魔法使いの弟子<5>
そもそも私には、クローがいったい何故そんなに動揺しているのかもわかっていない。
どう言えば、彼からアレを穏便に回収できるだろう。必死でそっちに頭を巡らせていた。
「そりゃそうだよね……。知ってるわけがない」
だからクローが呟いた言葉の意味も、その困ったような嬉しいような、微妙な表情の意味もわからないままだった。
結局私は、そのペンダントを取り返すことができなかった。
言葉を探す私に向かって、クローが「ありがとう、大事にする」って言ってくれたから。
躊躇しつつ、「勝手にこれを選んじゃったから、もし好みじゃなかったら……」って手を差しだすと、彼は目を丸くした。
「僕のために選んでくれたんだよね? 嬉しいよ」
続いてはにかむような笑顔を見せられたら、私は悶絶するしかない。
帰りの道中は言葉少なになった。
今日のクローは、あり得ないくらい表情豊かだった。言葉数もいつになく豊富だった。
そのレアな姿を反芻する私と、気づけばペンダントを指先で弄っているクローは、多分お互いに無意識に、ただひたすら黙々と歩いていた。
家が見えてくる辺りになって、漸く私たちは顔を見合わせた。
「今日は連れていってくれてありがとう。楽しかった」
笑みをのせて礼を言う私に、クローも「こちらこそ、プレゼントありがとう」と、もう一度お礼を言ってくれた。
その頃の彼は、もうすっかりいつものクローだったけど。
そうして私たちは日常に戻った。
あれからクローは、ずっとペンダントをつけてくれている。
朝起きて、洗濯箱を使いながら私が作った簡単な朝ご飯を食べ、洗い上がった洗濯物を干す。その間クローは食器を片づけ、クリーンの魔法で掃除をする。
それから二人で素材を探しに行く。
午前中いっぱい森で過ごして、家に帰る。
お昼ごはんはどちらが作るか決めていない。その時の気分で。
昼からはクローは素材の石に魔力を注ぐ。
私は、指先に水を呼ぶ訓練。
クローのようにドバドバ出るようになったら庭先の井戸は要らないんだけど、多分そんな日は永遠に来ない。
ワンタッチで水を吸い上げてくれるポンプのありがたみが身に染みた。
訓練で、主に気力が萎えてくると、私も石に魔力を注いだりする。
クローは一つの石に三十分くらい時間をかけるけど、私はそんなにかけない。同じくらい頑張っても、魔石の質はたいして変わらないってわかったからね。質より量で勝負だ。
もちろんクローとの勝負じゃないよ。最初から負け戦に決まってる。
一日のノルマを終えると、夕食までの時間お茶を楽しんだりする余裕もできた。精神的な余裕だ。
前は全然そんな気分じゃなかったから。
因みに夕食は大抵私が作る。たまにクローが作ってくれることもある。
夕食後は、お風呂を沸かして交代で入る。お風呂を沸かすための魔道具は、先日いつの間にかクローが購入していた。
私が唸りながらペンダントを選んでたときか?
クローが遠出するための準備は着々と進んでいる。
お風呂に入ったあとは、クローは本を読んで過ごすことが多い。
私はその横で子供向けの絵本をぼんやり眺めてたりする。
うん、最初の頃は文字を覚えようと思って、クローに色んな単語を教えてもらったりもしてたんだけどね。今のとこ、なけなしの集中力が全部訓練にいっちゃってるんだ。
そのうち心にゆとりができたら覚えよう、と自分を甘やかしてるうちに何カ月も過ぎてしまって、クローにも匙を投げられた。
そんなにいっぺんにあれもこれもは無理だって。
そんなふうに、そのうちやるやる詐欺を繰り返したりしつつ、のんびりとした毎日を過ごしていたある日。
夕食を作り始める少し前、外で洗濯物を取り込んでいた私の耳に、聞き慣れない音が聞こえてきた。
ドドッドドッドドッと規則正しい重い音。家から少し離れた街道の方からどんどん近づいてくる。
クローは家の中だ。
初めて聴く正体不明の音に恐怖を感じ、洗濯物を放りだして玄関の方へ向かったとき、ドアを叩きつける勢いでクローが飛び出してきた。
「クローッ! あの音なにっ!?」
彼の背後に隠れるように、音の来るほうを見やる。
クローも険しい目でそっちを見ながら、「家の中に入ってて」と言った。私は後退るようにして、開けっぱなしになっていたドアに手を伸ばす。
家に入ってドアを閉める一瞬に、木々の向こうに姿が見えた。
馬だ。
TVの競馬中継で見るようなサラブレッドじゃなくて、もっとゴツい。
そしてその背中には、これまたゴツい男が一人。やっぱり金髪で、背中にはリュックみたいな袋を背負っているのが見てとれた。
ドアの隙間から様子を窺っていると、男は馬から降り話し始める。
「よう、クロー。久しぶり……と思ったらなに? お前いつの間に結婚したんだ!?」
へ!? 結婚?
なんで結婚? どういうこと?
この男と知り合いだったんだ、と思う間もなく、結婚結婚と頭の中でグルグルまわる。
そこへクローが否定する声が聞こえてきて、「じゃあ婚約したのか」と男の声が被さった。
今度はクローは否定しなかった。
婚約婚約と脳内で躍り狂う言葉に血の気が引いて、その場に蹲った。
ほら、だから言ったじゃないか。後で泣いても知らないよ、って。ただの弟子の分際で、いったい何を期待してた?
泣きたい気分でいっぱいだったけど、瞼の裏はカラカラで涙なんか一滴もでなかった。
暫くしたら外の話し声は止み、誰かはまた馬に乗って帰っていった。
お茶でもお出ししなくてよかったのかな。
そう思ったけど今更もう遅いし、何より指一本動かす気力もなかった。
ややあって、クローが家に入ってくる。ドアの脇に蹲る私を見て、ギョッとしたのがわかった。
「具合悪いの? どこか痛い?」
膝をついて背中をさすってくれる掌を、押し退けるようにしてユルユルと顔をあげた。
「あの……、あのさ。婚約者さんがいたの? 知らなかったから、私いつまでも図々しくいすわってて……相手の人に気が悪いよね」
もしも私に婚約者なんて人がいたとして、その人が弟子とはいえ女性と二人きりで住んでたとしたら、私的にはもうアウトだ。
強ばった笑みを浮かべ、漸く声を絞り出すと、クローは浮かせたままだった掌で顔を覆い嘆息した。
「聞こえてたんだ? あいつは無駄に声が大きいから……」
そして私の目を見て、困ったように言った。
「婚約者なんていない。少し話してもいい?」
私をテーブルのいつもの席に座らせ、その向かいに腰をおろしたクローは、私がプレゼントしたペンダントを外し、テーブルに置いた。
そして、おもむろに「ごめん」と頭をさげる。
「え!? なに?」
何が『ごめん』なのか、何故今ペンダントを外すのか、全く意味がわからない。
慌てる私に彼は言った。
「君が知らないのは当たり前なんだ。僕が教えてないんだから」
「──なにを?」
「このペンダント」
クローは一旦置いたそれを手に取り、視線をやった。
「この国では、結婚したとき妻が夫に贈る風習がある」
「は!? ……ええええ──っ!?」
そんなん知らなかったよ!
焦る私にクローは、さらに言いにくそうに言った。
「結婚していないのに贈る場合は、プロポーズの意味がある」
「はぁ……!?」
マジか……。私はいつの間にかクローにプロポーズしてたのか?
だからあの男は、このペンダントを見て婚約したって思ったってか!?
呆然とする私から、クローは目を逸らせた。
「君にそんなつもりがないのはわかってたんだけど……」
私は慌ててクローの手からペンダントを奪い取った。
「もも、もちろんそんなつもり全然、全くなかったよ! 気を遣わせてごめん。それにさっきの人にも勘違いさせちゃった!」
「……あいつのことは気にしなくていいよ。ただの知り合いだし」
「そ……、そう。知り合いさんなんだ?」
クローは空っぽになった掌をぼんやりと見つめ、私は私で奪い取ったペンダントをもて余し、左手で握り込んで膝の上に押さえつけた。
「あいつは、前にも言った『サザナン』っていう、ここから馬で一日離れた町で魔道具屋をやってて、以前はあいつのところまで魔石を売りに行っていた。ここしばらくは近くで売るようになってたけど」
クローは俯いて、ポツリポツリと話す。
行けなくなったのは、きっと私がいたからだ。私を一人で置いとけなかったから、クローは魔石が高く売れるサザナンに行かず、近くの町で売ってたんだ。
気がつかないうちに、どんだけ迷惑かけてたんだよ、私。
ガックリと肩を落とす私に、クローは一瞬視線を向けた。
「当分行かないって連絡はしてたんだけど、それきりだったから心配して様子を見に来たらしい。どのみち、もうそろそろ行くつもりはしてた」
「うんうん、そうしてあげてよ。私ならもうちゃんと留守番できるから。わざわざ心配して来てくれるなんて、いいお友だちじゃない!」
わざとらしく明るく言ってみたけど、お通夜のような雰囲気はいかんともし難かった。
結局その日は夕食まで暗い空気を引きずってて、クローは食べ終わったら速攻で部屋に引っ込んでしまった。
今までそんなこと一度もなかったので、愕然とした。
その夜、お風呂を沸かし損ねた私は、一晩くらいまあいいか……とそのままベッドに入り、勢いでクローから取り上げてしまったペンダントを枕元に置いて、頭を抱えていた。
ペンダントをプレゼントしたときのクローの顔を思い出したんだ。
最初の微妙な表情は、プロポーズ紛いのことをしちゃったから、そのせいだろう。
でも、そのあとは喜んでくれたじゃないか。
気を遣ってくれたにしても、嬉しそうにお礼を言って、笑ってくれた。
私は取り上げるべきじゃなかったんじゃない?
プロポーズの意図はなかったけど、そのまま持ってて欲しい、って言えばよかったんじゃないの?
明日、改めてそう言って渡しなおすべき?
いや待て! 婚約もしてない独身男性に既婚者の印をつけさせるなんて、知らなければともかく、知ってしまった今となっては、嫌がらせにしかならないんじゃないか?
思考はとっ散らかって、なにをどうするべきかさっぱりわからない。
布団を被ってうんうん唸りながら眠れない夜を過ごし、明け方近くになってようやく眠りについたのだった。
そんなわけで、翌日の朝私は寝過ごしてしまった。
慌てて着替え、ペンダントをポケットに突っ込んで部屋から出てみたら、クローもまだ起き出していなかった。
声をかけたほうがいいのかな。それともワザと起きてこないのか?
もしそうなら原因は昨日の件しか有り得ないよな。
だったら、下手に声をかけにいかないほうがいいんだろうか。
初めてのことで、対処法がわからん。そもそも声をかけたあとどうしたらいい?
ペンダントは行く先も決まらないまま、私のポケットでチャラチャラ音を立てている。
悩みながらもすることはしてしまおうと、洗濯物を運びだした。
軒下の洗濯箱の蓋を開け、カゴの中の洗濯物を選り分けつつ突っ込んでいると、視界の端に金色がチラチラと光る。不審に思って見ると、離れた木の影から昨日の客が控えめに手を振っていた。
「へ? なにっ!?」
思わず叫ぶと、彼はシーッ! シーッ! と唇に指を当てる。あのジェスチャーは異世界でも共通なのか?
私が固まっていると、今度は手招きしだした。
キョロキョロ辺りを見まわしても私しかいない。そもそもこの辺りには、私とクローしか住んでない。
自分の顔を指差して首を傾げると、コクコクと首を振っている。
いったい私に何の用?
クローのいないところで、よく知らない人と会うのには抵抗があったけど、家のすぐ近くだしなにかあれば走って逃げればいい。
私はそう覚悟を決め、男の方に歩き出した。
「何か、御用ですか?」
「ああ、うん。御用なんだけど……、聞いてもよければそれは何?」
私は手に持ったそれを、顔を引き攣らせた男の方につきだし、にっこり笑う。
「ただの棒です。お気になさらず」
それは、物干し竿を高いところに上げるための、先が二股に分かれた一メートル程の棒だ。
武器としてはイマイチだけど、先に火をつけて振り回せば時間稼ぎにはなるだろう。
私の意図を察したのか、男は「おっかね」と口の中で呟いた。
とんでもない。向こうの世界でなら、催涙スプレーを持ち出してるとこだよ。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
ブクマ下さった方もありがとうございます。励みになります!
【どうでもいい裏話2】
クロー視点の話も一話くらい書こうかと思ったのですが、へたれっぷりに拍車がかかりそうなのでやめました。
こんなんばっかり(笑)