春が早くて、いつか永遠
「今日も加藤ん家な。」
「ほーい。」
ようやく迎えた放課後の解放感と来たら堪りませんな。しかし、最近急に冬らしくなって来やがるから、建物の外を出歩く嫌さ加減が増し増しだ。やーさんはまだセーターも着ず平気そうな顔をしている。廊下や階段に居る時点でかなり寒いのだが、玄関やその先のことを考えるだけで少し憂鬱になる。やーさんは見た目がとてもほっそりとしているので、見ている私の方が寒さに耐えかねて泣けてくる。というか、やーさんはやはり身長も高くてキレイな容姿をしているよな。わわわ!やーさんを隣からじっと見つめていたのがバレてしまった!若干吊り上がった目じりが妖艶に見える時もあれば、威圧感を出すのに一躍買う時もあるのだということを知る。
「なに見てんだよ。」
「すいません!許して下さい!家には私の帰りを待つ弟たちや妹たちがいるんです!」
やーさんは心底呆れたような顔をした。やーさんは心の中はそれ程動いていないはずだが、やーさんなりのサービスとして演技が入る時がある。
「お前、兄貴しかいないじゃん。」
「ちっ。ゴミいちゃんのことですか?ゴミいちゃんなら愛情をこめて切り刻んで、ゴミ袋に詰めて山に捨てちゃいました!てへっ♡」
私は両手を顔の下の辺りで控えめな感じに合わせつつ渾身の可愛いを演出したペコちゃんのベロ出し顔をしてみた。
「いきなり猟奇的過ぎんだろ。お兄ちゃんを持つ思春期の妹特有のお兄ちゃん嫌い嫌い病がまだ治療されていないみたいだな。いい加減そのお兄ちゃん嫌い嫌い病を治療したらどうだ?」
「ええ?なんでですか?ゴミいちゃんはゴミいちゃんじゃないですか?産まれた時からそうなので、治療もなにもありませんよ。」
やーさんは面倒くさそうな雰囲気を出しながら諭すように私に語り掛けてくる。
「私には兄も姉も弟も妹も居ない。兄がいるってのは貴重だ。お前も昔は仲良くしてたんじゃないのか?お兄ちゃんが理想のお兄ちゃんじゃなくなったり、お兄ちゃんがお前のことを特別扱いしなくなったり、そんなんでお兄ちゃんを嫌いになるのは良くない。」
「説教くさくてうざみが深いよ、やーさん。」
私は冷凍庫に入れられたマグロの如き冷たさと硬さで接触を拒む。
「ごめん、ごめん。」
やーさんが申し訳なさそうな様子をしている。私こそちょっと言い過ぎたかもしれない。やーさんは兄弟なるものが欲しかったのやもしれん。それに、やーさんが言っていることも一理ある気がする。
「いや、こっちこそごめん。」
「ありがと。」
そんなキュートなお顔で言わないで!私の心がきゅんとなって罪悪感が湧き出してくるから。いや、もう一度こういう顔が見たいような気がしてしまって、やーさんに感謝されたくなってしまうじゃないか!
「あっ。玄関だ。」
玄関に着いてしまった。玄関から校外という荒涼としたフィールドに学生という仮面を外したプレイヤーたちが排出されていく。男子門を出ずれば七人の敵がいると思え!いや、人間も怖いけど、自然も恐ろしい。女子門を出ずれば七等身あると思え!意味が解らん。某読者モデルのなんちゃらですか?やーさんは一瞬の躊躇いもせず玄関の下駄箱に向かう。やーさんの新陳代謝の良さを少しでもいいから分けて欲しい。オラに代謝を分けてくれ!代謝だ、、、撃たないよ?撃つだけ損じゃないですか?私は恐る恐る玄関の下駄箱の方に近づいて行く。ああ、運動部の皆々様代謝のお裾分けをしてくださいませんか?私今日から代謝乞食デビューします!
「お前、また玄関でぐずるなよ?」
「代謝戦隊タイシャダーはいいよな。私は代謝妖怪代謝ババアにでもなって、人々から代謝を奪い去ってやる。」
やーさんはこちらの方も向かず無表情に応える。
「誰が代謝戦隊タイシャダーだ。代謝の良さはかつて運動部で今も運動の習慣がある者の特権なんだよ。だいたいタイシャダーとか代謝ババアとかってなんだよ?ネーミングがダサすぎるんですけど。」
「うぐっ。」
私はダサいという言葉に傷ついた。女子高校生に向かってダサいは禁句中の禁句。私はピストルで撃たれた後空中にスローモーションで後ろの方にぶっ飛んでいるような気持になる。このままずっと無重力の宇宙を漂い続けるのもいいかもしれない。「ジェシー!聴こえているか!ジェシー、必ず迎えに行く!」「ジャック、、、私のことはもういいの、、、今宇宙船内にいる人たちだけでも帰還しなきゃ、、、」「駄目だ、ジェシー!お前を死なせはしない!」いや、私にはまだ更新待ちのアニメや漫画たちがある!そうだ、お家に帰らねばならない。「冬にも、自分のダサさにも負けず、脆弱な身体を持ち、欲はあり。」宮沢賢治って深い言葉を言ったものだなぁ。
馬鹿なことを考えている内に最凶プレイヤーのやーさんが玄関から出ようとしているではないか!私は薄情なやーさんにあくまでも心の中であっかんべーをしながら下駄箱で靴を履き替えることにする。靴を履き替えた後顔を上げた時玄関を出た向こう側にいるやーさんの後ろ姿がキレイに見えた。女の子の私でも心を奪われてしまうキレイな後ろ姿だ。私はやーさんのように上背はないし、顔も団子っ鼻があまり好きではない。身体はいくらかムチムチしているけど、私には太っているようにしか思えない。やーさんのようにスラーっとした体形が理想だ。やーさんの制服はやーさんに合わせてスタイリッシュな感じに見えるけど、私の制服は私に合わせてごっこ遊びでもしているかのようなちゃっちい感じだ。
やーさんが玄関から結構離れた所で立ち止まりこちらの方を振り返る。どうやらあまりにも私が後ろから付いて来るのが遅く私がどうしているのか気になったらしい。私はやーさんに向かって力なく小さく豚のような手を振ってみる。やーさんはそれを受けて早足で玄関の方に駆け寄ってくる。私はその様子をどこかドラマのワンシーンみたいだなと思いながらぼんやりと見つめる。やーさんが玄関から入ってくると、私の所に一直線に来てしまった。私はやーさんの顔を見向きもせず下を向いてしまう。私はやーさんの友達していてもいいのかな?やーさんにはもっと相応しい友達がいるんじゃない?やーさんはそんな面倒くさい私の顔を心配そうに覗きこんでくる。やだ、キレイ!お嫁さんに欲しい!
「どしたの?」
「いやぁ、やーさんってやっぱりキレイだなと思って。」
やーさんはいかにも困ったという顔をした。やーさんの困り顔って結構レアな気がするな。脳内保存フォルダ「やーさん表情集」に保存しておかねばなるまい。もう何だかどうでも良くなってきたな。
「嘘だよ、狐女!」
私は下を出しながら変顔を決めつつ手を顔の横でひらひらさせやーさんを思い切り挑発してみる。やーさんは一瞬目の前に繰り広げられている光景にたじろいだ。それから、やーさんはカチンと来たらしく無言で私にヘッドロックを決めてきた。
「やーさん!ごめん!ごめんって!ギブ!ギブギブギブ!」
やーさんの穏やかな丘陵の膨らみを体感できるご褒美付き愛情ヘッドロック!そう、ヒトはそれを貧乳と呼ぶが、私はちっぱいと呼び習わす。ああ、ヘッドロックの苦しみさえなければもう少し体感できたのだが止むなし。愛情ヘッドロックから解放された私は悟りを得た僧侶のような平常心になった。と思いきや、平常心のプレートを突き上げてくる厚いマグマのような抱き着きたいという衝動!「ああ、マントルが、饒舌に、火を噴き、あげて」私は考えるより先にやーさんの後ろから胴体に抱き着いていた。やーさんの香りに充された私は天にも昇るような気持ちになる。やーさんのほっそりとした胴体の滑らかな曲線を堪能する。
「おい。ヘッドロックかまされて頭おかしくなったのか?」
「そう!やーさんのせいで頭おかしくなったんだよ!やーさんには私の頭を治療する義務があるのさ!」
やーさんは深い溜息を一つした。
「もう、、、腕なら抱き着いてていいからさ、胴体に抱き着かないでもらえる?」
「やーさん!」
私はちゃっかりやーさんの胴体に手を当てながら身を引いてやーさんの横に身体を乗り出してやーさんの顔を可愛くキラキラさせた目で覗きこんでみる。やーさんはいかにもウザったそうにしながら少しばかり照れくさそうな顔をしていた。やーさん、マジ天使!本日は私の大勝利!私はやーさんの胴体から手を名残惜し気にやーさんの胴体の曲線を楽しむように外しやーさんの左腕に私の右腕を絡ませるようにして少しばかり強めに抱き着いてみる。やーさんの無駄な脂肪のついていない鍛えられた左腕にはほんのり女性的な脂肪がついている。私はやーさんの腕をなでなでしたい気持ちに駆られながら、やーさんに腕組を解かれないように我慢しなければならぬと、一生懸命に自分の衝動との戦いを静かに始めたのであった。
「行こっか!」
「加藤は本当に甘えん坊だな。」
私とやーさんの腕を組んだカップルが玄関の入口に向かう。冷静になると、やーさんと腕を組んでいるこの状況が恥ずかしくなってくる。だが、やーさんの温もりがじんわりと伝わってくるこの幸せをどうして手放すことができようか!?「ぱぱぱぱーん、ぱぱぱぱーん。」「私たち、結婚します!」「おめでとう!」「ありがとう!」玄関口を出た後校門まで向かう。私たちの学校は校舎正面にグラウンドがある。校門に向かうまでの道すがら右手の方には部活動に励む学生諸君が見えてくる。いやぁ、本当に感心致しますなぁ。こんな寒い時季にもスポーツに励むなんて。私は年がら年中スポーツに明け暮れるなんて御免だね。日本社会のラットレースを見ているようで哀れでさえある。
「加藤さん!」
グラウンドの方から何やら加藤を呼ぶ声がする。おい、加藤。早く返事をしてやらないか?こんなにも元気よく大きな声で目立つ感じに名前を呼ばれているのだから。私ではない、もう一人の、、、
「団子っ鼻の加藤さん!」
おいおい。冗談じゃない。団子っ鼻の加藤はこの学校に一人しかいないじゃないか。そう、団子っ鼻の加藤とはこの私のことよ。え、私?私は運動部の原始人に呼ばれているの?「嘘だ!」「嘘じゃない!」
「喧嘩売ってんのか!コラ!」
私は反射的にやーさんに抱き着いていた腕を離し、声のする方へ大声を出して怒りを面に出していた。よく見ると、そこには同じクラスの爽やかなサッカー男子が突っ立っているではないか!?
「今日“もしかの”絶対見ろよ!」
「瀬川!分かったから!分かったからもう黙れ!」
「加藤は相変わらず恥ずかしがりやだな。」
ハッハッハ。はぁ!?「ハッハッハ。」じゃねぇよ!多少面がよくてクラスでちやほやされているからって調子に乗んなよ!私とやーさんの幸せな日々を邪魔する権利なんてイケメンにだってねぇからな!
「おっと。相方がお待ちかねだ。じゃあな!」
あれだけ威勢の良かった瀬川がそそくさと退散してしまった。どうやら私の気迫に負けたようだな。やーさんの方を向くと、やーさんは少しばかり怖い表情をしていた。いや、やーさんっていつも少し怖い表情をしている感じだから気のせいか。
「ごめん、やーさん。私が謝ることでもないんだけど、帰ろ?」
「そうだな。」
あれ?やーさんが多少しんみりしているように見えるのは気のせい?私はとりあえず今度はやーさんの右腕に私の左腕を絡ませていく。もしかしてやーさんって瀬川のことが好きなんじゃないか?おいおい、こんなクソみたいな仮説があり得るのか?かつて我が脳内やーさん学会にはやーさんの恋愛に関する仮説の発表は一度たりとも提出されていないんだぞ。だいたいやーさんが私に隠れて学校の男の子たちをお断り地獄に曝していることしかやーさんの恋愛に関する有力な情報がないというのに。でも、やーさんが瀬川みたいな毒にも薬にもならなさそうな爽やかイケメンに恋愛感情を抱くことがあるのか?
「瀬川は本当にアニメが好きだな。オタクも市民権を得過ぎると、サッカー部のイケメンが参入する。そんな時代が訪れることになろうとは。」
「加藤は瀬川と仲良くなったんだな。」
やーさんは非常に平坦なトーンでいつものように聴いてくる。
「うーん。黒船来航のような外観で平等条約を結んできたイケメンペリーみたいな感じだよ。スポーツ少年特有のエネルギッシュな黒光り感に多少疲れてしまう時があるよ。」
「そっか。」
やーさんは少しご機嫌になったかに見える。
「だから、アニメっていう共通の話題がある分仲が良いように見えるけど、まだまだ私と瀬川には埋めがたい日本海溝の如き断絶が存在するのだ!」
「そこまで言わなくても良いだろうに。」
やーさんの非常に解りにくい微笑み爆誕である。私はやーさんに恋人ができたら軽く精神崩壊を起こしそう。やーさんはやっぱり瀬川のこと好きなのかな?しかし、やーさんの微笑みに気づける人がこの世界にどれ程いるだろうか?やーさんの友達を長らくしていなければ判別できない程の僅かな変化がある。そう、この私こそがやーさんの親友に相応しい地位を築いていると言えるのだ!ただ、時々やーさんの魅力を強く感じ過ぎて、やーさんの友達を辞退しそうにもなるが。今の地位が末永く続くかどうか解らない以上は今の特権を余すところなく味わい尽くすしかないだろう。
平坦で凡庸な街中を行く。没個性的な風景の中に私とやーさんが特別な空間を定義していく。私とやーさんの歩みは新時代の植民地主義のように空間を定義し直していく。だが、特徴的な街とは一体どのようなものだろうか?髭を生やしたおじさんがファンタジーな世界で攫われた王女様を助けにトラップや敵キャラに溢れた危険なステージとか?ポケットサイズのボールに仕舞われる「ピカピカチュウチュウ」言うようなモンスターが溢れるフィールドとか?「ヒーハー!」言うモヒカン野郎たちがバイクで乗り回す廃墟と化した待ちとか?
やーさんはスマートに甲羅に棘の生えた亀の変異種の参謀に起用されて、髭の生えたおじさんたちをいたぶり続ける裏ボスになってそうだ。あるいは、伝説のモンスターを使いこすモンスター使いとしてはマスターレベルのキレイなお姉さんとして放浪を続けていそうだ。あるいは、モヒカン野郎たちを束ねる面倒見のいい姉貴分で廃墟と化した街を占拠する一大勢力を築いていそうだ。私は甲羅に棘の生えた亀の変異種にゲスいトラップを提案する腰巾着としてやーさんに近づくことができそうだ。しかし、モンスターが怖くて初めの村から一歩も出ない村娘である可能性もあるわけだ。
モヒカン野郎たちがバイクを乗り回す廃墟と化した街ではやーさんに会う前に私が死んでしまうだろう。もしかすると、幼女体形好きのロリコン野郎たちに襲われかけている所やーさんが助けてくれるかもしれない。私は私のような存在を合法ロリ呼ばわりしてくるゲスい集団がいることを知っている。性癖的に魅力を感じる対象として性消費される可能性には備える必要がある。もともと関係性がある所に性癖的な魅力を重ねてしまう心理的な傾向は好ましい。というか、私自身がやーさんに対してそのような邪な気持ちを抱いていることを正当化したいだけだろう。
「加藤、ちょっと見て行っていい?」
私はやーさんの顔を見上げて、やーさんの見ている方を見る。やーさんはショーウインドウに展示されている冬物コーデに反応したようだ。
「良いよ。」
この店は学校と私の家との通学路の途中にある個人が経営している店だ。ショーウインドウは店の第一印象を決めるいわば店の顔に等しい。だから、服飾の店のショーウインドウは定期的に交換されるし、かなり店のセンスが問われる重要なポイントだ。やーさんは時間がない時には必ず店先のショーウインドウや店先のマネキンが試着しているコーデだけは確認している。やーさんは一般的な女子高生よりも数段上のファッションオタクであり、ファッションばかりに命を懸けているような所がある。私はやーさんのファッション好きがはや修行の域に達しつつあるのを横目で見て少し引いている。
やーさんはカバンの中からスケッチブックを取り出して、スケッチブックに好ましい服飾のデザインを書き込む。やーさんはいつか自分の服のブランドを持つことが夢らしいが、自分の服のブランドを持つ方法は一つではないと語った。有名なモデルは自らのファッションコーデを披露しつつ既存のブランドの中で彼女専用のブランドを持つことがある。やーさんはファッションのデザインやファッションのコ-デに関係する仕事に就けさえすればいいとも語っていた。夢に向かって邁進する姿がとても眩しくて、高校生活の気だるさを跳ね返すようなきらめきが、こんな私には少ししんどく感じる時もある。
「ごめん。帰ろう。」
「いいよ、いいよ。」
やーさんはスケッチブックをカバンの中に収めた。やーさんがスケッチしている間やーさんとしていた腕組みを外していたので、やーさんが動き出す準備を終えるともう一度腕組みをし直した。
「最近、加藤はどんな漫画描いてるの?」
「へっ?」
私には漫画を描くという趣味がある。特に才能があるというわけでもないが、私は漫画を描く素人の間ではできる方だ。だが、絵が多少上手な人なんてざらにいるので、それが希少価値を持つわけでは決してない。
「聴いて驚くことなかれ!私はやーさんをヒロインにした濃厚な百合ものを描いている!なんて素晴らしい創造を我はしてしまったのだろうか!自分の才能が恐ろしいよ!」
「ええ、、、」
やーさんは興奮している私に冷ややかな視線を寄越してきた。ああ、やーさん!やーさんの冷ややかな視線さえも私にはご褒美でございます!しかし、取り返しのつかないことをしでかしたかもしれない。
「なお、ネットの海に投げ出す予定。」
「私はお前を日本海に投げ出す予定。」
やーさんは私の言葉が終わると同時に物騒なことを言い出した。やーさんを性的な対象として消費しようとした私への罰なのね!でも、私はやーさんへの歪んだ愛を止めることなど到底出来ようもないのだ!
「大丈夫!私の描いた漫画など誰も見ないから!」
「誰かが見ようと思えば閲覧できる状態になってること自体が頂けないのだが。」
やーさんは若干眉間に皺をよせた後全体的に少しムスっとした表情に切り替えた。
「心配しないで!私が漫画で注目される時なんて一生来ないから!」
「悲しいことを平気で言うなよ、、、」
少し規模の大きい公園を通り過ぎる。小学生たちが公園内を戯れている。おお、若けぇのぉ。小学生に比べたら私たち高校生なんぞ歳くったおばさんじゃろが。小学生の時も日陰の方で闇の会議を開いていたなぁ。オタク以外には通用しない謎の用語を縦横無尽に使いこなしていた気がする。小学生の頃には今に至るまでの片鱗が見えていたというわけか。ふ、私の揺るぎない絶対的な根腐れ感は止められないのさ。そう、中学生の時はカースト下位を這いずりながらも小学生の頃に芽生えた信念を曲げず貫いた。周囲の人間には笑われるかもしれない謎の信念を胸に抱いてきたのだ。
それにしても、小学生が元気過ぎるから、こちらが少しめげてくる。公園を抜けたら私の家まですぐだ。やーさんの家は方角的に少しずれたも少し遠くの方にある。やーさんの家が学校から見て私の家から反対側の位置にあれば、こんなにやーさんが私の家に来ることもなかっただろう。私はやーさんと家でくつろげる時間が結構好きだ。それに、やることはちゃんとやるやーさんがいれば、宿題を忘れず定期的に作品も仕上がるのだ。やーさんがいるお蔭で私の人生は好転しているようだ。私はやーさんの人生を好転させることができているだろうか?
「着いたな。」
「うん。」
父親と母親が二人で貯蓄して購入した立派な一軒家である。私と兄はこの比較的に裕福な家に育てられた。父親と母親が夜遅くにならないと帰宅しないのが難点だが、経済的な苦労を掛けられたことはなく平和に過ごしてきた。私たちは門戸を開いて家の玄関の扉まで近づき、私は首から提げている鍵を刺して扉を開けた。平日に両親の帰りが遅いこと以外は本当にいいのだが、このように兄がいなくなった結果として生まれた、女子高校生が家に一人切りという状況がまずい。私のような幼気なロリJKを性的な食い物にしようと企んでいる輩はごまんといるだろう。
玄関で靴を脱いでそのまま二人で私の部屋に向かう。自然靴を脱ぐ際に私とやーさんは腕組みを外して階段を上ることになる。だが、一緒に私の部屋に向かっている状況が腕組み以上の高揚感をもたらしてくれる。何度もやーさんは私の部屋に来てくれているのだが、未だにやーさんが私の部屋に入ることが嬉しい。大好きな友達が部屋を訪れてくれる嬉しさ以上に少しばかり性的な目で見ている友達が部屋に訪れてくれる嬉しさが湧き出てくる。ただ、やーさんにいやらしいことをしようとしても、私の体格や力ではやーさんを抑えられない。むしろやーさんが私をがんじがらめにしていやらしいことをしてくれれば私は大歓迎なのに。
私の部屋に無遠慮に入るやーさんと来たらもう私の彼氏のような手慣れた感じを醸し出していた。「地上にもいと麗しき天国を見つけたり。」やーさんは部屋の真ん中においてある小テーブルの近くに座る。部屋の扉から見て小テーブルの左側に座ったのだ。やーさんの後ろには漫画ばかりが収められた本棚や着替えが収納されているタンスが置いてある。私はやーさんと反対側に腰掛ける。後ろには私のベッドが鎮座しており、ベッドの上にはロッピーが横たわる。ロッピーは私が裁縫で作り上げた至高の作品にして至高のキャラクターである梟である。
「さて、いつも通り宿題でもするか。」
「そうだね。」
私とやーさんは鞄の中から宿題や筆箱を取り出す。私は基本的に面倒くさがりである。やーさんが家に来ていない時にも帰宅後すぐに宿題を済ます習慣がついていた。だが、後々宿題をしなければならない状況で楽しめるものも楽しめず先にした方が面倒くさくないことを理解しているだけだ。傍から見れば、勉強をきちんとする意外性のあるナマケモノに見える。本物のナマケモノは先々に手短に済ますものなのだ。宿題を先に終えたからと言って喜び勇んで何かに励むわけでもなく、ベッドの上で漫画を拡げて読みふけっていることが多い。私は一冊の漫画を必ず何周か読み込んで楽しむタイプだ。漫画の描き方に注目しながら作家目線で読み込んでいることが多い。
今は数学と英語と古典の宿題が出ている。私は数学が苦手だ。だから、数学からやることにした。できないなら仕方がない。少しは考え込んでみるけど、できない時は諦めるもよしだ。完璧にこなそうとするから、苦手なことを避けてしまって、余計に苦手になってしまう。むしろ苦手なことは積極的に「解らない」を積み重ねた方がいい。殊勝な心掛けをしているけれど、微妙な結果しか帰ってこない。やはりもう少し粘って考える必要があるのか?英語の戦闘力は本当に平均点レベルだ。また、国語が若干平均点を超すレベルだ。得意ではないのだから、宿題が楽しいわけないけど、とにかくやるしかないのだ。
宿題の〆切がどれも近いわけではないけれど、早めに終わらせておくのが身のためだろう。今日はやーさんが居る内に数学と古典の宿題を済ませてしまおう。早く好きな漫画を読みたい。お小遣いのほとんどを漫画に費やしてきた。今はお小遣いが貰える日の数日前だから、当然のように財布の中身は寂しいものである。最近は中学生の時に購入したSF漫画にハマっている。行き過ぎたテクノロジーに浸されたディストピアを描き出している。私はテクノロジーの浸し方・浸し度が問題のように思える。人間が統治に関与する中央集権的なシステムなど、古い実存の小話に見るお笑い草に過ぎない。いや、人間の意地汚さがそのようなディストピアを実現してしまうのだろう。
数学の宿題を終わらせた。いつまでも粘り続けて何の意味があるのだろうか?私は私の中では得意な古典の宿題に取り掛かる。私はここではないどこかへ連れ出してくれる物語が好きだ。一時の間だけ退屈で酷薄な現実から逃げ出すことができる。いや、やーさんが傍にいる現実ならば愛してもいいかも。古典は時に単なる物語だけでなく人生の指南や人生の解釈を与えてくれる。ただ、小童の私如きには古典の内容を深く理解するだけの経験が足りない。古典が提示してくれている価値を少ししか掬い上げることができていない気がしている。しかし、日常会話でさえ相手の企図をきちんと理解できているか怪しいものだ。私たちは想像以上に孤独な世界を生きているのかもしれない。
「どうしたの?」
「ん?」
やーさんが少し怪訝そうな顔をして私の顔を覗き込んでいた。どうやら私はぼーっとしていたようだ。ぼーっとした顔をやーさんに見られていたかと思うととても恥ずかしい気持ちになってくる。
「いや、何故か心ここにあらずで、さっきから進んでないから。」
私は今やーさんが私の話を真剣に聴く絶好の機会を図らずも得たのかもしれない。いつもは私の言うこと為すこと左から右なのに、今のやーさんは私を正面から見据えてくれている。
「人間って想像以上に孤独なのかなって。社会が成り立ってるのも奇跡なのかな。」
やーさんは私の方を見ず下を向いた。少し考えてるような素振りにも見えるし、何かを我慢しているようにも見える。やーさんが何かを我慢している様子なんて見たことがないけれど。
「あのさぁ、加藤は私のこと誘ってんの?」
「え?」
やーさんは猫みたいに私に四足歩行で近づいて来る。え?え?どういうこと?やーさんはどうしてこんなことをしているの?やーさんは私をベッドの際まで追い詰めて、私の上にゆっくり覆いかぶさってきた。
「キス、してもいい?」
私はいきなりのことで混乱している。やーさんが私にキスを迫ってきている?きっと私は夢を見ているのだ。そう、やーさんがこんなことする訳ない。固まっていると、やーさんは顔を近づけてくる。私は何だか怖くなって目をつぶってしまった。
「ん、、、」
やーさんが少しずつ離れて行く音がする。やーさんは結局私に何もしなかった。私がゆっくりと目を開けると、やーさんは元の位置に戻っており、やーさんは少し落ち込んでいた。私はやーさんに酷いことをしたような気がした。
「ごめん、加藤。今日は帰るよ。」
「え、、、」
やーさんはそそくさと荷物の片づけを始めた。私には何が何だか解らずどうにかやーさんを引き留める言葉を探した。でも、良い言葉が思い付かず私は悲しくなった。私は目から涙を流していた。
「やーさん、待ってよ、、、」
やーさんはこちらを向くと、驚いたような表情をした。おそらく涙を流している私に驚いたのだろう。私自身もどうしてこんなに悲しいのか解らず、やーさんを引き留めることだけを考えていた。
「加藤、すまない。」
「違う!」
予想以上に大きな声を出してしまった。やーさんはその声に少しびくっとした。私は私からこんなにも大きな声がでるとは思いもせず、身体の全身が力んでいることに後から気づいた。
「違うの。私は、その、ずっと、期待してた。やーさんの、勘違いじゃ、ない。なのに、私は、やーさんが近づいてきた時、怖くなっちゃったの。それは、つまり、その、準備ができてなかったというか、だから。」
しどろもどろになりながらやーさんに気持ちを伝える。自分自身で何を伝えようとしているのか解らない。ただ、やーさんを拒絶したくてしたわけじゃなかったこと、やーさんが近づいてきて嬉しかったことを伝えたくて。
「もういいよ、加藤。」
やーさんの顔を見ると、今までに見たことのない優しい表情をしていた。私はやーさんに想いが伝わったような気がして、心の底からほっとした気分になった。やーさんは近づいてきて、私を頭から包み込むように、優しく抱擁してくれた。
「加藤、いや、穂波。私はお前が好きだ。」
「うん。私も好き。」
私はやーさんに抱き着いた。やーさんは私のことが好きだったんだ。私の妄想が現実に成っちゃった。私はこんなに幸せでいいのかな?天罰が下らないかな?もうやーさんのことを手放したくないな。
「あのさ、、、」
やーさんは私の両肩を持ちながら真正面に向き合った。私は少し身構えてしまうが、どうやらキスではなさそうだ。キスではないことで安心している気配をやーさんに悟られないようにしないと。
「私のことも琴音って呼んで?」
私はやーさんが恥ずかしそうな顔をして下の名前で呼ばれるのを求めている様子が可愛くてどうにかしてやりたい気分になる。やーさんのその姿がどこかエロティックで私はつい先ほどまで怖かったキスがしたくなってきた。
「琴音ちゃん。」
「うん。」
私は琴音ちゃんの顔に私の顔を近づけて行く。琴音ちゃんは私の意図を察して、琴音ちゃんも顔を近づけてくる。私と琴音ちゃんは目を閉じながらゆっくりと唇を重ね合わせた。唇と唇が重ね合された時脳天がじーんと痺れる感じがした。私たちは目を開けながら顔を離していった。私は毒気が抜けた様な琴音ちゃんの様子に胸がきゅんきゅんした。私は琴音ちゃんに無遠慮に抱き着く。琴音ちゃんは抵抗せずに抱き着き返してくれる。好意と好意、行為と行為。永遠の円環をなすような素晴らしい瞬間。私はこの日のために産まれてきたのかもしれない。
「琴音ちゃん。これからもずっと一緒にいようね。」
「うん。宜しくね、穂波。」