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魔法使いの弟子<6>

私に会いに来た男の名前はクラウスというらしい。


警戒心バリバリの私に、彼は眉を下げた。

「俺のこと、クローから聞いてない?」

「知り合いだと」

「知り合い、って……相変わらずだな、あいつ」

がっくりする男。


「……ご用件は?」

「そんなに構えなくても大丈夫だよ、お嬢さん」



クローのお友だちだとしたら、多分私よりも若いんじゃないのか? 年下にお嬢さん呼ばわりされるのもなぁ。

思わず半眼になる私に、彼は言った。

「あいつにペンダントを渡したのはお嬢さん?」

「──!」


なんでピンポイントでその話題だよ! それ、今私の中では最高ランクにデリケートな話だからっ。


顔を強ばらせる私にお構いなく、そいつは続けた。

「あいつのこと、よろしく頼むって言おうと思って来たんだ。俺が言うのも変な話だけど、昔からあいつ放っとけないところがあって。そういえばお嬢さんも『黒』なんだな」


初めて気づいたように、彼は言った。






(クラウス)が帰っていったあと、私は洗濯箱が働くのを横でぼんやり見つめていた。

いつもならこのタイミングで朝ごはんの支度をするとこだけど、クローはまだ部屋から出てこない。


さっき、あの男が私の色に触れたとき、なんだか違うと感じた。

町に出たときに、みんながクローを見る目にあった拒絶とか好奇心とか、そういったものが一切ない、普通の温度の言葉。

だから、私は訊いてみた。

「黒髪とか黒い瞳って忌まれてるの?」


思えばあのとき、クローは町へ出るのを『お勧めしない』と言っていた。

私の髪をこれでもかとばかりに念入りに布で包み、薄いヴェールを被せて瞳を隠した。

ああやって髪と顔を隠すのは、修道女見習いの印なんだそうだ。


黒髪や瞳についてはあれからずっと気になっていたけど、クローにはどうしても訊けなかったことだった。



クラウスは何かを察したように顔をしかめた。

「それを訊くってことは、お嬢さんこの辺の出身じゃないよな?」

警戒して返事をしない私を気にすることなく、彼は続けた。

「で、そこの町に行ったら驚いた、ってとこだろ?」


今度はこくりと頷いてみせる。


彼はため息をつき、「そりゃまあアレじゃあ驚くだろうな」と教えてくれた。




クラウスはそこの町の出身らしい。実家があるので昨夜はそこに泊まって、今朝改めてやって来た。

昨日私が家にいたことにはちやんと気づいてたそうだ。クローとは幼馴染みだという。



「この辺りは見ての通り田舎だからな、黒に対する偏見が残ってるんだ。知らないか? 大昔、黒髪黒目が異端者だと迫害されてたのを」


私がびっくりしたのを見て、奴は慌てて言った。

「本当に大昔だぞ! 百年以上前の話で、そんな話引きずってるのはこんな田舎くらいだ。それにこの辺りでも、魔道具が普及しだしてからは以前よりだいぶマシになった。魔道具には黒の作った魔石が不可欠だからな」


「この色は、ここ以外の町ではどんな扱いなの?」

頭に手を当てて問うと、「別に俺たちと変わらない。都会には黒もたくさん住んでる」と答えが返る。


じゃあなんでクローはこんなとこに住んでるんだろう。

考え込む私に奴は言った。

「お嬢さんからも、あいつに勧めてくれよ。ここから引っ越せってさ。俺の町(サザナン)に来てくれりゃあ一番いいけど、余所の町でもいい。ここでなければ」

「……なんでここがダメなの?」

うん、私もここはダメだと思ってるけどな。


私自身は、あの『歪み』にまだ心を残したままだ。もう帰れないと諦めはしたけど。

あんな高速で移り変わる景色に飛び込んだとしても、また違う世界に飛ばされるのがオチだってことくらい分かる。だけどあそこを通るたびに、『歪み』がないか無意識に探してしまうんだ。そして、見つけたが最後消えるまでそこから動けない。


あれ以降、『歪み』の中に私の部屋が見えたのは一回だけだった。だから毎回同じ景色が映るわけじゃないっていうのもわかってる。

その一回だけ映った時も、映らなかった時にも、ずっとクローが横で手を握っててくれた。

『歪み』を凝視したまま、動けない私の手を。


だけどクローは?

彼は何に心を残して、ここに住み続けている?



「ここには昔、あいつとあいつの兄ちゃんと爺さんの三人で住んでた。そのうち爺さんが亡くなって、兄ちゃんとあいつの二人になって、そしたら今度は兄ちゃんがいなくなった。どこに行ったのかも分からない。もう十年も前の話だ」


『いなくなった』という言葉に、何か感じるものがあった。まさか……。


──まさかね……。

でも私の脳裏では、『歪み』がピロピロとあちこちの景色を垂れ流している。


「あいつは、いつか兄ちゃんが帰って来るかもしれない、と思ってるんだ。だからここから離れられない」


私が『歪み』から目を離せないとき、クローはどうだった?

クローも私の手を握りながら、やっぱり『歪み』を凝視してた?


「もう十年たつんだ。そろそろ前を見て、新しい生活に踏み出したほうがいいんじゃないか? 結婚すんならちょうどいい区切りだろ」



私が初めてここに来たとき、クローは誰かと間違えたって言ってた。

それがもし、行方不明のお兄さんだったとしたら?

クローの兄弟なら同じ黒髪なのかもしれない。私の髪を見て、どこかの世界へ行ってしまったお兄さんが戻ってきたと思って、私を引き摺りこんだのだとしたら?


クラウスはまだ何か言ってたけど、私の耳にはほとんど入らなかった。

もしかして、クローもあの『歪み』に囚われてる? だとしたら、同じように囚われている私が、彼にいったい何を言えるって?



上の空の私に呆れたのか、奴は「あいつ、また近いうちにサザナンに来るって言ってたしな、今日のところは帰るわ」と言い残して帰っていった。


そして私はぼんやりと、洗濯箱が真面目に働いてるかどうか監視している。




やがて、カタカタと小さく揺れていた箱が動きを止めた。

この箱は向こうの洗濯機みたいに、終わったからってお知らせなんかしてくれない。

箱の蓋を開け、上から順に低い位置の物干し竿にぶら下げていく。洗濯バサミなんてものはないから、全部木製のハンガーにかけるか、筒状の部分を竿に通して。

この世界に来た頃、タオルにも靴下にも小さな輪になった紐がついているのが謎だったんだけど、自分で洗濯するようになってからぶら下げるためのものだと気づいた。


気が乗らないまま、いつもよりもノロノロした動きで干し終えた竿を、先が二股に分かれた棒で片方づつ持ち上げ、高いところに移動させた。

残りの洗濯物を、低いところに掛けられたもう一本の竿に干していると、家の中からガタガタッと音がした。


あ、クローが起きてきたのかな、と思う間もなく、家の中を動き回っていた物音は玄関に近づき、まるで昨日の再現みたいに凄い勢いで開かれる。

飛び出してきたクローは、焦った様子で辺りを見回し、洗濯物を握ったまま固まった私と目が合った。


「あ……」


大きく目を見開いたクローは、玄関脇にズルズルと座り込み、膝に額をつけて頭を抱えた。

「だ……、大丈夫? どうしたの? 頭が痛いの?」


手にした洗濯物をまた箱の中に突っ込み、急いでクローに駆け寄った。横に屈み、声をかけるとため息が聞こえる。

「──っ、こんな時間なのに朝食もできてないし、家の中は昨日のままで……誰もいないから」

「ああっ! ごめんっ! 今朝ついうっかり寝坊しちゃって、クローもまだだったから、朝食は後回しにしたんだ」

慌ててそう言うと、彼は身じろぎした。

「お腹すいたよね。すぐ作るから、ちょっと待ってて!」


残りの洗濯物は後で干そう。自分が今朝、あんまり食欲がなかったもんだからうっかりしてた。せめてクローが起きたらすぐ食べられるように、準備だけでもしとけばよかった。

そう思いながら全速力でクルクルと朝食を作っているうちに、クローはすっかりいつもの顔で家に入ってきて、まるで昨日のことがなにもなかったかのように朝食を食べるもんだから、私のポケットのペンダントはますます行き場をなくしてしまった。


あ、残りの洗濯物は、私が家に入ったあとクローが干してくれたらしい。


彼が洗濯物を干したのって、人生で初なんじゃないかな?

どうせなら干してるところを見てみたかった、とかしょうもないことを考える私の世界の中心には、もはやクローの姿しかない。


さあ、どうしたもんだろう。

もし私が本来の意味でペンダントを渡したとしたら、勝率はどのくらいある?


この賭けはall or nothingだ。

全てか、或いは何もなしか。


もし断られたら、家電をもらってこの家を出るしかない。このまま居座るなんて気まずいにも程がある。

でもあの町には住める気がしない。住むなら毎日、朝から晩まで頭も顔も隠してなきゃならない。そんなの無理に決まってる。

ということは、もし断られたら近くに住むことすらできなくなってしまうってことだ。



気持ちを告げたい。この関係を変えたい、と思う。


だけどそれと同じくらい、この関係が変わるのが怖かった。


そうして私は、文字の学習を挫折した時の『やるやる詐欺』の如く、はたして告白するべきか、するなら今から? いや明日しよう。明日こそしよう……と再び自分を甘やかしはじめてしまった。

ポケットでチャリチャリしてたペンダントは数日のうちにクローゼットの中に棲みかを移し、見ると胃が痛くなる気がするので、今はハンカチにくるんで奥の方に突っ込んである。


私たちは何もなかったような顔で、相変わらず素材を探し、訓練を続け、魔石を作る毎日を過ごした。



それからしばらくしたある日、クローはクラウスのいる遠くの町──サザナンに旅立ち、三日目の夜遅くに帰ってきた。

「お帰り! クロー。お疲れさま」

「大丈夫だった?」

「大丈夫に決まってるよ! 魔道具もあるし、戸締まりもちゃんとしてたよ。帰るって連絡も無事に届いたし」

笑いながら言うと、クローはホッとしたように息を吐いた。


本当は一人の夜が心細くて泣きそうだったんだけど、そんなことは言えない。

元の世界では何年も独り暮らししてた癖に、と思うと自分でも、この世界に来てどんだけ甘やかされてんだ、と怖くなる。このままじゃ、ここを出ていくなんてできなくなってしまう。

ここを出ていく覚悟ができないってことは、告白もできないってことだ。



ぬるま湯に浸かったような毎日と引き換えに、何の進展もない日々が続いていた。




クローは月に一度程度、作りためた魔石を持ってサザナンへ向かう。

いつ行くとは決まっていない。できあがった魔石がそこそこ纏まった量になったら、そろそろ行くかって感じ。


例の田舎町で馬を借りて旅立ち、三~四日のうちに馬を返してから、歩いて戻ってくる。

サザナンを出る時には、『今から帰る』ってメッセージを送ってくれる。もちろん魔法で、だ。

クローが出かける前に、大きめの皿に汲み置きしていくその水は、テーブルの上にずっと置いておくと、彼のメッセージを受信してくれる。

水の中にほんわり浮かぶその文字は、指を突っ込んだりして水面を揺らすか、次のメッセージを受信するまで消えることはない。

こちらの文字の読み書きができない私でも、その二つの単語だけは覚えてしまった。




「じゃあ、暫く出かける。戻る時はまた連絡する」

言葉少なにそう言って、彼は小さな袋一つを肩にかけドアを出る。


そんな光景を何度も何度も繰り返し、私がこの国に来てから、もう一年が過ぎようとしていた。







その日も彼は、いつもどおり旅立った。


一人の夜にはなかなか慣れず、クローがいない時は、夜更かしからの朝寝坊がデフォルトだ。

決して一日ぐーたらしているわけじゃないよ。家事はいつも通りこなしてる。料理は一人分だから手抜きするけどな。


そして、彼が出かけてから三日目の午前中。

これもいつも通り『今から帰る』のメッセージが届いて、私はお昼ご飯もそこそこに夕食の下拵えを始めた。

少し早すぎるけど、遅いよりはいい。


クローが戻って来るのは大抵夜遅くだけど、夕食は途中で軽くつまむ程度だから、いつもお腹を空かせて帰ってくる。

帰ってきたらすぐに食べられるようにしておきたい。


だけど、ご機嫌に彼を待つ私を嘲笑うかのように、その日クローはなかなか帰って来なかった。


ここまで読んで頂いてありがとうございました!



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