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13.

 葵を狙ってのが響子が雇った男達だったという事は、翌日には分かった。

 駆けつけたおっさんやその仲間が連中を全員警察に引き渡し、あの女も捕まったという。


 俺は病院のベッドの中でそれを聞いた。

 まったく女の嫉妬というのは恐ろしい。


 自分よりいい仕事をし、大きな成功を手に入れそうな葵が妬ましかったと。

 葵さえいなければ、という事らしい。


 まあ、終わった事だから、細かい事には興味がなかった。

 葵が無事だった事で、俺にとってのあの夜の事件は終わっている。

 …俺は正当防衛という事になっているらしい。


「…もう、泣くなよ」


 残念ながら、手を伸ばして慰める事は出来ない。片手は吊るされているし、もう片手を持ち上げるのが無理なのは実証済みだ。


 俺は丸三日意識がなかったらしい。

 目が覚めてからも検査をしては眠り、検査をしては眠り。

 睡眠薬を盛られでもしたんじゃないかと思う程眠った。

 骨折だの刺し傷だの打撲だの。眠る事以外やる事がない、と云うより出来る事がなかったんだけど。


 付き添ってくれたのは和人だった。将人や父さんも来てくれたらしいけど、俺は眠っていたので会っていない。

 ようやく検査の結果が一通り出て、外傷以外問題がないと分かった頃、和人が葵を連れて来てくれた。

 何度か来ていたらしいが、やはり俺は眠っていたそうだ。


 泣きじゃくる葵を置いて、和人はどこかへ消えた。

 …気を利かせたのか?  

 有難いかは微妙なんだけど。


「ごめ…ごめんね。ごめんなさいっ」


 もういい加減、聞いていられない。

 葵の綺麗な顔は涙でぐしゃぐしゃだ。


「葵さん」


 体を起こそうとするが、力は入らない。

 和人がベッドの角度を調整して枕を背中に当てて置いてくれたおかげで、葵を下から見上げないでいられるのだけが救いだ。

 肩を固定されてはいるが指は動かす事が出来る左手を開いたり閉じたりすると、葵は俺の手を静かに握った。


「俺、誰かを守ろうとしたの、初めてだったんだ」


 今まで、俺は守られているだけの子どもだった。

 将人や和人に。父さんだって、守ろうとしたからこそ、俺を閉じ込めた。

 世界が狭かった間、俺は自分が誰かを守るという事が出来る事すら知らなかった。

 街に出て大事なものは増えていったが、それでもあんなに必死になった事なんてない。


「だからさ、ありがと。無事でいてくれて」

「ハルが無事じゃなきゃ意味ない。私のせいなのに」

「葵さんのせいじゃないでしょ」


 出来るだけ、優しく笑って見せる。俺が少しも後悔していない事を伝えたくて。


「俺は生きてる。格好悪くぼこぼこにされたけど、傷なんか治るよ」


 葵は唇を噛み締めて頷く。何度も。


「命懸けになるって、俺には必要だったんだ。俺の足りない所、気付けたからさ」

「…何?」


 俺は答えずに笑って見せる。


「命懸けって、本当に死にそうになる事じゃないって分かってるの?」

 

 またボロボロと泣き出した葵の言葉に、確かにと苦笑が漏れる。


「葵さん、いつかまた、俺達楽しく暮らせると思うんだ」


 唐突に言い出した俺の顔を、葵は窺うように見る。

 ベッドに縛り付けられて、考える時間がたんまりとあったおかげでやっと見る事の出来た先の話だ。


「和人と雪乃さんに子どもが出来て、葵さんと透さんにだっていつかは出来るだろ? そしたらさ」


 葵の涙はいつの間にか止まっていた。


「きっと、そこは、すごく温かい…」


 不思議だ。自分の事は何も浮かばなかったのに、四人が作る家庭は思い描く事が出来る。

 『御堂』を出れば、そこには俺の居場所もあるんだろう。

 和人はそのつもりでいるし、そうなったら俺はとても居心地がいい場所をまた手に入れる事が出来る。

 …でも、それは、俺が本当に望む形じゃない。


「いつか、そこへ俺が行ったら、『おかえり』って云ってくれる?」

「おかえり…?」

「うん。『いらっしゃい』じゃなくて『おかえり』」


 温かいそこで、俺を待っていてくれるだろうか。たとえ、ずっとそこに居続けなくても。


「和人達だけじゃなく、葵さんや透さんにも云って欲しい。…贅沢かな」


 今まで迫られていた選択では、自分が選べない事に気が付いていた。

 俺は、『御堂遥人』も『ハル』も切り捨てる事なんて出来ない。


 『御堂が役に立つ時が来るかもしれない。御堂に入る事が最善の道になる子どもが出来るかもしれない。俺がいつか社長になるのは、そういう時の為でもあるんだ』


 そう云った将人は、将人なりに同じ選択をしていたのだろうと思う。

 過去、二者択一しか許してこなかった『御堂』の頂点に立ち、何かを変えるつもりだ。

 和人が『御堂』を出れば、それ以降和人の子どももその子どもも『御堂』とは関係なくなる。だが、そうするつもりはないんだ。

 父さんも『御堂』の風習には積極的ではない人だった。だが、将人はもっと積極的にそれを壊そうとしてる。

 最初の一例さえ作ってしまえばいい。

 俺達の代はこういう形だと、見せ付けてしまえば。

 …それなら、俺が行くべき道は決まっている。


 やっと、そこへたどり着いた。


「葵さんが女の子を産んだら、絶対可愛いよなあ。大きくなったらお嫁さんになるって言わせていい?」


 にやりと笑うと、葵はやっと笑った。

 潤みきった瞳は相変わらず強くて、それでもそれに沸き立つ感情は以前よりずっと穏やかなのを感じる。


「もっといい男になってたらね」

「…だってさ、透さん。いつかパパって呼んでも殴らないでよね」


 俺が入り口に立ったままこちらを見ていた透さんに話を振ると、葵はびくりとしている。気付いていなかったらしい。

 一緒にいた和人が近付いて来て、俺の前髪をかき上げるように頭を撫でた。


「…よく決めたね」

「俺、実はすごく欲張りだったんだ」


 しかも、我が侭だし。

 呟くと、和人に頬を撫でられる。ガーゼは取れているがまだ腫れや色は元に戻っていない。ゆるゆると触れられる指は痛みを呼ばず、心地いい。


「いいんだ。それを許して、可能にする為に俺達がいるんだよ」

「父さんも許してくれるかな」

「明日将人が連れて来るって云っていたから、聞いてごらん」


 頷くと、またやってくる眠気。

 まだ相談したい事があるのに。


 どうしても目を開けていられなくなった俺の頭を、和人はいつまでもゆっくりと撫でてくれていた。


 

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