To my precious one<3> (crow side)
「なんであんなに可愛いかな」
気がつけば、そんな言葉がポロリとこぼれ落ちている。
なんでエミカはあんなに、やることなすこと可愛いんだろう。
今日が僕の誕生日だなんてこと、僕が一番よく知っている。それなのに、よりによってその日に僕を家から追い払って、何を企んでるかなんて誰にだってわかるだろう?
なのに、彼女は僕が気づいてないと思ってるんだ。
つい昨日のことを思い出してしまって口元に笑みを浮かべたら、クラウスが気持ち悪そうに目を逸らした。
エミカに適当な用事を頼まれてその時点で彼女の企みに気がついたけど、困った顔が見たくて一緒に出かけようと誘ってみた。
思った通り目が泳いで、内心焦りまくってるのが透けて見える。可愛すぎてどうしたらいい?
素知らぬ顔を保つのに苦労した。
そして、困った顔は見たかったけど本気で困らせたいわけでもない。彼女の言いわけにすぐに乗ると、ホッとしたように笑った顔がまた可愛かった。
今朝出かける時もいつものように見送りに来てくれて、でも顔中に『さあ、やるぞ。クローが出かけたら張りきってやるぞっ』って書いてあるのがわかる。
あんまり可愛くて、笑いを堪えられない。隠そうとして額にキスしたけど、隠しきれなかった。
エミカが戻ってきてくれてから大半の時間を、僕はこうして彼女に癒され過ごしている。毎日がなんて幸せなんだろう。
だけどそんな幸福が降り積もると、今度は闇が襲ってくる。
それは幻だと。
お前が望む未来を夢見てるだけで、目を醒ませばお前は独りなんだと、闇が囁く。
父も、母もいない。
爺ちゃんも死んでしまって、クリスも戻ってこない。なのに、どうしてエミカだけが僕の側に残ってくれると信じられる?
幻だ幻だ夢を見てるんだ、と闇が嗤う。
突如としてそんな不安に襲われる僕に、エミカはいつだって僕の望む言葉をくれる。
決して置いていかないと、僕を独りにしないと、何度でも抱きしめてくれる。彼女の腕の中、その言葉と温もり、柔らかな感触が僕の中に巣食う闇を祓うまで、何度も、何度でも。
こんなにも愛おしい存在を、僕は今までに知らない。
クラウスが黙り込んだのをいいことに自分の考えに耽っていたけど、さすがに少し気になって視線を向けた。
思えばこいつも変わった奴だ。
あの田舎町で、誰もが僕らを『黒』と忌み近づこうともしない中、こいつだけは平気で『遊ぼうぜ』と声をかけてきた。まだ七歳くらいの時だ。
どこで僕らの家を知ったのか、あんまりしょっちゅう押しかけてきて纏わりつくから、最初は警戒してた爺ちゃんもとうとうほだされた。裏の森にさえ行かなければ、何も言わなくなった。
クラウスはいつの間にか、僕らの中に溶け込んでいた。
僕とクリスと爺ちゃんは、町に買い出しに行くときは必ず三人で行った。なぜかは知らない。
爺ちゃんは僕やクリスを自分の側から決して離さなかった。
爺ちゃんはクリスの手を繋ぎ、僕はクリスに手を繋がれて、週に一度町を往復した。
爺ちゃんが買い物するのを見て、商品の見極め方、買い方を覚えた。
文字の読み書きを覚えろ。計算を覚えろ。口癖のように爺ちゃんは言った。
でないと騙される。普通の人には善良な人々も、わしらに対しては違う。騙されないように賢くなれ、と。
僕らは普通ではないのだ、と知った。
クラウスは本当に変な奴だ。普通じゃない僕らのところに来て、普通の人みたいに遊ぼうと言う。どう接したらいいか分からなくて無視してたら、クリスが呆れたように言った。『返事くらいしてやれよ』
クリスは気が向いたときだけクラウスと遊んでやっているようだ。
だから僕も気が向いた時だけ返事をしてみることにした。
──懐かれた。
僕の態度に一喜一憂してるクラウスを見て、クリスはゲラゲラ笑っていた。
誕生日の話が出たのはいつだったか。
ある日、遊びに来たクラウスが興奮して言った。
『俺、昨日誕生日だったんだ!』
『へぇ?』
『八歳になったんだぞ。お祝いにナイフ買ってもらった、ほら』
宝物のように、小さな鞘付きのナイフを見せられた。お祝いってどういうことだろう。
ナイフにチラリと視線を投げたきりの僕に焦れたように、クラウスは続けた。
『前からずっと欲しくて、誕生日になったら買ってもらう約束してたんだ。ケーキも食べたんだぞ! クリームの乗った、こんな大きいやつ』
クラウスは両腕で大きく輪っかを作って見せ、賑やかなお祝いの様子をペラペラと喋っている。いったいこいつは何の話をしてるんだ?
やがて反応のない僕の様子に気づいたのか、クラウスはバツの悪そうな顔をした。そしてなぜか急に勢い込んで訊いてきた。
『なぁ、クロー! お前の誕生日っていつだ?』
前のめりになって答えを待っている。
僕の誕生日なんて、クラウスには関係ない。そもそもクラウスのいう誕生日っていうのがプレゼントをもらってケーキを食べて皆でお祝いするものなんだとしたら、僕には誕生日なんてない。だからそのままを答えたら、こいつは目を見開き絶句した。
それきり僕たちの間に誕生日の話題がでたことはない。
そんなことをふと思い出して、「そういえば今日は僕の誕生日なんだ」と言いかけたら、それまで心此処にあらずといった風情だったクラウスが、カッと目を剥いて僕を見た。
まさかクラウスは、昔僕が言った『誕生日なんてない』って言葉をずっと信じていた?
そんなバカな。誕生日を知らない、ならともかく、誕生日がない人間がいるはずがないだろう。
面倒になったので、教えなかったのはクラウスのせいだということにしておいた。
さあ、何時頃に帰ればちょうどいいかな? 早すぎたらエミカを慌てさせるし、遅すぎれば待たせてしまう。
時計を眺め考えていると、突然クラウスが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
「用事を思い出した! すぐ戻るから店番しててくれっ!」
唖然とする僕を置いてけぼりに、店をとび出てものすごい勢いで走り去るクラウス。
以前もエミカが店番を押しつけられたと言って怒っていたけど、こんなことがしょっちゅうだとすれば確かに問題だ。僕らがいない時なら好きにすればいい。でもまたエミカが押しつけられたら、そのぶん彼女の帰りが遅くなるじゃないか。
いつ戻るともしれないクラウスを待ちながら、ぼんやりと店の中を眺め、考える。この店も随分大きくなった。
昔、開店したばかりの頃の店舗はこの三分の一の面積で、残りは倉庫として使っていた。
クラウスに頼まれ卸すようになった魔石も今よりずっと数が少なくて、ここだけじゃ余ってしまうから、残りは以前住んでいた町で売っていた。
あの町ではクラウスが買ってくれる金額の四分の一でしか売れないけど、それは別に問題じゃない。毎日ナフタリアを採取し、それを魔石に変えるのが日課だ。できあがった魔石を売らずに溜め込んだら、いつかは家が埋め尽くされてしまう。
町で売るのと同じ値段にするからもっとたくさん買え、と言っても『ものには適正価格というものがあるんだ』とクラウスは頑なに首を振らなかった。『今でもとても安くしてもらってるのだから充分だ』と。
月に一度できあがった魔石をサザナンまで届けに来て、余った分を近くの町で売る。
その比重は年々クラウスのほうに傾き、数年後には町で売ることもなくなった。つまりクラウスの商売が順調に大きくなっているということだ。
店舗兼倉庫だった店はいつの間にか店舗専用となり、店の裏に倉庫を借りたと告げられた。
その頃にはもう、僕らが知り合ってから十三年ほどが過ぎていた。
魔石を届けに来るたびにあちこち連れ回されるのはいつものことで、正直面倒だったけど、大概は文句を言いつつもついて行った。
普通の人間がどんな場所でどんなことをするのか、本でしか知らなかったことに少し興味があったからだ。
サザナンでもこの黒髪黒目は注目を浴びたけど、近くの町を歩くときの刺さるような嫌な視線じゃない。
クラウスは、あの田舎町の方が特殊なのだと言う。
実際サザナンを歩けば黒髪黒目とすれ違うことも多かったし、その誰もが萎縮することなく自然に振舞っていた。特に注目されている様子もない。
あれ? じゃあなぜ僕はこんなに見られているんだろう。ほかの『黒』と、いったい何が違う?
不思議に思ってクラウスに訊くと、嫌そうに『鏡で自分の顔を見ればわかる』と言われた。分からないから訊いているのに、と少しムッとした。
ともあれ、サザナンでなら僕も普通の人間の振りができる。その証拠に声をかけられることすらあった。道を聞きたいとか、時間はあるか? とか、向こうの町では考えられないことだ。
でも僕はサザナンの人間じゃない。道を聞かれても答えられるほど詳しくはないし、時間があるからってそいつになんの関係がある?
どちらの町にしても、人混みを歩くのは苦手だ。
クラウスはどうやら女性に興味があるらしい。何度か連れていかれた賭場には滅多にいないけど、酒場になら大抵女性がいた。
ほとんどの場合二人連れの女性たちが向こうから話しかけてきて、クラウスが愛想よく受け答えする。僕には関係ないからと知らん顔していると、やがて女性たちは立ち去りジト目のクラウスに睨まれるというパターンだ。
『お前さあ、愛想よくしろとまでは言わねえけど、せめて睨むのはやめろよ。また逃げられただろ』
睨んでいるのはクラウスで僕じゃない。それに女性と仲良くしたいなら最初から僕を連れてこなければいいんだ。
そう言ったらクラウスはなぜか大きな溜息をついた。
娼館に連れていかれたのはその頃だったか。
女性自体に興味はなかったけど、例によって普通の人なら一度は行くという花街には興味があった。だから黙ってついて行った。
本に書かれていることは半分本当で半分嘘だ。それを確認できたら、もうその場所への興味はなくなっていた。
決めたことを決めたように淡々とこなす。
そうすれば日々は穏やかに過ぎていく。
僕は相変わらず月に一度サザナンへ通い、だけどクラウスは本業がますます忙しくなって連れ出されることも少なくなった。
サザナンの図書館に新たな愉しみを見出した僕は、心ゆくまで本の海を漂ってから帰途につく。
本は色々なことを教えてくれる。
この国の歴史も、『魔法使い』のことも、普通の人のことも。ここにいながらにして世界中を旅し、様々な事象を解明し、凝り固まった価値観を覆させる。
だけどどこを調べても、なぜ僕が『黒』なのか、なぜ独りなのかを教えてくれはしなかった。
クリスがいなくなって、もう十八年近くがたとうとしている。
「ただいま」
玄関で声をかければ、すぐに奥からパタパタと走ってくる小さな足音。
『おかえり』の言葉とともに抱きついてくる、可愛い。
たまらずその背に腕をまわし抱きしめた。たった数時間離れてただけなのに、この渇望感。エミカが足りない。
しばらく抱いたまま、エミカの柔らかさと温かさと、鼻孔を擽る匂い、首筋に触れる髪の感触を堪能した。
笑顔で両手を差しだされ、頼まれていた荷物を二つ取りだすと、エミカは可愛らしく小首を傾げる。彼女が預けたのは大きなほうの荷物だけらしい。
じゃあこの、帰る間際に渡された包みはなんだろう?
クラウスは、以前頼まれていたのを思い出したと言っていたけど、エミカには全く心当たりがないようだった。「見たら分かるだろうし、あとで開けてみるよ」と興味無さげにその辺に置き、大きなほうの荷物だけを小脇に抱えた。
大きい包みは、たいして重くはないけど結構かさばる。だから代わりに持とうとしたら、彼女は『自分で持つから大丈夫』と大事そうに抱え直してしまった。
僕を家から遠ざけるための小道具かと思っていたんだけど……。
それってそんなに大事なものなの? って言葉にしかけてやめた。物にまで嫉妬してどうする。
エミカは荷物を持たない方の手で僕の手を取り、ソワソワした様子でリビングへ向かう。
ここ数日、エミカが色々な食材を買い集めていたことは知っていた。だからきっと、ご馳走を作ってくれているんだろうことは予想していた。
だけど、誕生日をこんなふうに祝ってもらうのは初めてで、僕にまでソワソワが伝染する。
廊下を足早に進んだエミカはリビングのドアを手ずから開け、「さあ、入って」と僕の背を押した。
促されるまま一歩踏み込み室内を目にした途端、僕は瞠目した。
言葉もなく──。
数十本ものカラフルなテープが、天井の真ん中からゆるやかなカーブを描き、四方の壁へと繋がっていた。その壁には掌サイズで色とりどりの、同じ形の花が数えきれないほどピンで留められている。
テーブルには僕の好きな料理がところ狭しと並び、暖炉の上に視線を向ければ、一抱え程もある大きなボードが一際華やかに飾りつけられていた。
そこにはたどたどしい文字で『たんじょうびおめでとう! crow』と──。
そこまでが、限界だった。
クツクツと笑いが込み上げ、我慢できない。
振り返り、立ち竦むエミカを抱き寄せ、その肩に顔を埋める。
小刻みに震え、笑い続ける僕に最初彼女は焦ったように言い募った。こんなパーティーお母さんが亡くなって以来してないからチューガクセイで止まってるんだとか、子供っぽすぎたよねごめんねとか、笑いすぎだよひどいとか。
けど、僕の笑いは全然おさまらなくて……。
嬉しくて、幸せすぎて涙が滲む。
僕の頭の中には、いつかのクラウスの言葉が渦巻いていた。
『誕生日だからさ、姉ちゃんたちが部屋中に花やらなんやら飾りつけてて、すげー賑やか! 夕食は俺の好きな食べ物ばっかりで、食べ終わってから一人ずつがプレゼント渡してくれたんだ。ナイフだけだと思ってたからびっくりした。弟はまだちっせーから、歌うたってくれたんだぜ。それからケーキ! でかすぎて食えねーって思ったら、みんなで分けたらちっさくなった』
嬉しそうに声を弾ませていた、あの時の言葉。
一言一句覚えている。
僕の中で、想像もつかないただの言葉の羅列に過ぎなかったその光景。
それが今、この目の前に鮮やかな色彩を帯びて広がっていた。
あの日まで僕にとって誕生日はただの記号でしかなくて、世間ではそうじゃないと知ってからも、やっぱりそれは僕には関係のない世界だとしか思えなかった。
なのに、あの言葉がずっと忘れられなかったのは羨ましかったからだと、今初めて気づかされた。
手に入れて、初めてそれが欲しかったことに気づくだなんて──。
そんなことってあるんだろうか。
手首で目尻の涙を拭い、エミカの耳元で囁いた。
「エミカって、僕を幸せにする天才なんじゃない?」
「笑いすぎて泣くほど幸せになっていただけて、私も頑張った甲斐がありましたとも!」
エミカは少々お冠だった。ムーと頬が膨れている。ごめん、でも可愛い。
額に、こめかみに、膨れた頬にキスする。
「こんな嬉しい誕生日は初めてだ。エミカ、大好き」
抱く腕に力を込め、もう膨れていない頬にもう一度キスし、唇にもキスした。
ため息を一つ残し、エミカはパタパタと動き出す。
床に落としていた包みを拾い上げ、「スープをあっためるから、そのあいだ私の本日の努力と頑張りを満喫しててねっ!」と壁を指し、キッチンスペースへ行ってしまった。
壁に近づいてみると、遠目に花と見えたのは色のついた柔らかい紙を数枚重ね、立体的に膨らませたもの。
エミカの器用さには感心する。
どこで調達してきたのか、この紙は多分贈答用の雑貨や硝子瓶なんかの梱包に使われる詰め物だろう。でもこんな使い方、いったい誰が思いつく?
詰め物とはいえ色とりどりでとても華やかな花。
天井を見上げれば、やはりピンで留められた赤や黄や青のテープが無数に垂れ落ちて、その端は壁に詰め物の花と共に固定されている。
あんな高いところ、どうやって留めたのかが気になった。危ないことをしていなければいいけど。
暖炉の上のボードは当然エミカの手書き。最初に比べたらずいぶん上達している。綴りも合ってるし、この文字はなんだろうと首を捻る必要もない。
これほどに部屋を飾るのに、どれだけの時間と手間がかかったのか想像もつかなかった。
しかもテーブルには、美味しそうな料理がずらりと並んでいる。
これらすべてが僕のためのものだ……。
眺めているうちにジッとしていられなくなり、キッチンへ入った。鍋を加熱しているエミカに近づき、火傷しないようにそっとレードルを取りあげ、火力を弱める。
抱き寄せ柔く腕の中に囲うと、エミカは「どうしたの?」と見上げてきた。
だけど、どうしても言葉が出てこない。
愛してる、くらいじゃ足りない。
この溢れる気持ちを伝える言葉が見つからなかった。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました!
ここまでの3話分が全て、同じ日の午前中の話です。
回りくどくて申し訳ない……(>_<)
そして初めてのクロー視点にも、ちょっとビクビク……。
それでは、また明日も読みに来て頂けたら嬉しいです。




