最高の誕生日 6
翌朝、目が覚めていつものように腕を伸ばそうとしたところで、両腕にとてつもない違和感を覚えてしまう。
そして目を開けた私は、目の前の光景を見た瞬間、声にならない悲鳴を上げた。
「──っ!?」
「おはよう、ようやく目が覚めたんだな」
目の前には恋人であるゼイン様がいて、私はがっしりと彼の身体に両腕を回して抱きついているという状況だったからだ。
もはやパニックになり今日は天気が良さそうだとか、ゼイン様は寝起きからこんなにも眩しくて美しいんだとか、どうでも良いことばかりが脳内を駆け巡る。
「なぜここに、と言いたげな顔をしているから説明しようか。昨晩、グレースが完全に寝静まった後、ベッドを抜け出そうとしたらいきなりしがみ付かれた」
「えっ」
「なんとか腕を離そうとしても抵抗された挙句『いや』『いかないで』と泣かれてしまって、もう諦めてこのままいることにしたんだ」
「…………」
確かに昨晩、何かに縋るような夢を見た記憶がぼんやりとある。あまりにも申し訳なくて恥ずかしくて、布団を引き上げて目元まで被った。
「ほ、本当にごめんなさい、でもお蔭でぐっすり眠れました。ゼイン様は……?」
「眠れるわけがないだろう」
「えっ」
「俺の意志の強さに感謝してほしいくらいだ」
じわじわと顔が熱くなっていき、私はがばっと身体を起こした後、ベッドの上に両手と頭をついた。誕生日だったとはいえ、あまりにも迷惑をかけすぎている。
ゼイン様は身体を起こすと私の頭をくしゃりと撫で、小さく笑った。
「着替えてくるよ。食堂でまた会おう」
「は、はい! 本当にありがとうございました」
今度こそ見送ろうとしたものの、寂しさを感じてしまう私はどうしようもないと思う。
気持ちが顔に出てしまっていたのか、ゼイン様は眉尻を下げて微笑んだ。
「そんな顔をしないでくれ。ずっと二人で部屋に籠もっていたくなる」
そうして部屋の前まで送ろうとドアを開けた瞬間、ちょうど目の前の廊下を通ったエヴァンにばったり出会した。その肩にはハニワちゃんの姿もある。
「ぺぴぽ!」
エヴァンは私とゼイン様の顔を見比べた後、彼らしくない、ひどく戸惑った顔をして「見なかったことにしますね」なんて言う。
その反応から彼が何を想像したのか察してしまい、顔に熱が集まっていく。
「ち、違うの! ただ一緒のベッドの上で横になっていただけで……!」
必死に否定しながら掴みかかる勢いでエヴァンの両肩を掴んで揺さぶると、やがてエヴァンは「ぷっ」と吹き出した。
「冗談ですよ、お嬢様にそんな心配はしていません」
「くっ……」
小馬鹿にするような態度を取られ、それはそれで腑に落ちない。ゼイン様は平然とした様子で、そんな私とエヴァンを見つめていた、けれど。
「それに元々のお嬢様も、その辺りのことはちゃんとされていましたから」
「えっ?」
「は」
エヴァンの予想外の発言に、私達の声が重なる。
「とんでもなく口も態度も悪かったですが、かわいらしいところもあったんですよ。どういう風にするの、なんて俺に色々聞いてきていましたし」
「…………」
突っ込みどころは色々あるものの、私はずっとグレースは男好きの悪女と言われていたくらいだし、不特定多数の男性と経験があるのだと思っていた。
自身の身体が綺麗なままだということに、内心ひどく安堵してしまう。
もちろん前世でも男性との交際経験などなかった私は「初めては愛する男性と結婚してから」という、古臭い憧れがあった。
「…………」
一方、ゼイン様も口元を手で覆っていて、どうしたのだろうと気になって顔を覗き込む。
するとゼイン様は「すまない、気にしないでくれ」と言って顔を背けた。
「あれだけ良くない噂が流れていたら、気にもなりますよね。もっと早くお伝えすれば良かったです。ははっ」
他人事のように笑ったエヴァンの頭を叩くと、私も身支度をすると言って、エヴァンの首根っこを掴んで逃げるように部屋の中に戻った。
ドアに背を預け、エヴァンを見上げる。
「さっきの、本当?」
「はい。お嬢様って派手に男を侍らせていただけで、割と初心でしたから」
「そ、それなら良かった……」
確かに小説にも男好きの強欲悪女と書かれていたものの、端役ゆえにその詳細な描写はなかった。
ゼイン様も色々思い悩んでいたのかもしれないと思うと、心底ほっとする。
「でも流石にキスはしたことあるわよね」
「まあ、それくらいは」
それくらい、とさらっと言ってのけるエヴァンの経験値が気になってしまう。
「ファーストキスが見知らぬ相手なんて……」
私の意識の中では前世と今世を合わせてもゼイン様だし、こればかりは仕方ないと分かっている。
それでも心と身体は簡単に切り離せず、肩を落としていた時だった。
「あ、俺ですよ」
「……なんて?」
「お嬢様のファーストキスの相手は俺です」