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8歳

 8歳になりこの2年の間で領内にも大きな変化が起きていた。

 ライル王国に隣接している小国家ポステアが、中央集権国家ドブルクに攻め込まれ滅ぼされた。

 国境を守備していた砦の貴族達が事前に内通しており国境では一切の抵抗もなく、王都にまでつながる街道の貴族達も一切の抵抗を見せず、瞬く間に王都まで攻めいられ戦いは一方的なものであり2週間とかからずに王都は陥落し王族は処刑され小国は滅んだ。

 内通した貴族達は領地を安堵され、抵抗も加担もせず日和見を決め込んだ貴族は王都陥落後に各個撃破されていった。


 ライル王国は親交のあったポステアが攻め込まれ国王が諸侯に軍の招集を呼び掛け援軍に駆けつけようとしたが、先発隊である国境付近の領主達がライルとポステアの国境付近に近づくと王都陥落の知らせがあったため先発隊は国境付近のポステア領の防衛を行った。

 王都を落としたドブルクは周辺貴族を各個撃破していき、ライル王国からの本隊がポステア領に入ると防衛態勢を整え両軍は小競り合いを繰り返し3カ月に亘って対陣した。

 数はドブルクの方が3割ほど多かったが、ポステアでの略奪を行い戦意が低下しておりドブルクから攻め込む事はなかった。

 ライル王国でも3カ月に及ぶ対陣による戦費の増加により諸侯からも不満が出始めたころ、教会の仲裁によって停戦協定が結ばれた。


 滅ぼされた領地はドブルク領として認められ、残ったポステアの諸侯たちはライル王に忠誠を誓いライル王国に編入されていった。

 領主のいなくなった土地はドブルクから新しく貴族が封ぜられたり、王家直轄領として代官が置かれ管理されていった。

 この戦争にはハウンド男爵家からも、父と祖父に5人の騎兵と20人の農民兵が参戦した。

 我が家では負傷者などはいなかったが、他の諸侯と同じく現地で調達する兵糧に多くの出費があった。


 ポステアでは町や周辺の農村から2万人が難民としてライルに流入し、諸侯は町で働いた職人達を中心に自領に勧誘していった。

 技能を持たない者や女や幼い子供達は各地の町に移り住みスラム街を形成していった。

 クレント男爵領のクルルートの町でも約500人の難民が住み着きスラム街を形成し、貧困による強盗や殺人といった事件が多発し治安が悪化していった。


 クレント男爵から相談を受け、ハウンド男爵家で500人の難民たちを受け入れが決まった。

 人口10名で小さな漁船1隻のトサ村に50名を受け入れ、新たに3隻の造船を行い干鰯の生産を増やしていった。

 森を焼く事によって伐採の手間を省いた焼き畑農業によって早期に耕作地の確保を行い、新たに2つの村が領内にできた。

 新たな2つの村には兄の弟でありシバ村を管理しているベージェフの子2人が代官として任命された。

 この2つの村では供給量が増え価格が低下しつつある麦に変わり、アブラナや新大陸から入ってきたヒマワリやジャガイモを栽培し麦は村で消費する分程度とすることとなった。


 難民の流入によって領内の人口が1500人を超えるようになっていった。

 行商人たちを通し領内では牧草として利用するためににアルファルファが植えられいった。

 アルファルファは1mほどに成長し2か月毎に刈入れを行うことができ、牧草の収穫量が非常に大きく向上した。

 牧草の収穫量が向上したことによって秋に屠殺する豚の頭数を減らし、新たに乳牛を各村で飼育し乳牛によるチーズの生産も行うようになっていった。

今までは羊乳によるチーズを作ってたという意味です。

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