幕間 主人公とヒロイン
大勢の招待客がいるパーティ会場にて、一際目立つ彼は遠目でもすぐに見つけられた。
眩しい銀色を視界に捉えるだけで、胸が高鳴る。
「ウィンズレット公爵様もいらしていたんですね」
「君は……」
人混みをすり抜けて彼の側へと向かい、偶然すれ違ったように装って声をかける。するとゼイン様は私を見た途端、大好きな金色の両目を見開いた。
──本当は今日、ゼイン様がこの舞踏会に来ると調べた上で参加した。
グレースのせいで小説のストーリーが全て狂ってしまい、ヒロインの私がこうでもしないと会えないなんて、絶対に間違っている。
(どこからストーリーが変わったの? 冒頭通り、マリアベルが死ねば変わるのかしら)
やがてゼイン様は、ふっと口元を緩めた。ゼイン様が誰にでも笑いかけないことだって、よく知っている。
やっぱり運命の相手である私を、特別に思ってくれているのかもしれない。
「お会いできて嬉しいです。実は公爵様にお話したいことがあって……」
「ああ、俺もちょうど君に会いたいと思っていたんだ」
「えっ?」
そんな言葉に、どきりと心臓が跳ねる。
(どういうこと? 本当は私のことを……?)
心臓が早鐘を打つのを感じながら、二人きりで話がしたいと言うゼイン様についていき、ホールを出て人気のない廊下に出る。
薄暗い廊下でゼイン様に向き直ると、窓越しに見える美しい月を背景に立つ彼の姿はあまりにも綺麗で、見惚れてしまう。ヒロインの私に釣り合うのはゼイン様だけだと、改めて実感する。
「話というのは?」
「……実はグレース様が、公爵様以外の男性と親しくしているようなんです」
「へえ?」
今の私がゼイン様を手に入れるためにすべきなのは、グレース・センツベリーを小説通りの悪女に仕立て上げた上で、二人を別れさせることだろう。
そうすれば、あの舞踏会の日からやり直せるはず。
そのためにイザークはグレースに近づき、順調に距離を縮めているようだった。少しずつ時間をかけて、ゼイン様にグレースへの不信感を与えていかなければ。
「私の友人にも過去、グレース様に虐げられた方は大勢いますし、かなり親しくされていた男性もたくさん存じ上げています」
「……それで?」
「人というのは簡単には変われません。ですから、公爵様が心配で……」
グレースの悪事や男遊びといった過去は、絶対に消えない。ゼイン様だって絶対に、そういった話は耳にしたことがあるに違いない。
こうして事実を突きつけて揺さぶりをかけていけば、どんな人だって不安や懐疑心を抱くはず。
そう、思っていたのに。
「言いたいことはそれだけか?」
「……え」
「忠告、感謝するよ。だが俺はグレースを信じているし問題はない」
ゼイン様は一切の動揺も見せず、そう言ってのける。心の底からグレースを信じ切っていることが窺えて、頭を思い切り殴られたような思いがした。
その上、黄金の瞳はひどく冷え切っていて、軽蔑するような視線を向けられる。
「で、でも……」
「君こそ不信感を抱くグレースになぜ近付いた? あの茶会に参加していた人間は皆、彼女に敵意を抱いていた人間だった。毒蛇を用意したのも君なんじゃないか?」
「そんな、私は何も……! ただ最初は、グレース様と親しくなりたかっただけで……」
必死に否定しても、ゼイン様の眼差しは氷のように冷たいまま。まさかゼイン様がそこまで調べていたなんて、想像すらしていなかった。
(どうしよう、どうしたらゼイン様は私をちゃんと見てくれる……?)
気が付けば私は壁際まで追い詰められていて、戸惑う私の顔の真横に、どんっと硬く握りしめられた拳を叩きつけられる。
ぞっとするほど強い圧による恐怖でびくりと身体が跳ね、息を呑む。ゼイン様は本気で怒っているのだと、全身で思い知らされていた。
「金輪際、俺とグレースに関わらないでくれないか」
「ど、して……」
「俺は愛する彼女を傷付ける人間には容赦しない」
「…………っ」
「二度と俺の前に現れないでくれ」
それだけ言い、ゼイン様は純白のジャケットを翻して去っていく。
一人残された私はずるずるとしゃがみ込み、その背中を見つめることしかできずにいた。今しがた起きたことの全てが信じられなくて、頭が真っ白になる。
──あんなの、ゼイン様じゃない。
「……だって、ゼイン様はこんな風にシャーロットに怒ったりなんかしないし、いつだって優しい笑顔を向けて宝物みたいに触れるのに……いや、いやよあんなの! 絶対におかしい! グレースのせいで本当に変わっちゃったんだわ……」
ゼイン様はもう私の声なんて届かないくらい、グレースに毒されてしまっている。悲しくて悔しくて惨めで、腹立たしくて、視界が揺れた。
(愛されるべきヒロインの私が、どうしてこんな思いをしなくちゃいけないの?)
全てはグレース・センツベリーのせいで、ふつふつと怒りが込み上げてくる。私より先に出会い、小説の知識を利用してゼイン様を誑かしたに違いない。
絶対に許せないと、きつくドレスを握りしめる。このままではきっと、ゼイン様は私を愛してはくれない。
そして全て本来の小説通りにすることは不可能だということも、思い知らされていた。だからもう、諸悪の根源であるグレースには消えてもらうしかない。
そうすればゼイン様の目も覚めるだろうし、今度こそ傷付いたゼイン様を私が癒してあげれば、きっと元に戻れるはずだから。
「……グレースなんて、死んじゃえばいいんだわ」