優しい人 2
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大きなテーブルがこちらに向かってひっくり返され、すんでのところで躱す。
「────!」
けれど次の瞬間には大きな酒瓶が振りかざされていて、このままでは頭に直撃する、もう避けられないと悟った時だった。
温かい何かに抱きしめられ、視界がぶれる。そのまま地面に倒れ込んだものの、いつまでも痛みがくることはない。
何が起きたのだろうと顔を上げた私の顔に、ぽたぽたと赤い液体が滴り落ちてくる。
それが私を抱きしめるイザークさんの額から垂れている血だと気付くのと同時に、彼が身を挺して庇ってくれたのだと理解した。
「イザークさん、大丈夫ですか!?」
「はい。あなたこそ怪我はありませんか?」
「…………っ」
こんな状況でも私の心配をしてくれるイザークさんの優しさに、胸を打たれる。
イザークさんを気遣いながら身体を起こすと、酒瓶を持った男性はひどく動揺した様子でこちらを見ていた。
「……違う……俺は、こんなつもりじゃ……この女が生意気だから……」
イザークさんの怪我を見て、自身のしでかしたことの大きさに気付き、酔いが冷めて冷静になったのだろう。
「お前らが悪いんだ! 俺は悪くない!」
周りにいた男性客達が取り押さえようとしたところ、酒瓶を投げ捨てて逃げ出す。
このまま逃がすのは許せないものの、優先すべきは怪我をしたイザークさんだった。
「ごめんなさい、私を庇ったばかりに……すぐに手当をしますから!」
「お嬢様、大丈夫ですか!?」
「ええ。私は無傷だから、イザークさんをお願い」
救急箱を手に駆け寄ってきてくれたヤナは裏で仕事をしていて、騒ぎに気付くのが遅くなったそうだ。
イザークさんの怪我は出血量が多いものの、傷自体は深くないようで安堵した。
「助けてくださって、本当にありがとうございました」
「お役に立てて良かったです。魔法を使うなり他に方法があったはずなのに、咄嗟のことでこんな怪我をしてしまい……お恥ずかしい限りです」
「そんなことはありません! イザークさんが助けてくださっていなかったら、今頃どうなっていたか……」
床に転がっている瓶へ視線を向け、下手をすれば死んでいたかもしれないと、ぞっとしながら自身の身体を抱きしめた。
身を挺して守ってくれたイザークさんには、感謝してもしきれない。いくら酔っていたとはいえ、あんな殺人未遂レベルの暴力に走るとは思わなかった。
「絶対に許せません。死罪でもぬるいくらいです」
「ええ。でも、呼びに行ってもらった自警団は間に合わなかったでしょうね」
本気で怒っているヤナに、深く同意する。
けれどこのまま何の処罰も受けないなんて、絶対にあってはならない。あれほどの酒癖はもう病気のようなものだし、また同じことを繰り返すのは目に見えている。
センツベリー侯爵家の力を使ってでも必ず捕まえると決意したところで、来客を知らせるドアのベルがちりんと鳴った。
こんな状況では営業どころではないし、今来てくれたお客さんには帰ってもらい、現在店内にいるお客さんにも謝罪しなければ。
「……エヴァン?」
そんなことを考えている中、店内へ入ってきたのはエヴァンだった。
そして彼が右手に持っているものを見た瞬間、口からは間の抜けた声が漏れる。
「迷っていた業者をここまで案内した後、妙な奴が店から飛び出してきたんでぶん殴って捕まえてみたんですけど、何かあったんですか?」
なんとエヴァンは気絶している先ほど暴れた男性の首根っこを掴んでいて、あっさりと予想外の形で決着がついたのだった。
──その後、男性は駆けつけた自警団によって連れて行かれた。私やイザークさんへの暴行や器物損壊などの罪により、処罰を受けることになるそうで安心した。
店内で騒ぎが起き、店のイメージが悪くなることを心配したものの、男性は最近あちこちで酔っては暴れるのを繰り返していた迷惑客らしく、むしろ感謝される結果となった。
「イザークさん、改めてありがとうございました。やっぱり病院へ行きませんか?」
「いえ、これくらい問題ありません。お気になさらないでください」
ヤナが簡易的な手当をしたけれど、一応は病院で診てもらった方がいいはず。何度かそう言ったけれど、イザークさんは問題ないと微笑むばかりだった。
お礼をしたいと言っても、これくらい当然のことだと言って断られてしまう。
「では、良かったらまたぜひ来てください。たくさんご馳走しますので!」
「ありがとうございます。この店の料理がとても好きなので、嬉しいです」
店内にいたお客さん達にもきちんと謝罪をして、即席で作った後日無料でランチプレートを食べられるチケットを配ってある。
お店の中も掃除と片付けをして、明日から通常通りの営業ができそうで良かった。
「それでは僕はそろそろ失礼します。手当をしてくださり、ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました! どうかお気をつけてくださいね」
「はい。あなたが無事で本当に良かったです」
小さく礼をして出ていくイザークさんはどこまでも良い人で、感動してしまう。
ヤナや従業員達も同じらしく、アニエスは「私将来はあんな素敵な人と結婚したいです」なんて言っている。
確かにあれほど優しくて紳士な男性は、なかなかいないだろう。
みんながイザークさんを褒め称える中、私の隣に立っているエヴァンだけは静かだった。
「どうかした?」
「何でもありません。ただあの人、なんだか胡散臭く思えるんですよね。根拠はないしただの勘なんですけど、俺のこういうのってよく当たるので」
「もう、あんな怪我をしてまで助けてくださったのよ。失礼なこと言わないの」
いつものように軽い調子でそう言った私は、エヴァンもいつも通り「そうですよね」なんて言って笑ってくれると思っていたのに。
イザークさんが出て行ったドアを無表情で見つめるエヴァンは、無言のままだった。