魔法使いの弟子<2>
読みにきて下さってありがとうございます。
早速ブクマ下さった方も、ありがとうございました。嬉しいです。
皆様の期待に添える展開になるかは分かりませんが、ほぼ書き終わってるのでサクサク投稿していこうと思います。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
クローは、ハァッとため息をついた。
「そんなに難しいかな?」
こちとら生まれてこのかた、一度もお目にかかったこともないもんを探してるんだ。無茶は言わないでいただきたい。
私が一本立てている右手の人差し指を彼は見る。
そして同じように、自分の人差し指を立てた。彼の指が私の指を目指して近づく。
いったいなにをする気?
狼狽える私にお構いなしに、彼は指と指をくっつけた。ピクリと指先が跳ね、痺れが走る。
今のは?
今のが魔力ってもんなんだろうか。静電気みたいなあれが?
なにか大変なことになったらどうしようかと焦ったじゃないか。
なんだか緊張したぶん、損した気になった。
クローはといえば、難しい顔で自分の人差し指を眺めていた。
同じような日々がゆっくりと流れた。
午前中の素材探しは地味に楽しい。なんだか宝探しをしている気分だから。
私が内心浮き浮きしてるのがばれてるんだろうか。素材探しにかける時間が確実に増えている。
それはお弁当を持ってピクニック的なことをしてみたり、普段は行かないという森の奥まで行ってみたり、という形で。
逆に修行の時間はますます苦痛になった。目に見える成果が全くないから。
クローは首を傾げる。
「魔力はちゃんとあった。どこかで詰まってて見つけられないだけ」
そうなのかな。
でもどんな理由であれ、それが見つけられないって時点で才能がないんじゃないのかな。
でもそれは私からは言いだせないことだった。
才能がなければ弟子は馘になる。そしたらまた、ペット以下の居候に逆戻りだ。
ううん、ペットや居候ならまだいい。
要らないって言われたら。出ていけって言われたらどうしたらいい?
人差し指をあきらめた私は、昔漫画で読んだ額にあるという『第三の目』とやらを意識してみることにした。
私の苦痛の時間は三十回を数えた。
もうそろそろここへ来て二カ月になる。
それは、今日で三十三回目になろうという日の朝に起こった。
いつものように素材探しに出かけようと家を出て、クローのあとについて森の中に分け入った。
家からまだほんの僅か。
振り向いたら木々の隙間に家の端が見えるほどの距離。
私がこの世界に現れた場所だ。
そこに『歪み』、があった。
ドクンと心臓が跳ねる。
この場所は今までにも、何回だって通っていた。
だけどあんなものを見たことがあったか?
私と同時に、クローもそれに気づいていた。
「日が悪い。今日はやめよう」
私の目からそれを隠すように立ち塞がり、グイグイと肩を押してくる。
だけどっ!
二本の木の太い幹に半ば隠された『歪み』は、私の目の前で色を変え形を変える。
その向こうに映る世界は時に緑で茶色くなり、青から赤へと全く違う景色が瞬時に切り替わり、次々と流れていった。
私はクローの身体を抑え、身を乗り出して食い入るように、瞬きもせずにその移り変わる風景を見つめ続けた。
ほんの一瞬、見慣れた景色が映った気がした。
玄関から奥まで丸見えの三畳と六畳。一人用の小さなちゃぶ台と、その上に乗せたノートパソコン。
あの朝、起きるのが嫌でグズグズしてたから布団が敷きっぱなしで。
──何もかもが、あの日のままだった。
私の、部屋だ!
わたしの──っ!
次の瞬間、決壊した。
「ぅ、ああぁ──っ! っやだ! 帰して、帰してよぉあっちに帰らせてっ! 私のっ……全部置いて来ちゃったのにぃ……帰してかえしてかえして、うううっ……か…らせ…て…」
全力で伸ばした手を引き戻され、押さえつけ、抱きしめられた。痛い程にギュウギュウと。
また知らない景色を、砂漠を石畳を闇を空を赤い絨毯を映し、こっちを見てギョッと驚く角の生えた大男を映しながらやがて歪みは消えた。
──なんにもなかったけど、あの部屋は私の城だった。
全部自分で選んで、一つずつ揃えた。
「私、の……。私……がっ、」
ようやく暴れるのをやめて、ボタボタと涙をこぼしながら呟く途切れ途切れの言葉を、クローは黙って辛抱強く聞き、私の髪を撫で続けた。
あの歪みは、異空間の裂け目なのだそうだ。
「なぜあそこにあるのかなんて知らない。昔からああやって、あの辺りに気紛れに現れては、異国の、異世界の景色を垂れ流していく」
トーンの低い声で、クローはそう言った。
景色が固定されるのは、向こう側から干渉されたときだけ。私がドアを離さず覗いていたときのように。
時折、向こうの世界のものが誘われたように迷い込んでくることもある。私のように……。
「人は初めてだけど、獣が飛び込んできたことは何度かある。この世界にはいない俊敏な奴とか、鳥とか」
そうなんだ。
私が来たときは、知り合いと間違えたって言ってたと思うけど。
でもなんかもういいや。疲れたし、何も考えたくない。
クローにしがみついたまま、顔を目の前の身体に擦りつけるように埋めた。
背中をポンポンと叩いてくれる手が気持ちいい。
私は多分、恐らく、そのまま眠ってしまった。
「きっと疲れがたまってたんだね」
「だって君、ここへ来た時から驚くほど冷静だったし」
「感覚が麻痺してたのかな?」
「……で、そろそろ声、聞かせてくれないの? さっき喋ってたよね?」
……。
「ご、ごめんなさいっ! 私ってば、何か色々ご迷惑をっ!」
目が覚めて数分後、私はベッドの上で正座してガバリと身を伏せていた。
そうなんだ。私はこの世界に来てから、ただの一言も喋っていなかった。
最初に名前を訊かれて躊躇ったときから、まるで私の口は言葉を発するという機能を失くしたかのようにはりつき、いつの間にかそれが当たり前のようになってしまっていた。
クローがなんでも先まわりして言ってくれて、やってくれるもんだからなんの不自由も感じなかった。
いや、人のせいにする気はないけどね。
「迷惑なんて今更」
はい、ごもっともです。
「でも、なにもかも僕が悪かったんだ。あのとき僕が人違いしなければ、君はこちらに来ていなかったんだから、……謝るのが遅くなってごめん。そして申し訳なかった」
ベッドの脇に立ち、神妙な顔で頭を下げるクロー。
「ちょっと待って! クローのせいだなんて全く思ってない。あのとき私はもう自分で、半分こっちの世界に踏み込んでたんだと思う」
そうだよ。あのとき私はドアを閉めることができなかったんだから。
それに彼はきっと、私が落ち着くまでその話を持ち出すのを待ってくれていた。
素直にそう思えた。
「……クロー」
突然彼が呟いた。温度の低い声で。
しまった。脳内でずっと呼び捨ててたからつい出てしまった。
「あ、ごめんなさいっ! クローさん。……それとも『お師匠さま』?」
慌てて言い直す私をマジマジと見つめ、彼は不意にうつ向きクツクツと笑いだした。
レアだ。
今までちょっと口角が上がるくらいは何度か見たけど、こんなにはっきり笑ってるのは見たことない。
唖然とする私に、彼はまだ口許を綻ばせたまま「クロー、でいい」と言った。
「ずっとそう呼ばれてたなら、それも今更でしょ」
バレてるよ。
いたたまれなさに目を逸らす私を覗き込み、彼は「それで……?」と言った。
何を訊かれてるのかはすぐにわかった。
「エミカ。工藤笑佳」
もうためらう必要なんかなかった。この世界でクローを信じられないなら、ほかに信じられるものなんてない。
「エミカ……」
私が告げた名を、クローは口の中で何度か呟き、満足そうにまた微笑んだ。
魔法の修行は一段階上がった。
今までどこに隠れていたのか、魔力というものがわかるようになったから。
クローは前に、どこかで詰まってるって言ってたけれど、言葉を話すようになったためか、それともこの世界に来て初めて涙を流して大泣きしたせいか、私の身体を巡るなにかを感じとれるようになった。
以前クローの指先と私の指先をくっつけたときほどではないけれど、腕を意識すれば腕に、指先を意識すれば指先に、熱のような痺れのような何かを感じる。
「そのうちにそれが当たり前になって、却って気にならなくなる」
ささやかではあるが、未知の感覚に慣れず戸惑う私に、クローが言った。
「そんなもの?」
「ずっと魔力を意識し続けてたら疲れるでしょ」
ああ、確かに。
修行を始めた最初の一カ月を思い出して、ため息が出た。
今私がやっているのは、身体中に均等に散らばる魔力を一カ所に集中させる訓練。椅子の上で正座し、右手人差し指の先に意識を集中する。
やってることは今までと一緒だけど、魔力を感じられるようになってからは結果が見えるようになり、張り合いが出てきた。
けれど魔力はなかなか私の思いどおりには動かない。
私とクローは相変わらずだった。
私が名前を告げたあの日。
そしてもう向こうの世界には帰れない、と諦めざるを得なくなったあの日、私たちの距離は少し縮んだように思えた。
だけど彼はやっぱり私を名前では呼ばないし、あれきりあんな笑顔を見せることもない。
あの日のアレは幻だったのか? と思わせるほど、淡々と日は過ぎていく。
「ねえ、クローはいつからここに住んでるの?」
クローはチラリとこっちを見て片眉をあげた。
これは多分、なんでそんなことを訊く? って言ってる。
「や、あの……森のこととか詳しいし、ここでの生活も手慣れた感じだし、もう長いのかなー、と思ってさ」
「……まあ、物心ついたときにはここにいたから」
「じゃあね、クローは何歳なの? あ、因みに私は二十六歳だけど」
「……二十三歳」
──年下かよ。外人の年齢ってわかんないわ。
「えーっと、じゃあさ! クローの……」
コツリ、と彼が素材の石を傍らによけた。
「……君は話すようになった途端、随分うるさくなったね」
「スミマセン」
「しかも聞いてくるのは、僕のことばかりだ。他に気になることはないの?」
いっぱいあるけど、己の欲求に忠実に、気になってることから順に尋ねたらこうなりました。
ここは何て国なの?
王様はいるの? それとも選挙があったりする?
この国に海はあるの? 海の向こうには違う国があるのかな?
これは何ていう花? この実は食べられる?
この水はどこからくるの? この水はどこへいくの?
この森はどこまで続くの?
私をいつまでここに置いてくれる? って質問は、とうとう口に出せなかった。
私の魔力はどうにか指先に集まるようになった。意識を凝らすとそこからポッと火がでる。
ライター程度のものだけど、初めて魔法らしい魔法が使えた。
嬉しくて浮かれて、何度も何度も何度も繰り返してるうちに眩暈がして、壁にもたれたままズルズルと座り込んだ。
ガタンと椅子を倒す勢いでクローが立ち上がり、大股で近づいてくる。
その姿が霞んだように見えにくい。寒くて手足が氷になったような気がする。
もう目を開けてられなくて、ブルブル震えながら縮こまってると、暖かいものにくるまれた感触がした。
ほうっ、と息を吐いてゆっくりと手足の筋肉を弛緩させる。
「ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐いて……」
低いクローの声に合わせるように、深呼吸。
あったかい魔力が、呼吸に乗って身体を廻る。
私のじゃない。これはクローの魔力だ。
「ごめん、気をつけてなきゃいけなかったのに」
気づいたらベッドに横たえられていた。
「ううん、クローは悪くない。私が調子に乗ってたから」
「それでもっ! ……これは僕の責任だよ」
そう呟くクローの顔は紙よりも白かった。
どうやら私は魔力切れを起こしたらしい。
あのままだと魔力が枯渇し、酷い時は死に至る場合もあると聞いたのは、翌日元気になってからだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。