7.
「あれ、ハル」
ブラブラと歩いていたら、通りすがりに声を掛けられた。振り返るとガードレールに寄りかかって女に囲まれている茶髪がこっちに片手を上げている。
「都己」
「つまんなそうな顔。どうした?」
…人の素の顔捕まえて、つまんなそうって。
都己は立ち上がると女に愛想を振りながら輪を抜け出して来る。
「都己ぃ、その人よく一緒にいるよね?」
「ハルだよね。紹介してよー」
都己の袖を掴んで女達は姦しい。
…俺の名前は知ってるみたいだけど、俺は知らない顔だ。
不意に葵に言われた事を思い出す。
本当に一方的に知られてるのか。そんなに気分のいいものじゃないけど。
少しムッとしたのに気付いたのか、都己は俺をちらりと見て苦笑し、女達に手をひらひら振る。
「ごめんなー。また今度」
「都己ぃ」
「行こ、ハル」
ぽんと肩を押されて歩き出す。
鼻歌まじりに歩く都己は、振り返りもしない。
まあ、囲まれてる事なんて珍しくないけど。
「いいのか? あれ」
「んー? ファンサービスっつうか。別に付き合いがある訳じゃないし」
「追っかけな訳ね」
「貴重なね。一応大切にしないと」
DJとして地元では結構知られている都己は、地道に活動を広げているらしい。
生憎、俺はその情報に疎いんだけど。
「ハル、この後暇?」
「少し飲んだら帰ろうかと思ってる程度」
「俺、後輩と飲むんで待ち合わせしてるんだけど来るか? 多分お前の好きなタイプ」
「…女ならパス」
「何、女断ち?」
きょとんとした顔で見られて顔を顰めてしまう。俺を何だと思ってるんだ。
…まあ、実際そう思われてもしょうがない。
この間葵と会ってから、女に色目で見られる事が極端に面倒になってるのは確かだ。
俺が答えないのをどう取ったのか、都己はくつくつと笑った。
「可愛い顔はしてるけど、男だよ。今日は彼女も連れて来ない筈だ」
「へえ」
行くとも行かないとも云わないうちに、店についてしまったらしい。都己はカントリーっぽい扉の前で立ち止まる。いつも樹や裕也達と飲む店の丁度裏側。イタメシ屋だった。
「俺、メシ食ったよ」
「ばっか。こういうトコはつまみも美味いんだよ」
店はこじんまりとした雰囲気で、少しだけ和む。
都己は顔なじみらしい店員に手を挙げると示されたテーブルに向かう。
「透さん?」
テーブルに座っていた男の顔に声を上げた俺を、都己が振り返る。
4人掛けのテーブルに座っていたのは、小柄な、相変わらず綿菓子みたいな笑顔だった。
「何、お前ら知り合い?」
「都己の後輩って」
…まさか、都己、和人とも知り合いとか云わないだろうな。
世間の狭さに慄いていると、透さんは困ったように笑った。
「この前、葵が世話になって知り合ったんですよ。都己さんこそ」
「前に話したろ。変わったツレがいるって」
「…都己、変わったって」
「ハル、そこに突っ込むな。まず座れ、なっ」
椅子に押し込まれて、都己が座るのにこちらから視線を外した隙に透さんと目を合わせる。
今の会話で、二人の関係に和人が絡んでいない事が俺に分かったように、透さんにも俺が『ハル』としてここにいる事が伝わったようだ。察しがよくて助かる。
「高校の後輩なんだ。自己紹介はいらないな?」
都己は機嫌よく注文を済ませると、にこにこと俺達を見た。
「いらない。…でも驚いた。そっか、透さん、都己より年下なんだ」
「二年後輩だよ」
「見えない。って云うか、都己より落ち着きあるんじゃないの」
軽く頭に平手が飛んでくるが、いや、都己に落ち着きがないのか。と続けてやる。
「こいつは昔からこうなの。顔と雰囲気がギャップ萌えって…っ」
今度は都己の顔をおしぼりが襲った。透さん、ナイスコントロール。
「容赦ねえなあ。ハル、こいつの見た目に騙されるなよ。武勇伝ならいくらでも」
「都己さん」
はは。都己が負けてる。
やっぱり只者じゃないな、透さん。
家庭料理みたいなのをつまみに酒もどんどん進む。
最初は遠慮がちだったが、透さんも俺があまり酔わない事が分かったらしく肩の力が抜けていくのがわかる。
だよな。俺の年齢を知っていれば、心配していたのかもしれない。
「そう云や、ハルと葵ちゃんがどうしたって?」
思い出したように都己が云う。
ああそうか。パーティーの時の話は知っていても、相手が葵だったって事は知らないんだった。
「都己のパーティーの時、俺先に抜けたろ」
都己は少し考えて、ああっと声を上げた。
「あれ、葵ちゃんか」
「…不本意ながら」
憮然とした透さんとは対照的に、都己は大笑いしている。
「なるほどねえ、相変わらずだな、お前の彼女」
「相変わらずって…やっぱ、よくあるんだ」
「あるもないも、なあ」
都己に振られた透さんは溜め息をつく。
「気が強くてね」
「ま、あの見た目じゃやっかみも多いだろうし? しょうがないんじゃねえの?」
「そんなに敵を作る性格でもないんですけどねえ」
保護者然とした云い方に笑いが浮かぶ。
確かに、人懐っこいよな。
「でも、あれ危ないんじゃないかなあ」
いい機会だ。俺は気になっていた事を切り出した。
「あの男、ファンじゃないと思いますよ。マジで殴ろうとしてた。止める時結構力込めましたから、俺」
「…ストーカー男?」
笑いを収めた都己が首を傾げる。都己も知っている話なら、話が早い。遠慮しなくていいだろう。
「可愛さ余ってって奴じゃなくて?」
「実際酒被ったのは俺だよ。頭に血ぃ昇らせ過ぎでしょ。…まあ、誘いをかけてあわよくばってのはあるかも知れないけど、葵さんはそういうタイプでもないし」
ああ、透さんに敬語、都己にタメ語を使い分けるのが面倒になってきた。勝手に透さんにも似たような話し方をする事にする。今は『ハル』だし、いいだろ。
「ファンの付きまといじゃなかったら、なんだろね? くっさい気がしない?」
ふと、都己の視線に気付く。何だよ。
「…ハルがそんなに人の事気にしてるの、俺初めて見たわ」
「なっ」
不意打ちだ。かっと頬に血が上る。
「透、すごい事だぞ、これ。うわー、樹と裕也にも見せてやりてえ」
「都己っ」
「だって、お前がだよ? 何、そんなに気に入った?」
都己のこめかみに拳を押し付けると、奴の口はやっと止まった。
「俺はどんだけ冷血人間なんだよ」
「いつも興味薄そうだからさ、何にでも」
「んな事ないだろ」
「いや、ある。俺にもその熱意を注いでほしい」
「だあからっ」
ぎゅうっとか抱き締められて、都己の顔を力ずくで押し退けていると、テーブルの向かいからくすくすと笑い声が聞こえる。…透さん、そんな涙目で笑わなくても。
「いや、俺も見せてやりたいなって」
都己は分からない顔をしたけれど、俺には分かった。和人にって聞こえた気がした。
答える事は出来ないけれど、ありがとうと目線に乗せると、透さんは分かっていると云うように笑み返してくれた。
「で。あれは葵さん危ないと思うんだけど、放置してるわけ?」
踏み込み過ぎか。そう思わない事もないが、一応助けた身としては気になる訳で。
「…大元を何とかしようとは思ってるんだけどねえ」
「大元?」
透さんが頬杖をついて、ぼそりと云った言葉に問い返す。
「何せ、葵が何も教えないから何とも。多分、そんなえげつない嫌がらせを指示する人間は、葵の周りに一人しかいないんだよね」
苦虫を噛み潰したような顔。手が出せない相手なのか?
「葵のモデル事務所で、厄介な女が一人」
「お前が振った女か」
…だから、都己。なんでそう一足飛びに云うか。俺にはちっとも分からない。
「あれはしょうがないでしょ。好みじゃないんですから」
「まあなあ」
二人で溜め息を付き合っている。
どういう事かと問い質すと、つまり、仕事でも男でも負けた女が逆恨みしていると。
「社長にも気をつけてくれるようには頼んであるんだけどね。葵にデカい仕事振っても彼女には振れない。これはビジネスだと云われてしまうとそれ以上は云えないから」
ビルのウィンドウで見た写真。あれほど鮮烈な印象を受けるモデルの葵は、やはりすごいのか。
「細々とした嫌がらせは流してるみたいなんだけど、それでヘビ女が痺れを切らしたのか」
透さんの口からヘビ女って。…一体どんな女に妬まれてるんだ、葵。
「さすがに彼女をクビにしろとは云えないから。いくら俺でもそこまで口を出したら、縁を切られる」
「縁?」
「あ、葵の事務所の社長、俺の叔母さん」
「バイトに入って、商品に手を出したんだ。こいつは」
「都己さん、人聞き悪いです」
なるほど。そこが出会いで、しかも厄介なのまで拾ったという事か。
解決策なんて出るはずもなく、葵を一人で歩かせる事だけはしないという透さんに俺も協力を申し出て、今夜はお開きにする。
男が原因であれば力で解決も出来るんだろうが、女じゃそうもいかない。男を使ってまでの陰湿さにうんざりするが、葵を守る事が優先だ。
…都己に云われた事を思い出して、苦笑が漏れる。
確かに、今まで他人の事を本気で心配した事なんかなかった気がする。
浅い付き合いにそんなもの必要がなかった。
気懸かりとは別に、何か心に埋まり込んだものが出来た気がして、そんな場合じゃないと思いつつ、口許が緩むのを止められなかった。




