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250話「マルベルト領へ」



「さて、行くか」



 オラルガンドでクッキー販売のノウハウを仕込んだ翌日、俺が次に向かったのは、かつてのホームであったマルベルト領だった。



 今のところ、シェルズ王国で第一の都市と第二の都市である王都ティタンザニアと迷宮都市オラルガンドにクッキーを根付かせ、他の都市や街、果ては小さな村落に至るまでクッキーを布教する腹積もりだ。



 一つの拠点から徐々に広めていくのもいいが、複数の拠点を介して蜘蛛の巣のようにクッキー包囲網を展開させていく方が広まる速度も大きく違ってくる。



 そんな目的のため、俺は再びマルベルト領へと戻ってきた。できることならば、あまりここには戻ってきたくはないのだが、マルベルト領は他国に隣接するバイレウス領と他の領地を繋ぐ中継地点のような役割を担っている土地でもあるため、良い意味でも悪い意味でも何かを広めたい時に都合がいい場所だ。



 もちろん他にも似た領地は探せばあるだろうが、俺がクッキーを広めようとするにはそこを治める領主の協力は必要不可欠だ。マルベルト領であれば、その協力も取り付けやすいという魂胆もあったりするのだが、とにかく俺は瞬間移動でマルベルト領に転移する。



 ローグ村に転移をした俺は、誰もいないことを確認し、すぐに領主の館を目指す。できるだけ目立たないよう行動したつもりだったが、何故か屋敷の入り口で待ち構えている人物がいた。



「ロランお兄さま、おかえりなさいませ!」


「何故ローラがここにいるんだ?」


「お兄さまが帰ってくれば、すぐにわかります」



 お前には兄を探知するレーダーでも付いているのかという突っ込みを心の中でしつつ、俺はマークがいる部屋へと向かった。やたらとくっついてくる妹をやんわりと引き剥がしながら、弟のいる部屋へとノックもなしに入った。



「邪魔をするぞ」


「兄さま! いらしてたんですか」


「ああ、問題はなさそうだな」



 そこにいたのは、勉強のため本を読んでいたマークだった。俺がいなくなった後も自己を鍛えることは怠ってはならないと言いつけてあるため、それを実践していたのだろう。



「ところで、ここに帰ってくるなんて何かあったのですか?」


「まるで俺がここに戻ってきたくないような言い方だな。まあ、間違ってはいないから何とも言えんが」


「それで、どうしてお兄さまは帰っていらしたの?」



 なかなか本題に入らない俺に、業を煮やしたローラが問い掛けてくる。マークも同じ気持ちなのか俺の言葉を待っているようだ。そんな二人の様子を微笑ましく思いながらも、俺はストレージから例の庶民クッキーを取り出す。



「とりあえず、これを食べてみてくれ」


「これは……クッキーですね」


「まあ、クッキー! さっそくいただきましょう!」



 俺が出したクッキーを見て、嬉しそうにしていたローラだったが、俺が出したのはお茶会で出されたバターが使われている贅沢クッキーではなく、庶民クッキーだ。



 人はどんなものでも上のレベルのものを知っていると、下のレベルのものに対して満足感などが満たされない欲深い生き物だ。



「もぐもぐ……うーん、お茶会の時のクッキーの方が美味しかったですね」


「確かに、以前お茶会で食べたものはもう少し味に深みがあった気がします」



 とまあ、こういう具合になってしまうのだ。だが、これは別に二人が悪いわけではない。よく聞く話だが、あぶく銭を手に入れた人間が下手に生活水準を引き上げた結果、元の生活水準に戻すことができず、借金が嵩んで首が回らなくなるといったことと似た感じだ。



 贅沢クッキーを一度口にしている二人からすれば、品質的に劣る庶民クッキーでは満足できない舌になってしまっている。



「今日俺がここに来たのは、このクッキーをこの領地で生産して、この領地を訪れる人間に振舞ってほしいんだ」


「特産にするということですか?」


「正確には、この国の特産にする。もう既に王都でこのクッキーの販売が始まっている。オラルガンドでも明日か明後日に販売が開始される予定だ」


「これをマルベルト領でも販売するということですか?」


「そうだ。そして、最終的には隣の領地にこのクッキーのレシピを広めていき、国全体で共有する形となる」


「途方もない話ですね」


「さすがロランお兄さまです。考えている規模が違います」



 俺は二人にこのクッキーを広める計画の概要を教えてやる。広めることについては、妨害工作さえなければ案外すんなりと広まってくれるのではないかと楽観視している。



 こういった、誰でも簡単に手に入れることができる甘味や嗜好品というものが存在していなかった以上、庶民たちに受け入れてもらうことはあまり難しいことではない。



 幾つかの懸念としては、この手の嗜好品などは権力者の手によって独占や秘匿されてきた歴史があるため、今後貴族や有力な商人が動いてくる可能性も視野に入れつつ行動をしていくつもりだ。



「とりあえず、父上にも相談したほうがいいだろうから、父上の執務室に行くぞ」


「はい、お供します」


「わたくしも付いていきます」



 現在マルベルト領を治めているのはマークではなく、その父親であるランドールだ。いずれはマークがその座に就くことにはなってはいるものの、今だ十歳と成人すらしていない弟に領地のことをすべて任せるというのは現実的ではない。



 そのため、マルベルト領の政については現当主であるランドールが握っており、領内で何かをするためには彼の許可が必要となってくるのだ。



 尤も、そんなことは無視して問答無用で計画を進めることはやろうと思えば可能だ。だが、一応血の繋がった肉親であり、当主の責務を放棄してしまった負い目がある以上、領内のことについては、できる限り彼の許可を求めるべきだと判断した。



 執務室に到着し、ドアを数回ノックすると「入れ」と許可が出たため、俺は執務室へと入室する。



 室内では、相変わらず真剣な眼差しで書類と格闘する父の姿があり、少し前まで病で死にかけていた人物だとは誰も思わないほどだった。



「ん? おぉ、ロランか。何の用だ?」


「実は、かくかくしかじかぽっくりまったりというわけだ」


「……何を言っているのかわからん」


(ですよねー)



 俺の周りの人間でなまじこの方法が通じる相手がいるものだから、てっきり父もそうなのかと思っていたのだが、さすがに肉親でも具体的な言葉でないと伝わらなかったようだ。



 ちなみに、マークとローラは俺の言葉を理解したようで、「さすが兄さまです」だの「素晴らしいお考えですわ」などと絶賛しているが、そのことについて突っ込まずにスルーしておいた。



 そして、俺は改めて父に領内でのクッキー販売の許可を得るべく、ストレージから見本となるクッキーを取り出し、試食してもらいながら説明する。



「そのクッキーを、このマルベルト領内で販売したいと考えている。今日はその許可を貰うために来た」


「なかなか美味いな。話はわかった。お前の好きにするといい」


「そんな簡単に許可を出してしまっていいのか?」



 俺は、あっさりと許可を出す父親に怪訝な表情を浮かべながら問い掛けた。だが、返ってきた答えは、俺が予想していたものとは違った意外な言葉だった。



「息子が善行することを咎める親など、どこにも居はしない。それに、我が領内でいかがわしいことをするわけではないのだろう? 寧ろ、この領地にとって更なる発展が見込める内容だと判断した。是非ともやってみろ」


「……」



 ランドールがぶっきらぼうながもそう答えていたが、その表情はどこか照れくさそうな様子だった。どうやら、彼も人の子として俺のことを一定数愛情を向けてくれていたらしい。



 そんな父の様子が嬉しかった俺は、彼に歩み寄ると彼の腰に抱き着きながら、甘えるような声で言い放った。【息子モード】全開である。



「ありがとうパパ。大好きだよ!」


「んぅ、やめんか。今は仕事中だ」



 そう言いながらも、彼もまんざらではない様子で、頬を掻きながら照れている。そんな彼から離れると、俺はストレージからあらかじめ土産用に購入しておいたものを机に置く。



「王都の酒蔵から買ってきた地酒だ。なんでも、八年物の熟成品でなかなかな味らしい」


「こ、これは【天露の雫】ではないか! なかなか手に入らないという幻の酒だ。しかも、八年物はその中でも生産数が少なかった年で、同時に当たりの年と言われている。本当にもらっていいのか?」



 すぐに息子モードから通常モードに戻った俺は、父に手土産を渡す。その土産に驚愕した父が、本当にもらってもいいのかと問い掛けてきたので、「そのために持ってきたんだ」と首を縦に振る。



 それから、嬉しそうにする父と少し雑談を交わした後、俺は執務室を後にし、そのままローグ村へと向かうのであった。 

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― 新着の感想 ―
[気になる点] お茶会のときは、かくかくしかじか、で父親につたわってましたけどね。
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