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16.

「…おっさん、似合ってねえ」


 携帯で、そろそろ戻って来いと呼び出しがかかって待ち合わせた場所に三人と向かった俺は、和人に寄り添う雪乃さん、その隣の葵と透さん、父さんと将人、そしてもう一人。スーツを着たおっさんと対面していた。

 思わず云ってしまって口を自分の手で塞ぐ。スーツ姿で筋者のようになったおっさん、目が怖いっての。


「お前…坊ちゃんって呼ぶぞ」


 小声で云われる。何だ、それ。


「遥人。敏郎さん、一応うちの社員だから」

「はあああっ?」


 将人の言葉に叫んだ俺を、誰が責められる?

 おっさんは決まり悪そうに目を逸らしてるし。


「敏郎は私の昔馴染みなんだ。籍は『御堂』にあるんだけれど、…イレギュラー社員って云うのかな?」


 父さんが照れるとうに云う。何で照れてるんだ。


「お屋敷でお会いした事もあるんですよ、坊ちゃん」


 にっこり云うおっさんの口を、俺は両手で塞ぐ。


「…何か、すっげえ嫌」

「つれないですね、坊ちゃん」

「楽しんでるだろ、おっさん」

「勿論ですよ、坊ちゃん」


 俺の手に塞がれたままもごもご云うおっさんは楽しそうだ。

 それにしても『御堂』の社員? マジか。


「これで私もお役御免ですかね? 社長」

 

 やけに晴々と父さんを見るおっさん。何だそれ。


「うーん。遥人のお目付けが終わってしまうとなるとねえ」


 父さんもにこにこしている。

 ちょっと待て。突っ込み所があり過ぎて、何から云えばいいのか分からない。

 お役御免? お目付け? 何で晴れ晴れしく云ってんの?


「遥人遥人」


 俺が口をパクパクしているのに気付いてか、将人が手招きをする。


「お前で三人目なんだよ。敏郎さんの店に入り浸るの」

「…将兄も?」

「そ。勿論和人も」

「親父が息子を野放しにする訳ないだろ? 子煩悩大爆発な人なんだ。かと云ってウチの環境じゃあストレスを発散させない事には、万が一道を踏み外しては元も子もない。…あとは、まあ、社会勉強の為?」


 …最後のは、付けたしだろう。どう聞いても。


「で、『bear's bar』を敏郎さんに預けて俺達の様子を報告させたり、問題が起きないように色々手を回させていたんだ。まあ、お前の場合、前半は俺の独断だったけどな」

「もしかして『bear's bar』って」

「親父の持ち物だよ」


 見事に手の平で遊んでいたのか。それにしても、普通の親がする事じゃない。…いや、十分に普通じゃないのは分かってるんだけど。


「おっさんって、何者なわけ? お目付け役だってのは置いておくとして」

「親父のボディガードみたいなものかなあ。親父も昔屋敷を抜け出してた時に知り合ったらしい。色々顔が利くから雇ったって話だ」


 親父も同じ経験をしていたのか。そりゃあ、俺達の、というか俺の放蕩っぷりも止めないか。


「…ちょっと待て、お役御免って」


 和やかに話しているオヤジ二人が一緒にこっちを見る。


「そろそろ私の所に戻って来てもらわないとねえ。こう見えて敏郎は優秀なんだよ。いないと不便でね」

「…いると便利なんですね、私」

「うん」


 とほほ、と云うおっさんに父さんは明るく笑っている。ちょっと気の毒だな。


「じゃあ『bear's bar』は」

「人に任せてもいいし、売ってもいいし…」

「や、待って。いや…うん」


 口をついて出るのは文章になっていない言葉。

 今、何を云おうとしたか自分で気付いて焦る。焦ったが、これは譲りたくない。


「あの店、人に売るの待って。…俺が買う。すぐには無理だけどっ」


 あそこを失くしたくない。俺はあの店がある街で色んな物を手に入れた。

 感傷と云うなら云ってくれ。


「…そこは、くれって強請るとこなんじゃないの」

「あー、強請られたらあげちゃうねえ、確かに」


 和人と父さんが頷いている。貰ってどうする。


「遥人におねだりされた事ないからなあ」

「店丸ごと強請る子どもなんていないだろ」


 云った俺は、そこにいる全員の視線を受けて怯む。…何だ?

 ポン、と都己が俺の肩に手を乗せた。


「お前…擦れてないのな、本当に」

「自分がどんだけ金持ちのお坊ちゃまなのか、自覚はないのか」

「…いつも着てる服が幾らとか、知らない筈だわ」


 裕也と葵まで。…いや、家が金持ちでもあんまり関係ないだろう。恩恵を受けていた自覚はある。

 気がつくと財布の中は補充されていたし、その額が人と桁が違う事も知っていた。だからって、飲み代とかホテル代くらいしか使い道はなかったし、無茶な使い方をする気になった事もないから実感は薄い。


「困った坊ちゃんだ」

「坊ちゃん云うなっ」

「じゃあ、こうしようか」


 おっさんに食ってかかった俺は、その勢いを父さんの能天気な声に吸い取られるように固まる。

 何か、もう学習したぞ。父さんのこの能天気な、いい事思いついた的な口調。これはまたとんでもない提案をする時だ。


「イギリスでは語学準備としておくとして、その後四年で学業を修了しなさい。その間にニックやテッドの所で学んで、卒業後はそうだな…五年以内に重役席に座る事。その条件を呑むなら破格で譲ってあげよう」


 破格って、その条件で更に金まで取るのかよ!…と云う突っ込みは飲み込んだ。

 待て。四年で高校と大学出て五年後って事は俺は幾つだ。二十四歳って、将人並みじゃねえかっ

 今まで、『御堂』でだって将人以外に聞いた事ねえぞっ


「温いですね」


 将人が平然と云う。和人はやれやれって顔だし、他の奴らはさすがに唖然としている。

 父さんとおっさんは…だから、何でにこやかなんだよ。


「勿論最大限待って、の話だよ。まさか全部の期間を使うなんて思っていないからね」

「おいっ」


 思わず上げた俺の声は、見事にスルーされる。


「大丈夫。日本と違って四年で大学まで終わらせるのなんて、簡単だよ」


 嘘つけっ

 世の中の学生や受験生の皆さんに謝れっ


「それ位出来なきゃ、私の片腕にはなれないよ」


 冷ややかな父さんの顔。これが本当の社長の面か。…実は物凄く性格悪くないか?

 俺は精一杯顔を上げて父さんと将人を見る。

 そこまで云われて退けるか。


「必ずやってみせる。約束忘れるなよっ」


 畜生、イギリスでだって時間を無駄にして堪るか。アメリカからだってとっとと帰って来てやるっ


 鼻息を荒くしたが、時計に気付いて我に返る。もう行かなきゃ。

 雪乃さんと葵に声をかけ、都己や裕也、樹に近寄る。三人とも待ってるぞと云ってくれる。俺も強く頷いて見せた。


 おっさんと父さんとは握手を交わす。

 父さんは頬に挨拶をくれ、「頑張っておいで」と云ってくれた。


 そして和人と将人は、二人とも静かな柔らかい笑みで強く抱き締めてくれる。

 …ああ、これが最後の子ども扱いなんだろう。そんな気がして俺も抱き締め返す。

 頬に挨拶をくれる時、二人は示し合わせた訳でもないだろうに、小声で同じ言葉を呟いた。


「Strong luck to our angel」(私達の天使に強運を)


 まじないのようなその言葉に、何だか心が温かくなる。

 俺は皆を振り返り、全開の笑顔を向けた。


「行って来ます!」



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