聖女の力 1
朝早くに屋敷を出て、公爵邸へマリアベルを迎えに行った後、侯爵領へ出発した。
ゼイン様も一緒に行きたいと言ってくれていたものの、魔物の討伐の仕事で休みが取れなかったそうで、エヴァンとマリアベル、複数の護衛と共に向かっている。
『再来週、マリアベルと二週間ほどかけてロブソン侯爵領へ行ってきますね』
最初にそう報告した際、ゼイン様は何故か驚いたような反応をした。そして少しの後、私をきつく抱きしめて「分かった」と呟いた。
『……ありがとう』
なぜお礼を言われるのか分からずにいると、ゼイン様は私の肩に顔を埋めた。
広い背中に腕を回しながらその言葉の意味を理解するのに、少しの時間を要した。
──私はこれまで遠出をする際、ゼイン様と別れるために彼には何も言わずにいた。
アルに調べられていたことで行き先も全てバレていて、ゼイン様はいつも余裕のある態度だったけれど、本当は悲しんだり傷ついたりしていたのかもしれない。
全てが筒抜けだったとしても、ゼイン様が私と別れるために何も言わずにいなくなってしまったら、間違いなくそうなってしまうだろう。
『本当にごめんなさい。もう絶対に何も言わずにいなくなったりしません』
『ああ』
それでもずっと私を想い続けてくれていたゼイン様を、大切にしたいと心から思う。
ちなみにゼイン様は「ウォーレンとは必要最低限の会話にしてほしい」「できることなら会ってほしくない」とも言っていたけれど、一体なぜなのだろう。
そんなことを思い出していると、出発したばかりなのにもう会いたくなってしまい、気持ちを切り替えるために窓の外へ視線を向けた。
王都からは結構な距離があって、馬車で五日ほどかかる場所だそうだ。
「最近はこの辺りでも魔物の目撃情報があったそうなので、怖いです」
「俺さえいれば、絶対に大丈夫ですよ」
馬車に揺られながら不安げに話したマリアベルに対し、エヴァンは何てことないように断言してみせた。
エヴァンのこういうところは本当に頼りになるし、格好いいと思う。
「ふふ、そうですね。エヴァン様がいてくださって良かったです」
安堵の笑みを浮かべるマリアベルはエヴァンに憧れているらしく、どうかその気持ちが間違って恋心にならないことを、私もゼイン様も心から祈っている。
「ぱぴ、ぽぷ!」
「ハニワちゃんも張り切っているみたいね」
私の膝の上にちょこんと座っているハニワちゃんもぐっと両腕に力を入れていて、そのかわいらしさと健気さに口元が緩む。
「いざという時、魔物と戦えるんですかね。一応、軽く戦闘訓練はしていますけど」
「確かに気にはなるけど、ハニワちゃんには怪我をしてほしくないのよね」
そもそも使い魔というのは、魔物との戦闘に使われることも多いと聞く。エヴァンやゼイン様ほどになると、自分で戦う方が早いから必要ないらしいけれど。
エヴァンを本気で殴る時なんかは腕がとても大きく太くなるし、試したことはないものの、実は結構戦えたりするのかもしれない。
「土でできているので痛みはないし、何度崩れたって平気ですよ」
「それでも嫌なものは嫌だもの。マリアベルも分かるでしょう?」
「はい、ハニワちゃんが傷付く姿は見たくありません」
エヴァンは「変なの」と首を傾げているけれど、きっとヤナも同意してくれるはず。
当のハニワちゃん本人は「ぷ?」と不思議そうな顔をしていた。
やがて到着した侯爵領は見渡す限り自然に囲まれた、穏やかな場所だった。
煉瓦造りの大きな屋敷の前で馬車が停まり、エヴァンのエスコートを受けて下車したマリアベルは、途端にぱあっと表情を明るくして走り出した。
「ウォーレン様、お久しぶりです!」
「ようこそ、待っていましたよ」
飛びつくようにしてマリアベルが抱きついたのは、ミルクティー色の少し長めの髪をした長身の男性だった。
愛しげに細められた両目は、マリアベルやゼイン様と同じ色をしている。
「グレースお姉様、こちらがウォーレン叔父様です」
「えっ」
二十代後半にしか見えない彼は叔父様というより、お兄様にしか見えない。
ゼイン様のお母様に魔法を教えてもらっていた従姉弟と聞いており、私達の親世代くらいの年上男性をイメージしていたため、驚きを隠せない。
「ようこそいらっしゃいました、ウォーレン・ロブソンです。よろしくお願いします」
「お初にお目にかかります、グレース・センツベリーと申します」
現在は三十四歳らしく、実年齢よりもずっと若く見える。それでいて目元や雰囲気は少しだけゼイン様に似ていて、かなりの美形だった。