475話「異世界の結婚事情が必ずしも現代と同じとは限らない」
「【コンディションコントラクト】」
セラフィムクラスの翼人との邂逅から明けて翌日、俺は再びバルバトス帝国の謁見の間へと赴いた。すでに謁見の間には帝国の主要な貴族たちがスタンバっており、皇帝との成り行きを見守っている。前回のベルモンド侯爵と呼ばれていた男との出来事が堪えているのか、誰も実力行使に出てくることはない。
当然だが、その当人であるベルモンド侯爵も参列しており、その表情は重苦しい雰囲気に包まれている。帝国でも指折りの実力者として知られている彼を、まるで子供のようにあしらわれたことに少なからず自尊心が傷ついているのだろう。
「改めて契約の内容を伝える。バルバトス帝国は金輪際他国に対し軍事的並びに政治的な介入を禁止とし、それを破れば今後一回契約を破る度に帝国内における男子の出生率が大きく低下するものとする。尚、この契約は現皇帝が崩御したとしても無効になることはなく、バルバトス帝国が存続している限り永久に続くものとする。これに同意するならば、この部分に血判かサインをしてくれ」
「承知した」
そう短く答えた皇帝は、宰相が差し出した短剣を手に取り親指を切って血判を押す。それを黙って見ていることしかできない貴族たちは歯噛みする思いだっただろうが、今まで他国に迷惑を掛けてきた分のツケが回ってきたと思って諦めていただきたいものだ。
バルバトス帝国とも契約はつつがなく終了し、これで帝国との用件は済んだかに思えた。だが、相手もタダで転ぶほど人間ではなかったようですぐに懐柔策へと動いたようだ。
「ところでローランド殿は、婚約者などはおられるかな?」
「見ての通り、まだ若い時分なのでな。そういったことは、成人してからでも遅くはない」
「それはいかん。こういったことは後になって大きな問題となろう。そこでだ。ローランド殿に見合う相手を紹介した――」
「ローランド様! 私と結婚してくださいまし!!」
俺に婚約者がいないと聞くや、すぐさま縁談話を持ち込もうとする皇帝だったが、それに横槍を入れる相手がいた。まさかの宰相である。
元々俺に対して熱い視線を送っているとは思っていたが、この公の場でそのような暴挙に出るとは思わなかったというのが正直なところだ。確かに、貴族ということもあってか整った顔立ちをしているものの、人間は見てくれよりも中身が重要である。とてもではないが、彼女がまともな女性であると断言するには俺は彼女のことを知らなすぎるし、今読み取れる情報で精査して俺の勘が訴えかけてきているのは、宰相が女性として云々ではなく、この女が何となくヤバいということだけである。
「……宰相、邪魔をしないでもらおうか? 今はローランド殿と大事な話を――」
「私にとっても大事な話ですよ? 陛下とて私がもう後がない女だということは重々承知のはず」
「そ、それは心中察するところがないわけではないが、それとこれとは問題が――」
「同じです! ローランド様には決まった相手がおられない。であるならば、私がその相手に立候補しても何ら問題はないはずです!!」
「そ、それはそうだが。それはそうなのだが、しかし……」
宰相の反論の余地すらない正論に、どう切り返していいのかわからないといった様子の皇帝。挙句の果てに俺からも「何とか言ってやってくれないか?」とこちらに縋るような視線を向けてくる。お前それでも皇帝かよと突っ込みたくなるのを押し殺しつつ、俺は宰相に向き直る。
「宰相。先ほども言ったが、俺はまだ未成年だ。であるからして――」
「であるからこそ、今のうちに婚約を済ませ、成人した暁には婚姻を結ぶ準備をしておかねばなりません」
「そもそも、俺に結婚する気がない。それと結婚だけではなく恋愛もそうだが、まずは相手の気持ちを慮ることが大事だ。今のお前に俺の気持ちを慮っていると言えるのか?」
「そ、それは……」
俺の言葉を聞いて宰相がハッとする。今の彼女は明らかに自分の気持ちだけを押し付けているだけであり、とてもではないが相手を思いやっているようには到底見えない。人が人と関わっていく中で最も重要なことといっても過言ではないことは、相手の気持ちにどれだけ配慮できるかという思いやりである。その配慮ができない人間は、信用もなく信頼もされない。
俺が何を言いたいのか理解できた彼女が、それ以上俺に詰め寄ってくることはなかった。自分に一体何が足りていなかったのか、どうやら今になってようやく気付いたらしい。
「どうやら、理解してくれたようだな」
「……」
「時に宰相。貴族はなぜ早くに結婚したがると思う?」
「?」
ここで、俺は結婚というものについて感じていたことを彼女に言ってやった。そもそも、結婚とは生物学の観点から見れば、最も効率良く子孫を残すことができるように認め合った異性同士が寝食を共にする行動であり、言うなれば生殖行為を行いやすい環境に身を置くというものでしかない。
そして、我々は知性ある動物であり、そういった醜聞や外聞が悪いことをとかく気にする生き物であるため、いつしか生殖行為を行う相手は婚姻関係を結んだ相手と行うのが望ましいという風習となっていったのだ。
「そして、女性が子供を身籠ることができる期間は、初潮を迎える十代前半から閉経する五十代前後の大体三十五年から四十年ほどだ。年齢が高くなればなるほど出産時に命の危険があるから、実質的に子供を安全に産める期間はさらに短い二十五年から三十年ということになる。二年に一人のペースで子供を産んだとすれば、女性が子供を産むことができる最大人数は単純計算で十五人ということになる。ところで宰相、今歳はいくつだ?」
「に、二十四歳です」
「ということは、四十五歳が出産の限界と考えた場合、残っている期間は二十一年。今すぐ結婚して二年に一度子供をもうければ、十人も産める計算になる。四十歳で計算しても、八人は産めることになる」
「そ、そんなに……」
「貴族であれば、長男とその代役となる次男、政略結婚の駒として長女と次女の二人の合計四人もいれば貴族の家としては十分な人数になる。そして、お前は計算上あと八人は子供を産むことができる。そう考えればまだ二、三年は結婚しなくとも問題ない。ある地域では、三十代前半で結婚してさくっと子供を二人作って、あとは夫婦で仲良く暮らしていくなんて話もあるくらいだからな」
「そうなのですね」
それから、俺は結婚を焦る必要のない理由をあれこれと並べ奉った。中にはこの世界では当て嵌まらないような事例などもあったが、それを確かめる術がない以上その話の真偽について咎められることもない。それに俺が話した内容は実際に前世の日本であった話なのだから、100%の嘘というわけでもない。詐欺師? お金は騙し取ってませんが、何か?
「私は何を焦っていたのでしょうか。お恥ずかしい限りです」
「こういったことは時間が解決してくれることもある。焦らずに余裕をもってやることだ」
「ありがとうございます!!」
そういって憑き物が取れたような清々しい顔でお礼を言う宰相だが、俺が話した内容には幾つかの偽称が含まれている。まず、根本的に俺が話した内容は前世の日本での話であり、この世界の結婚事情が必ずしもそれに当て嵌まるとは限らないということだ。
そもそも、平均寿命からしておそらくは二十年くらい差がある。低年齢での結婚が風習化した大きな理由は平均寿命の短さだと予想しており、それはこの世界の成人年齢が十五歳であることからも窺える。
しかしながら、女性が子供を産むことができる年齢はおそらくこの世界でも同じであるため、この世界においても四十歳を過ぎても子供を身籠ることは決して不可能ではないと考えている。要は本人にその気があるかどうかの話である。
「では、俺はこれで失礼させてもらう」
「お待ちを。少々よろしいだろうか?」
化けの皮が剝がれる前にとんずらしようと思ったが、それをインターセプトするかのように割って入ってきた人物がいた。俺に挑んできたベルモンド侯爵である。その顔はらんらんと輝いており、この雰囲気はどことなく知った人物を思い出す。そして、彼の次の言葉で完全にその知った人物を思い出すことになる。
「優れた武勇だけでなく、その類まれなる知識。感服いたした。是非とも私を弟子にしていただきたい」
「……」
うわぁー、出たよ。面倒臭いやつだ。俺が内心でそう思っている間もまるで忠犬のように尊敬の眼差しをベルモンド侯爵が向けてくる。彼に尻尾が生えていれば、間違いなく左右にブンブンと揺れていることだろう。
どうしてこういった人種は、負けた相手に弟子入りしたがるのだろうか。普通は独学で修行を重ねてさらに実力を付けて再戦するんじゃないか? 俺が読んだ戦闘民族が出てくる漫画の登場人物たちは自分で修行をやっていたんだがな。
「断る。俺は弟子を取っていない。だから――」
「では、私に剣の稽古を――」
「基本的にお前たちは基礎体力がなってない。剣を扱う以前の問題だ。強くなりたいなら、走って走って走りまくれ。あと、スコップで自分の背丈の深さの穴を掘れ」
「なるほど、何事も基本が肝心ということですな。さすがは師匠です」
「俺はお前の師匠じゃない」
それから、何とか理由を付けてその場から逃げることに成功したが、しばらくは近づかない方がよさそうだ。
こうして、バルバトス帝国との一件は決着がついた。あとは、翼人との落とし前を付けるだけである。まずは、更なる実力アップをするべく、俺はナガルティーニャと再び結界の中でしばらく過ごすことになる。
余談だが、その中でロマンスがあったのかと問われれば、この返答が妥当だろう。“……何も、なかった!!”
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