京都アニメーションに、神さまは謝れって。
なにが起こったんだろう?
なぜ、人は死ぬのだろう?
絶対にあの中に死なねばならないほどの悪人はいなかった。
それどころか、世界に夢と希望を与えるために日々素晴らしい作品を作り上げるという目標に向かって努力を怠らず前を向いて進み続けている夢追い人たちばかりだったと思う。
にもかかわらず、なぜあの人たちは突然その生を奪い去られたのだろう?
神さまはなにをどう間違ったのだろう?
あまりにも、あまりにも。
神さまはいないんだって、全ての人に伝えるための?
悪魔こそがこの世を思い通りにしていると、全ての人に思い知らせるための?
私はいい年をしてアニメが好きだ。
いっとき全然見ない時期はあったが、まどマギで目覚めたアニメ熱は未だに消え去らず新作アニメを見続けているよ。
ワンピースでさえ見てるよ。
原作のマンガの方がクオリティや芸術性は高いと知ってるけど、原作にはない妙なシーンに対するこだわりが素敵だと思えるようになって、そしたら別の視点から面白く見られるようになったよ。
銀魂なんて、アニメの方しか見てないくらいだよ。
でも、多分だけど、今のアニメが今のアニメになったのはシャフトと、そして京アニが新しいアニメを提供したからだろう。
新開誠さんの繊細な作風は、あれはあれで大好きだけど、あの人はアニメを牽引したわけではない。
ただアニメという世界の端っこで他人には作れない独特の感性を磨き続けてきただけの天才でしょ?
その点、シャフトも少し似ているかも知れない。
この独自の観点を提示し続けてきただけかも知れない、素晴らしいエンターテイメントって、こうするんだよ?って。
でも、まどマギと物語シリーズの質の高さが全てのアニメを引き上げる、アニメという世界が文学や哲学あらゆる芸術を平気で凌駕しうる可能性を見せつけたのはホントではあるのだろうけど。
そして、京都アニメーション。
その存在が、日本のアニメをまさしく芸術を超越したアニメにさせることができるということを全世界に提示した嚆矢といってもいいだろう?
なんどもなんども、泣かされたよ、私。
そして、なんどもなんども萌えさせられた。
最悪の展開とか金と時間の無駄遣いって酷評もされた涼宮ハルヒのエンドレスエイトだって、実は全話の中で見れば、トータルで考えれば、あれはどう考えても長門有希ちゃんの絶望的なまでの孤独を少しでも理解させようとする演出だったよね。
あのあと、私は長門有希ちゃんがとても儚げに見え出してとても大好きになってしまったものだよ。
たぶん、だけと、天才が一人いて。
というんじゃないと思うんだ。
新房さんというひとり天才がいて、シャフトという会社を高みに引き上げた、みたいな感じではないと思うんだ。
むろん、アニメ史に残る傑作であることは当たり前で、それを通り越して社会現象にまでなった、社会にアニメをオタクだけのものではないと浸透させた前述『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディングで流された通称「ハルヒダンス」。
むろん、なぜそのダンスがあれほど支持を得たのかといえば、それを踊る主人公たち女の子たちの手足の線に可愛らしいリアリティが存在したからだということは、論を待たない。それを描き出してみせた京アニのクオリティの高さ。
また近年ヒットしたテレビドラマ(ドラマ自体は見たことがないがそれでも知っている)「逃げ恥」のエンディング通称「恋ダンス」が、「ハルヒダンス」と同じ効果を狙った二番煎じで(それが成功した一番の例であり、それ以外にも同じ効果を狙ってさほど成功していない例はたぶん枚挙にいとまがない)あることも論を待たない。
いや、そんなことはどうでもよくて。
今回のこの出来事。
あまりにも、悲劇に過ぎる。
なぜなら京アニのイメージって、そうなのだ。凄い無垢であるがゆえにお金儲けがヘタだけど、その類稀なる技術の高さで認めざるを得ないアニメを提供し、さらには業界のレベルを底上げしたようなそんな奇跡のような業績を残して来た会社。
誰もあのアニメの世界のみで生きてきた、アニメをこよなく愛(愛がなければ絶対あの京アニの一連の作品は作れない)した、稀有な無垢な世界で純粋培養されたような京都アニメーションを嫌いと言っているのを聞いたことがない。
みんなの宝ものだった。
だからこそ、犯人は京アニを狙ったのか?
一番よごれていなくて、一番キレイだったから?
わからないよ。
ホントうに、なにもわからないよ。
なにをどうしろというのだろう。
なにを思えっていうのだろう?神さま?
神さま?あなたは存在しないって?
世界には「存在エックス」がいて、そいつは私たちに絶望を感じさせるためだけに存在しているに過ぎないって?
じゃあ私たちは、いったいなにに祈ればいいのだろう?
それを考えても考えても絶対に答えが出ないことだけはわかる。
涙は、止まらないけれど。
けっきょく私は京都アニメーションみたいになりたかったのかも知れない。
なにを言っているのかわからないと思うけど、無垢だけど、技術を持ったとても強い存在そんな感じ。
ホントうは、ダメなんだ、誰に怒りをぶつければよいか、犯人を憎むのは当たり前でも、犯人を憎むくらいなんかじゃ、失われたものが大きすぎてとてもじゃないがつりあわないさ。
だから神か悪魔かそんなものを持ち出すしかないし、持ち出すんなら神で、だから神よおまえはいないじゃねーかよって、神に毒づくしかなくって。
あゝ、なぜでもこんなことになるんだ?
なんの意味があるんだ?
こんな世界なんて。
私はただの京都と宇治に関わりのある関西の人(あ、そういえば昨今流行りのアニメの世界の「聖地巡礼」だって、涼宮ハルヒの西宮北口駅がその嚆矢でしょ?)で、いい年をしてアニメ大好きな、オタクにさえなれなかった(前にもどこかに書いたけど、オタクになれるパワーって凄いと思うし、本気でそれを持っていない自分をなさけなく思っているんだ私)情け無いヤツではあるのだが、アニメを好きなことだけは(べつに誰にも誇れはしないけど)私の人生の生まれて良かったって納得できるたった一つの免罪符になっているように感じているものなのだ。
だから、本気で泣いたよ。今回の。
言っちゃ悪いけど、それがほかのアニメ制作会社なら受け止め方もまた違ったのかも知れない(ほかのアニメ制作会社の皆さん、ごめんなさい)。
でも、さっきも書いたけど、だから京アニが狙われたのかも知れない。
その存在の高さゆえに。
その存在の無垢さゆえに。
でもとりとめもなく、悲しみをつづっていても仕方がないので、もうやめます。
最後に、斯界の奇跡、京都アニメーションの(出来うる限りで結構ですので)そのすみやかな復興を心よりお待ちしております。そして祈らせていただきます。
そして、今回天国に召された無垢なる魂をお持ちのクリエーターの皆様の御霊が安らかに眠りにつかれることをお祈りさせていただきます。
きっとそこには神さまがいらっしゃって、あなたたちに泣いて謝っていただけるはずですから。