み上げてくる。ここで間違えれば、腹部を剣で貫かれる未来だってあるのだから。
とにかくここで間違えてはいけないときつく両手を握りしめ、必死に言葉を選ぶ。
そんな様子を見ていたフィランダーは「ははっ」と楽しげな笑い声を上げた。
「いいな。気の強そうな顔で怯えてんの、そそるわ」
「……申し訳ありませんが、私はこの国を離れるつもりはありません」
「悪いなあ、俺は欲しいと思ったものは手に入れないと気が済まないんだ」
フィランダーはそう言ってのけると、近くにいた部下に私を捕まえるように命じた。串刺しは避けられたものの、予想外の展開に動揺を隠せなくなる。
エヴァンは静かに剣を抜くと、首だけこちらを振り返った。
「あいつ、ムカつくんでやっちゃってもいいですか」
「え、ええ。ゼドニーク王国の第二王子だから、正当防衛って形で上手くやってほしいの」
「お嬢様って物知りですよね。任せてください」
エヴァンはいつもと変わらない笑みを浮かべると、地面を蹴り、こちらへ向かってくる騎士たちを切り伏せていく。
対人戦を見るのは初めてだったけれど、改めてエヴァンという騎士がどれほど強いのかを実感していた。素人目にも、圧倒的な力の差が見て取れる。
フィランダーは大きな黒馬の上で、その様子を楽しげに眺めていた。
──小説でフィランダーは、ゼイン様と剣を交えることとなる。
結果的にはもちろん主人公であるゼイン様が勝つものの、フィランダーはかなり強い魔法使いであり騎士だという描写があった。
目の前の騎士たちが全て倒されれば、次に出てくるのは彼だという確信がある。
「大丈夫ですか?」
「は、はい」
イザークさんも私達を庇うように立ち、心配げな視線をこちらへ向けていた。
エヴァンが負けるはずはないと分かっていても、胸騒ぎは収まらない。
「……何か、嫌な感じがする」
ぞわりと鳥肌が立ち、無意識にマリアベルを抱き寄せた。ラヴィネン大森林で魔道具を壊した時と同じ、穢れ澱んだ空気が辺りに広がっていくのを感じる。
そしてそれを感じ取ったのは、私だけではなかったらしい。
「チッ、この辺りまで瘴気が湧いてきやがったか」
「お嬢様、ここから急ぎ離れてください!」
こんな都市部にまで瘴気が溢れてきているなんて、間違いなく異常事態だった。
私は急ぎハンカチを出してマリアベルの口元を覆うと、エヴァンの名前を呼んだ。
「俺はこいつらを倒してから行くので、侯爵家の護衛と逃げてください」
「でも、エヴァンが……!」
「俺は割と瘴気に耐性がありますし、防御用の魔道具もあるので大丈夫です」
エヴァンを置いていくことに抵抗はあったものの、ここにいても足手まといになって心配をかけるだけだというのも分かっている。
「僕もそれなりに魔法は使えますし、この辺りの土地勘もあります。行きましょう」
イザークさんの言葉にも背中を押された私は、ぐっと唇を噛んで頷いた。
「分かったわ、ありがとう。また後でね」
「はい。ハニワちゃん、お嬢様を頼む」
「ぱぴ!」
二人のそんなやりとりに少しだけ心が軽くなるのを感じながら、私はイザークさんと顔を見合わせ、マリアベルの手を掴んで走り出した。
エヴァンなら大丈夫だと、心から信じられる。
「こちらです!」
それからはイザークさんの指示に従い、夢中で走った。普段こうして走ることなんてないであろうマリアベルは苦しそうで、それでも弱音ひとつ吐かずに必死に足を動かしてくれている。
あちらこちらから瘴気の気配がして、本当に世界が変わってしまっているのを感じた。
「はあっ、はあ……」
人気のない道へ進んでいく中、少しずつ違和感が積み重なっていく。
走れば走るほど、瘴気が濃くなっていくような感覚がする。はっきりとした根拠はないけれどこれ以上、彼に付いていってはいけない気がした。
マリアベルの顔色もどんどん悪くなっているようで、私は少し悩んだ後、足を止めた。
「あの、待ってください!」
声を掛けると、私の少し前を走っていたイザークさんも立ち止まる。
マリアベルも不思議な顔をして「お姉様……?」と私を見上げていた。
「どうかされたんですか?」
「私、やっぱり戻ります。エヴァンが戻ってくるのを待ちたいので」
「あの場にいては危険です、ゼドニークの兵士達の姿をあなたも見たでしょう?」
「……それでも、戻ります」
不安な気持ちはあるけれど、そうするのが良い気がした。そんな私を励ますように、肩に乗っていたハニワちゃんも「ぷ!」と笑顔を向けてくれる。
マリアベルも私に付いていくと言ってくれて、安堵しながらイザークさんに向き直った。
「ここまで一緒にいてくださって、ありがとうございました」
「…………」
お礼を告げた途端、無言になったイザークさんは私の腕を掴んだ。
「イザークさん……?」
痛いくらいに腕を握られ、心臓が嫌な音を立てていく。不安げに名前を呼ぶと、イザークさんの顔から笑みが消えた。
同時にぐっと腕に爪を立てられ、痛みが走る。
「……こんな時に限って察しが良いとは、どこまでも面倒な人ですね」