5歳1
海面に銀色の光が反射し跳びはねる、30mの範囲にいくつものそんな光景が見えていた。銀色に反射し跳ねているのは網にかかった魚であった。
私は5歳になり文字や計算の勉強と乗馬の訓練の日々が続いたある日、次兄ノヴァが治めるトサの漁村に来ていた。
トサ村では網の端に括り付けたロープ片側を土中に深く打ち付け船で100mほど沖で網をしかけ、反対の網のロープを浜にいる者たちで引く地引網で漁をしていた。
男が10人ほどのこの村では、船を操るのに5人いるため残りの5人ではロープを引く力が足りないため馬を使って漁をしていた。
漁村のトサ村はアキタ村川沿いに下り60kmほど離れた河口にあり遠浅の海岸で、人口は10世帯で若い男女の夫婦だけである。
晴れた日に朝から漁を行い、採れた小魚を海水を沸騰させた大きな鍋に入れ、数分ゆでた後に圧搾して油を搾り採り、搾りかすは天日で干して干鰯にしている。
魚油は町に石鹸などに加工する原材料として、干鰯は農作物の肥料として利用するために行商人に売られ、他に獲れる大きな魚やタコ・イカなどの物は村内で消費するか、干して乾燥させ行商人に売り払われる。
私がここにいるのは兄の治める漁村の様子を見るためと魚介類を食べに来るのが目的だった。
「こっちの魚も焼けてるぞ、ほら食え食え。遠慮してるんじゃないぞ、ガッツリいけ」
「この牡蠣とかいう変わった貝も上手いぞ、焼いてもいいが生で食ってもいけるぞ」
兄が焼けた魚をいろいろと勧め、他にはタコ・イカ・貝などの海産物も堪能できた。
この世界に来て初めて見る牡蠣を見て思い出したことがある、寿司文化が知られるようになるまで外国人は生の魚を食べる日本人をよくおかしいといった物だが、外国人も牡蠣は古くから生で食べ、ローマ帝国の時代に遠征時に兵站として牡蠣を養殖し生で食べてたことから牡蠣は生でも食べて魚は食べないとか変だなと思っていた。
日本の牡蠣とは違って淡泊らしく、一時期牡蠣が壊滅的な被害があって絶滅しかけた時に日本の牡蠣を繁殖させ数が回復したが、濃厚な味は好みじゃないとかで淡泊な味に品種改良してたんだよな。
「初めは操船も漁もしたことなかったけど、まぁ何とかなるもんだな」
「こうやっていっぱい魚が獲れるなんてノヴァ兄は凄いね」
「どうだ、お前も大きくなったらこの村に来て漁師になるか?それとも新しく村を作って畑を耕すのか?」
「大きくなったら商人になって、商会を作って王都ににも店を出したいな」
「商人か俺や兄貴とも違うし、親父や爺さんとも違う生き方だな」
「そうだね、領内に町を作って領内に人がもっとにぎわう様にしたいんだ。今は行商人の人達が来て売買できるようになったけど、商会を作って店を開けば毎日欲しい物が買えるようになって皆が便利になるからね」
「ルークもいろいろと考えているんだな、何言ってるかよくわからなかったけど」
5歳になった私はいろいろなことを学び、祖父に嫁ぎに来る前の祖母は町の宿屋の娘であり、我が家では文字や計算などは家の者は祖母から学んでおり私も同じように祖母から学んでいる。
宿屋の娘であったことからいろいろな職業の者と接する機会も多く、多様な職業の話を聞き中でも宿を利用する商人の話が多かった。
ただ単純に物を売買する者や、遠方のそこにしか無い物を運搬し巨万の富を得る者、材料を仕入れ加工をし売る物などいろいろな話を聞き、領では肥料などを含めた農業の改革に収穫量が大幅に増えたが他の地域でも真似をされれば行商人の往来は減り領内が寂れていくと考える。
そこでこの他領とは違う特産品を創り出し、商人や職人が存在する町で特産品の売買を通して町を領内を活性化させるのが将来の目標だ。
翌朝村に帰るため朝食を食べた後、兄と兄の嫁に別れの挨拶をし袋を渡される。
「気をつけて帰れよ、親父たちにはその干物を渡しといてくれ」
「わかった、じゃあまた魚が食べたくなったら来るよ」
そう言って干物の入った袋を馬に括り付け、馬の背に乗り走り出す。




