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どこにもなかった風景、経験しなかった思い出

ベンチレーター

作者: あめのにわ

直下管の中に、赤いマットレスが落ちていた。


便器に座ったとき、足元になる位置に敷いてあったものだ。

誰かが押し込んだように、中途までねじ込まれている。

便器から一メートルほど下に入り込んでいた。


誰のしわざなのかは、分かっていた。


だが今はこのマットレスを引き上げないといけない。

さもなければ、便所が詰まってしまう。


直下管は直径五十センチほどの塩化ビニル管であり、上部の便器の穴から垂直に二メートルほど下ってわずかに曲がり、便所のすぐ外側の屋外にある地下の屎尿槽につながっている。


私の家は、地方都市から少し離れた建て売り住宅地の中にあった。

住宅地は一九七〇年代に開発され、十数年は経過しているが、下水道設備はまだ普及していない。


便器からの排泄物と洗浄水は直下管を落下して、屎尿槽に蓄積され、定期的にバキューム・カーで訪れる汲み取り業者に収集された。

業者は屎尿を処理施設まで運搬して、汚水処理を行うのであった。


屎尿槽の上部はベンチレーターに接続されており、汚物の臭気は強制排気される。排気用の管が、便所の屋外に煙突のように高く伸びており、電動式の換気扇がそのてっぺんで回転している。


換気扇は常時稼働していた。便所に入るたびに回転音が直下管の向こうからうつろに響くのが聞こえた。

冬の夜半、空っ風がきびしく吹きすさぶ時には、回転音と風切り音が混ざり、時には吼えるように、大きくうねった。一晩中、それは続くのだった。


私はいったんトイレを出た。

すぐそばの風呂場に、人の気配がした。

ガラス戸を開けると、湯を張った浴槽のそばに、着衣した父親が立っていた。

背広とスーツ。仕事にゆく時の姿だった。


父親はうつろな表情でズボンの前を開け、陰茎を出して放尿している。

そのままだと尿が湯に入ってしまいそうだ。

私はあわてて父親の身体に手を添えて、向きを変えた。

認知症が進んだらしい。


便所に戻ると、マットレスはさらに下に落ち込んでおり、手で引き上げることはもはや難しかった。

バケツで多量の水を流し込み、屎尿槽の側に落とし込んで、そこから引き上げるしかない。だが果たしてうまく落とし込めるだろうか。


家の外に出て、回り込むと、便所の出窓の下に汲み取り用のマンホールがあった。

マンホールを開くと、中にはタラップがある。

降りてゆくと地下空間であった。

思ったよりも、広い。天井までは一メートル半あり、六畳ほど、足場の向こうに汚水が蓄積されている。


私は化学防護服を着用していた。まるで消防士のように、頭部からすっかり覆われている。なんとか、屎尿の飛沫による汚染は避けられそうだった。私は作業を開始した。

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