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17.

 三ヶ月イギリスの母さんの実家で過ごした俺は、まだ居ろという祖父母を振り切ってアメリカへと渡った。

 

 そこで待っていたのは、自称将人の親友ニコラスとセオドアとの生活だった。

 と云っても、二人の会社持ちのアパートに住ませてもらっての一人暮らしだったが。


 二人は一緒に『B&R』という会社を経営していた。将人の友人だけあって仕事中毒かと思う程のやり手らしく、俺は学校に通う傍ら奴らに扱き使いまくられた。


 本社は十一階建ての自社ビルを持っているくせに、二人は通りを四つほど離れたアパートに子会社を持っていてそこを執務室代わりにしていたので、実質そこが首脳部となっていた。(そこに俺が住みついたんだけど)


 おかげで電話やメールで済まない用件は俺が走る事となり…いい加減ムカついたので、この際会社全員に顔を売ってやるとメールボーイのバイトとして雇えと提案した。社内便の配達ってやつだ。勿論、色々な部署を覗ける事を狙って。


 一ヶ月経たないうちに百人は軽く超す社員全員と親しく会話するようになった俺の背中を、ニコラス――ニックは上機嫌でバシバシ叩いていた。


 スキップを大活用して高校課程を終えた俺は、大学に通う頃には二人の会社で色々な企画に携わるようになっていた。


 最初は案を会話のついでのように聞かれた。それが企画書を出せと云われるようになり、企画会議に出ろと云われ、その内、企画を必ず成功させろと檄を飛ばされるようになった。

 まんまと二人に乗せられたのかもしれない。最初からこのつもりだったのか。

 気がつけば、俺は『B&R』の社長達の秘蔵っ子として社外でも名前が通用するようになっていた。


 ニックは大柄で豪快に笑う陽気な男だ。怒鳴るとライオンみたいに迫力があるが、涙もろい。ぶっとい腕で人をバシバシ叩きながらにこにこと笑う。

 セオドア――テッドは逆にクール。澄ましていると云うより、いつもニックを見守っている感じがした。

 勿論二人は喧嘩だってする。その時ばかりは爆発したテッドを前にニックがおろおろしたりして。最初見た時はびっくりしたが、じき慣れた。二人がお互いの事を大切に思っているのは見ていれば分かったので、犬も食わないってやつだと構わない事にした。…阿呆らしくて。


 二人には仕事は勿論プライベートでも色々と教えられた。それこそ、酒の飲み方から女の扱い方まで。

 俺が程ほど遊んでいる事に二人とも驚いていたが、「じゃあ、上級編だ」と云いだしたのには笑った。あ、全部「将人には内緒な」とウィンク付きだったが。

 二人ともよくモテたが、俺としてはテッドのスマートさを盗みたいところだ。プライベートでのテッドは妙な色気があって格好がいい。上質な男っていうのはこれかと思った。

 …ニックのキャラには、俺はなれないと云うのが本音だったが。


 毎日が忙しくて楽しくて。

 だから、大学の卒業をもぎ取る二年間なんてあっと云う間だった。

 親父との約束通り四年で学業は修了させた。御堂の頭脳バンザイだ。


 これからの身の振り方を考えた頃、このまま『B&R』に居ろという提案がニックから出た。

 来るとは思っていた。俺も随分と愛着を持ってしまっている。

 

 だが、俺は『御堂』で生きると決めていた。

 俺の気持ちが揺るがない事は分かっていたらしい。二人ともやっぱりな、と笑って許してくれた。


 将人から帰国命令が来たのはそんな頃だ。

 まだ完全な帰国じゃない。俺はまだ日本には帰れないらしい。


 なぜなら。




「アメリカ支社?」

 

 裕也が煙草に火を点けながら、目だけで続きを促している。


「もうすぐ立ち上がるんだ。そこに入社する。日本だとしてもペーペーからのスタートだから、どこでも一緒なんだけどな」


 アメリカに初めて支社を置く。新入社員として入るにも関わらず、俺にはある程度の地位が用意されているらしい。底辺からの始まりかと思っていたが、『御堂傘下にスライドする』と将人が云っていたのはこういう事らしい。…確かに、『B&R』で既に俺は平社員ではなかった。


「でも有利なんじゃねぇ? 業界、顔だろ?」

「多分そこが狙いだろ。俺にも有利だけど『御堂』にだって益はある。ま、伊達に顔売りまくってた訳じゃないから」

 

 ニックとテッドは大抵の場に俺を連れて行ってくれた。『御堂』という名はアメリカでも知られてはいたが、『B&R』の不利にならない程度にしっかりとアピールして来た。まあ、業種が完全には被らないので、提携する事はあっても敵対はしない関係だから出来たんだが。


 …親父と将人の思惑にしっかりと乗ってしまった結果だろう。奴らは『御堂』のアメリカ進出に関して、このタイミングを狙っていたに違いない。


「にしても、五年間本当に帰って来なかったよね」


 薄情だよなぁと樹にしみじみと云われて苦笑してしまう。

 メールや電話で連絡は取り合っていたが、結局一度も日本には帰って来なかった。そんな暇すら惜しかった。


「だーから、帰って来てすぐに会いに来ただろ」


 時差ぼけ防止の為にも、日本に着いてすぐ『bear's bar』に来た。

 先月仕事でアメリカに来ていた都己には云ってあったので、三人とも集ってくれたと云う訳だ。

 ちなみに、カウンターの中では、おっさんがにやにやこちらを見ている。普段店は人を雇っているらしいが、俺がこっちにいる間はおっさんは親父から離れて店に出る事にしたらしい。聞いた話だと、ちょくちょく店に出ているらしく、未だ『bear's bar』の顔はおっさんらしい。


 五年はさすがに長かった。

 樹は高校から付き合っていたという彼女と結婚したし、裕也は自分の店を持って順調にやっている。都己の名前は向こうでも聞く事があった。日本だけで納まるつもりはないらしい。


「年くったよなー」


 何となく呟くと、ぼこぼこと拳や蹴りが飛んでくる。


「お前が云うな」

「だって、お前ら三十路? 見た目変わんねえけど」

「ハルは二十歳かあ。やっと年齢が追いついて来たって感じ?」

「いや、老けたろ」

「…せめて、男っぽくなったとか、逞しくなったとか云ってくれない?」


 老けたはないだろう。元々老けてたんだ、どうせ。


「うーん、ごつごつしてきた?」

「前は柔らかくて美味そうだったのにな」


 全然フォローになってねぇよとぼやくと三人とも本当だし、としれっとしている。

 ジム通いは必須だったんだよ。ニックとテッドはどんなに忙しくてもジム通いと毎日のジョギングは欠かさなかった。将人の謎の筋肉もこれに違いない。勿論毎日付き合わされた。おかげで体脂肪率は激減、筋肉はしっかり付くし、顔まで贅肉が落ちて、僅かな休暇を過ごしに母さんの実家に行く毎に悲鳴を上げられてきたんだ。母さんの面影が薄れてしまったのが、相当ショックだったらしい。


「ハルー!? 何その顔っ」 


 そうそう、正にこんな反応だったぞ、ばあさん。

 その声に反応する前に、両頬を手で挟まれて横を向かせられる。目の前には五年前と変わらない顔があった。


「…葵さん、いきなりそれはないでしょ」

「いやあっ 男臭くなっちゃって、年月って何て残酷なのっ」


 隣で都己が爆笑している。樹と裕也…おっさんまで肩を揺らしている。我慢する位なら笑えよっ


「…葵さん? 怒ってる?」

「なーんにも。音信不通にされても、カズから色々聞いてたし」

「怒ってるじゃないか」

「全然」

「結婚祝いと出産祝い、届いた?」

「うん、カズが届けてくれた」

「クリスマスプレゼントは?」

「うん、ありがと」

「自分で行けなくてごめん」

「ううん」

「約束、覚えてくれてる?」


 俺の頬を挟み込んだままの葵の手首をやんわりと掴む。

 顔を覗きこむと、葵は相変わらず綺麗な顔がくしゃっと歪んだ。

 俺の手を弾き飛ばす勢いで首にしがみつくと、ぎゅうっと力が込められる。


「おかえり〜っ 頑張ったねえっ」


 何故泣く。葵を抱きとめながら、周りから送られてくるにやにや笑いに苦笑する。

 ま、今日くらいは許してもらえるだろう。


「子どもを産んでから、涙脆さが増したんだよね、葵は」


 …いたんですか。いたんですね。

 透さんは、以前と変わらない綿菓子のような笑顔を浮かべている。…怖いんですけど。


「透さん、お久し振り。…葵さん、ダンナの前で他の男に抱きついてますが」

「姉弟の抱擁だと思って許す。おかえり」


 姉弟ね。笑いが漏れた俺に、透さんは柔らかく笑う。

 約束の事を聞いているんだろう。そう思ったら、じわっと胸の辺りが温かくなる。


「ただいま…双子のパパになって、どう?」


 和人と雪乃さんに遅れる事二年。葵は女の双子を出産した。

 勿論飛んで帰りたかったが行動には移さず、出産祝いやクリスマスの子どもへのプレゼントは和人に託した。

 自分へのけじめだと思って直接連絡はしなかった。

 帰って来たら「いらっしゃい」ではなく「おかえり」と云ってくれ。それは篠原家と他人以上の関わりをずっと持ちたいと願った俺の我が侭だったから。


「面白いよ。ああ、葵にそっくりだから期待してよね」

「ツバつけていい?」

「それは却下」


 睨まれてくくっと笑うと、透さんはにやりと笑う。


「いや、もうハルおじさんの出る幕はないかもね」

「何それ」


 …おじさんかよ。


「大地がもう、べったりだから」

「…和人んとこ、四歳だっけ」


 和人の子どもは大地と名付けられた。見た目はそうでもないが、性格は今のところ和人似らしい。

 

「会ったかい?」

「いや、明日行く予定。由布と真由にも会わせてよ。楽しみにしてたんだ」


 何と和人は葵と透さんの隣に家を建てた。どうも、透さんが家を建てようとしていた時に『御堂』の管理していた二軒分の土地を将人がキープしたらしい。

 結婚祝いにしたって甘いだろうと笑ったら、また喧嘩した挙句にローンは自分で組むと云う事で決着したと云う。と云っても、将人の事だ。破格にしたんだろうけど。

 将人にしたら、雪乃さんへの気遣いなんだろう。

 和人は大学の調査隊で家を留守にする事が多い。残される雪乃さんにとっては隣に葵達がいる事が心強いに違いない。


「…知ってるかい?」


 透さんがにやりと笑う。


「和人の家、まだ使っていない部屋が一つ取ってあるんだ」


 手が止まる。それが何の為の部屋かなんて分かり易すぎて。


「家具買いに行かなきゃね」


 葵が唇に人差し指を当てて、聞かなかった事にしてね、と云う。


「ただいまって云うんだろ?」


 ここに来ても、まだ和人は俺に新しいものをくれようとする。

 込み上げてくるものは、瞬きをして抑えた。代わりに口許が緩む。


 『御堂』で生きるけれど、『御堂』だけでは生きない。

 将人が与えてくれたものも、和人が与えてくれたものも、どちらもなかった事にはしない。


 将人や親父と生きる。でも、和人とも生きる。


 俺の望んだ生き方は、将人と和人、そして親父にまだ擁護されている。

 これに報いる為に、今俺が出来る事は唯ひとつだ。なだ、スタートラインにすら辿り着いていない俺が出来る事。


「透さん、俺必ず親父の条件クリアするから」


 将人がそうしたように。


 そして、温かいものを沢山くれた人達と生きて行く。

 ほんの八年前、俺の世界は将人と和人だけだった。

 でも今は違う。


 『bear's bar』の店内をゆっくりと見回す。

 見慣れた店内は変わりがなくて、カウンターのおっさんも相変わらずだ。


 いつの間にか、ここにも大切なものが増えた。

 友達が出来て、家族が増えて、俺はどんどん人間になっていく。


 空になったグラスが持ち上げられ、見上げるとおっさんと目が合った。


「おっさん、待ってろよ。もうすぐ楽させてやる」

「後五年か?」

「そんなに待たせないって」


 にやりと笑うと、少しも変わらないデカい手で髪をぐしゃぐしゃとかき回される。

 こうする時の嬉しそうな顔も変わらない。


 ずっとこの表情の意味が分からなかった。

 今は分かる。

 この人は、俺が自由を知らなかった頃を知っている。俺が人間らしくなっていくのを見守ってくれていた人だ。


 その顔に向かって、周りにいる皆に向かって、ここにはいない大切な人達に向かって俺は胸を張る。

 必ずスタートラインに着くから、まだ、見守っていてくれる事を願って。

 見守った事を後悔させない事を、心に決めて。

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