魔法使いの嫁<9>
その日も私はヒマ潰しに魔石を作りながら店番をしていた。そう、まさしく店番だった。例によってクラウスはいないのである。
そこへ開けっぱなしの店のドアをくぐり、おそるおそる入ってきたのは普通の奥さんといった風情で、私に気づいたその人はホッとしたように笑った。
「あの、ここで『あらむ』というものが手に入ると聞いたのですが」
「は? 『あらむ』……ですか?」
『あらむ』ってアレ、だよね。洗濯箱につける……。
私の反応にまた不安そうになったその人に、慌てて笑顔を向ける。
「『あらむ』って洗濯が終わったらピーピー鳴るアレ、ですよね?」
「そうそう! それですっ! お友だちのところで見てすごく欲しくなってしまって、ここを教えてもらったんです。お幾らですか? 分けてもらえますか?」
さて、どうしたものか。得意客数人に配ると聞いたあとは全くノータッチだ。あれからどうなってるんだろう。それにこの奥さん、どうやらクラウスの客ではないらしい。その扱いもよくわからない。
「すみません。『あらむ』はこの店の商品ですが、只今店主が留守しておりまして解る者がおりません。店主が戻りましたら確認しておきますので、連絡先をお願いできますか?」
とノートに名前と住所を記入してもらった。
落ち着いて対応したつもりだったけど、急な出来事に実は相当パニクっていたらしい。奥さんが帰ったあとに、「しまった! 『小型家電』を売りつけるチャンスだったのにっ!」と悔しい思いをしたのだった。
けれど、その奥さんは手始めに過ぎなかった。
そのあとクラウスが戻ってくるまでの数十分の間に、三人もの奥さんが『あらむ』を求めてやって来たのである。
『あらむ』を求める客は日に日に増え、四日目にはとうとうノートの半分が連絡先で埋まった。
それでクラウスもようやく腰をあげ、『あらむ』を量産する事になった。
そうと決まれば彼が動くのは早い。材料はありふれた物ばかりだし、構造もシンプル。一番問題なのが私の魔石だったけど、それも『小型家電』の交換用に一万個も作ったから余裕がある。
クラウスの店には、二週間もしないうちにまとまった数の『あらむ』が運び込まれた。
そしてノートに連絡先を書いてくれた奥さんたちが殺到したのを皮切りに、噂を聞いた人たちも次々とやってくるようになった。
『あらむ』は、新しい洗濯箱には既に内蔵されているため、買い換えを考えている客にはそちらを勧め、そうでない客には『あらむ』として単品で販売した。他の工房の洗濯箱を使っている人にも同じように販売したので、クラウスの店には未だかつてなかったであろう程の大勢の客が、連日のように押し寄せて来ていた。
また、『小型家電』も売れに売れていた。
価格を全て三十ペル均一にしたのが注目されたのか、「魔石もセットで本当にこの値段なの!?」と何度も訊かれた。
お客さまの「どうやって使うの?」という声にお応えして、一日二回の実演タイムも設け、そのたびに飛ぶように売れていった。
『あらむ』を買いに来るのは、ほとんどが奥さんたちである。
彼女たちは実演中、まず『どらいあ』に目を奪われ、ハンカチのシワが簡単に伸びてパリッとする『あいろん』に歓喜し、『みくさ』で作った生ジュースに驚愕した。『らいと』は純粋に『便利そう』と買われていった。
店先に積んでいた在庫はあっという間に少なくなり、それを見た奥さんたちが『早く買わなくては!』と焦り出したため、慌てて倉庫から在庫を運んでくる一幕もあった。力仕事はもちろんクラウス担当だ。
数日もすれば『あらむ』ではなく『小型家電』を求めてやって来る客の方が多くなり、クラウスが用意していたそれぞれの商品各五百個は発売から一カ月、売れ始めてからはわずか十日かそこらで見事に完売したのだった。
全ての商品が売り切れたその日、アミーさんは躍り上がって喜んでくれた。
「絶対こうなると思ったわ! だってどの魔道具も安くてすごく便利なんだもの。これを知ったら欲しくなって当たり前よね」
「それに、みんなの前で実際に使ってみせるってのもいいアイデアだったんじゃないか? 分かりやすいし、それを見て人が買ってるのを見ると、自分も買わなきゃって気になるからな」と、これはクラウス。
お気楽に言ってくださるけど、実演販売には才能が必要なんですよー。喋りながら手も動かさなきゃいけないんですよー。
昔テレビのバラエティ番組かなにかでやっているのを何度か見たことがあったけど、簡単そうに見えたのに、自分でやってみると全然そんなことはなかった。喋るのに必死になると手元がお留守になるし、手元に集中すると無言になったり同じ言葉ばかりを繰り返したりしてしまう。
『あいろん』の実演中にお客さんから質問が飛んできて、そっちに気を取られてたらハンカチを焦がしちゃったこともあったしさ。さすがに動揺して頭が真っ白になった時にクラウスが、「簡単便利ですが、よそ見をしているとこのようになりますからご注意ください」と笑いを取ってくれて、あの時は本当に助かったんだ。
さあこれでようやく終わった、とため息をつきつつ伸びをしていると、アミーさんが「一カ月間お疲れさまでした」と労ってくれた。
「毎日通って大変だったでしょ? 一段落ついてクローさんもホッとするわね」
その優しい言葉に、「毎日っていっても午前中だけだったし、週に一度は休んでたもの」と、笑って返す。
それに最近のクローはなにやら新たな楽しみを見出したらしく、今はその趣味? に夢中になりつつある。私からするとちょっと微妙な趣味なんだけど、近頃元気がないクローの気がそれで晴れるなら、と黙認してる状態なのだ。
でもまあ販促活動も終了したし、これでクローも落ちつくかもしれない、と思い気を取り直していると、「通いはなくなるけど、今それぞれの追加を急ピッチで作ってるし、交換用の魔石もこれからどんどん必要になるだろうから、エミカさんが忙しいのに変わりはなさそうだけどね」とアミーさんが続けて、思わず遠い目になった。
うん。交換用の魔石は一万個もあったはずなのに、追加を作ることになった『小型家電』と『あらむ』に流用しているせいで、かなり目減りしていってるんだ。
『あらむ』に使う魔石が一つでよかった。そして店番してた時にヒマ潰しに魔石を作ってて本当によかったよ。
早ければ来月にも、交換用の魔石を買いに来る人がいるかもしれないから、本気でせっせと作っていかねばならない。因みに交換用の魔石の価格は、当初一セット五個入りで三ペル二十五デシペルの計算だったんだけど、クラウスにとある問題点を指摘され相談した結果、一セット六ペルとすることになっている。
そして、あれほど「来ないでね」とお願いしていたにもかかわらず、実はクローもこっそり見に来ていたらしい。
その日、お昼をかなり過ぎてから帰った私は、玄関先で出迎えてくれたクローにいきなり抱き上げられた。
「え? わっ! ちょっと!?」と慌ててしがみつく私の頬に頬を擦りよせ、触れるだけのキスが何度も落ちてくる。
「ん、ん…、クロー、どしたの?」
唇が離れた瞬間にようやく呼びかけると、彼は決まり悪げにそっと私を下ろした。
「完売おめでとう、って言いたかったんだ」
「あ、ありがとっ! でもなんで知ってるの?」
ここしばらく毎日のように、残り六百五十個だ、残り三百八十個だ、と報告し続けていたから、そろそろだっていうのは分かるだろうけど。
するとクローはスッと目を逸らした。
「もしかして、様子……見に来てた?」
私の言葉にクローはそっぽを向く。
「たまたま! 用事で通りかかっただけ! でもエミカに来るなって言われてたから、店には寄らなかった」
「……へぇ、そうなの?」
いや、もうなんか明らかに嘘臭いんだけど、少し拗ねた風情のクローが可愛く見えてしまって、もうこれ以上は私には無理だった。
「来るなとか言っちゃってごめんねっ! 売り子してるとこ、クローに見られるのが恥ずかしかったんだ」
そう言ってクローの服にしがみつき鎖骨の辺りに頭をグリグリ押しつけると、大きな手が背中に回された。
「どうして? ニコニコしててクルクル動いててすごく可愛かったのに」
ガッツリ見てんじゃん……。そして真面目な声でそんなこと言うな。顔、あげられなくなったじゃないか。
クローは俯いたままの私を抱き締め、後頭部を手で押さえた。
これもいつものアレ、だ。私に顔を見られたくない時の彼の仕草。私の動きを封じたクローは、ためらいながら言った。
「……もう、これでクラウスの店に行かなくてもよくなった?」
ここしばらく、クローの様子が少しばかり変だとは思っていた。
『小型家電』を発売してから最初の一週間ほどは、「今日は売れなかった」とか「二個売れたよ」みたいな報告が続き、そのたびに心配し励ましてくれるクローに、客が寄りつかないクラウスの店の問題点を訴えたり、店の前の道路にシートをひいて叩き売りしようか、と冗談を言ったりしていた。
その頃のクローは少し元気がないように見えて、でも私が声をかけても「大丈夫」って微笑うだけ。何かあるのかな、とずっと気になってた。
やがて『あらむ』の問い合わせがくるようになってから、彼のその様子は一層顕著になる。
クローが夜中に魘されてたのも、その頃だ。
引越す前の田舎町の家でも一度あって、これが二度目だった。慌てて飛び起きて揺り起こしたら、虚ろな目からポロポロ涙をこぼしながらしがみついてきた。
──私には幼稚園の頃に夜泣きをした記憶がある。
父が帰ってこなくなってしばらくしてからのことで、当時の私は父が亡くなったことをまだちゃんと理解出来ていなかった。
ただ夜中になるとわけも分からず無性に悲しくなる。昼間は友だちと遊び回って笑っているのに、真夜中になると目を覚ましては涙を流す。隣にお母さんがいるのに、世界中に私一人しかいないような謎の孤独感にさいなまされ、すすり泣く夜が時折訪れた。
そんなときいつだってお母さんは身体を起こし、泣き続ける私を抱っこしてくれた。お母さんのほうが辛くて疲れていて泣きたかっただろうに、「大丈夫よ。ずっと一緒にいるからね」と囁き、私が泣きつかれて眠るまで揺すってくれていたんだ。
クローのその状態を子供の夜泣きと一緒にする気はないけれど、私に思いついたのはあの時のお母さんのように彼を抱きしめ、「決して置いていかない。独りになんてしないから。ずっと一緒にいるから大丈夫だよ」と囁くことくらいだった。
一度目の時も今回も、泣きながらコトリと眠ったクローが翌朝それを覚えていたかはわからない。でも彼が何も言わないから私も何も言わない。
ただ考えるのは、クローがこういう夜を過ごすのはいつからなんだろうってこと。この短期間に二度もあったなら、その前からずっと続いているのかもしれない。
もしもこんなのが、この六年間頻繁に起こっていたのだとしたら。
それとも、もっと前──。
お兄さんがいなくなった、或いはおじいさんが亡くなったというその頃からあったのだとしたら。
できることならその頃のクローも、「ずっと一緒にいるからね」と抱きしめてあげたかったと思う。
やがて『あらむ』の問い合わせに来たお客さんに『小型家電』が売れ始めると、私からクローへの報告は「今日はこんなに売れたよ」というものに変わっていき、比例して帰宅時間も少しずつ遅くなった。
『みくさ』を一人で五台も買っていく奥さんがいて目を丸くしたら、市場で果物屋をしているというその奥さんは、『熟してしまった果物でジュースを作って店頭で販売しようと思うの』と内緒話のように教えてくれた。元の世界にもそういうお店、あったもんな。
そんな話をするたびにクローは喜んでくれるんだけど、時々フッと目から光がなくなる瞬間があった。食事を取りながらぼんやり手が止まってしまったり、物憂い表情でため息をついていたり……。
一週間ほど前には、真夜中に起こされたこともあった。
「……ミカ、エミカ。起きられる?」
そっと私を揺り起こすクローに、寝ぼけたまま返事した。
「……どしたの? もう朝?」
「まだだけど、眠い?」
眠いか、と言われれば正直眠い。その頃にはもう『小型家電』は売れに売れていて、慣れない接客に実演販売もどき。ある程度のところで並ぶ人数を制限するものの、昼までに捌ききれず帰宅が遅れることもしばしばだった。気疲れからか、夜寝る頃にはいつもヘロヘロだ。
「うん、まだ眠い。でも何? 何かあった?」
クローはつまらない用事で、ようやく眠った私を起こしたりしない。
だから目を擦りながら起きようとしたんだけど、その肩を彼は押さえた。
「ごめん、やっぱりいい」
どうしたんだろうと思いつつ、そう言われてしまえば眠気に勝てなくなった。
「そう? ごめんね」と言いながらまた寝てしまい、翌朝クローに何だったのか訊いてみたけど、「ちょっと目が覚めてしまっただけ、気にしないで」としか言ってくれない。
魔石作りで疲れてる? それとも他に何か原因があるの? って訊いても、「何でもないよ、大丈夫」って微笑って頭を撫でられるばかりで。
落ち着いたらちゃんと話さなくては、とずっと思っていたそれらが、今のクローの一言で解った気がした。
「うん。初回の商品は全部売り切ったし、あとの追加分と交換用の魔石はクラウスの店で扱ってもらうことになったの。だからもう作った魔石を届ける時くらいしか行かないよ。その時はクローが一緒に運んでくれるでしょ?」
クローの服に頬を押しつけた不自由な体勢のままそう言ったけど、彼からの返事はない。
まだ何かありそうだ。
もうこの際全部言っちゃいなよ、とばかりに私が「クロー?」と声をかけると、彼は小さくため息をついた。
「……クラウスから何か言われてない?」
「何かって?」
キョトンとする私に、彼は言った。
「……起業しないか……とか、でなければ店を手伝え……とか」
「ええっ! どうしてわかったのっ!?」
まさに今日。帰る直前に持ち出された話だ。
思わず叫ぶとクローの身体が強ばった。慌てて「断ったっ! どっちも断ったよっ!」と叫ぶと、ユルユルと力が抜けていった。
「……本当に?」
「嘘ついてどうするのよ」
苦笑すると、クローの身体から完全に力が抜ける。
「ちょっ! 大丈夫っ?」
私の身体に縋りついたままズルズルと座り込むクロー。引っ張られて彼の前に膝をつくと、胸元に彼の頭が押し当てられた。
艶やかな黒髪が鎖骨を擽る。指を絡め、落ち着くようにとしばらく頭を撫でていると、やがてクローはポツリポツリと話しだした。
「エミカの魔道具が売れるのは分かってた……。今までは価格面の問題で誰も考えなかったものだから、認知されるのに時間がかかるとは思ったけど」
「うん」
全然売れなかった時、クローはいつもそう言って慰め、励ましてくれた。あれ、本気で言ってくれてたんだな。
「でももう商売が成り立つことは分かったし、クラウスならきっと起業を勧めると思った」
「うん。憧れの女性オーナーにならないか、って言われたよ。今のまま増産し続けたら私の魔石の生産数が追いつかないかもしれないけど、改良してもっと少ない魔石で使えるようにすれば充分いけるって」
クローは身じろいだ。その頭をそっと抱いて、優しく撫でる。
「でも断ったんだってば。そしたら今度は店を手伝わないか、って言われたの」
午前中だけ、店番をしながら魔石を作っていればいいっていう話だ。給料もでるし悪い話じゃない。
「この一カ月のエミカの様子を見てて、使えるって判断されたんだね」
「そうかもね。でもそれも断ったって言ったでしょ?」
私の言葉に、クローは俯いたまま小さな声で返した。
「どうして? エミカは自分が好きなように使える自分のお金が欲しかったよね? いつも僕に余分なものをねだることもないし、生活費もギリギリしか使おうとしない。でも本当は、もっと欲しいものもしたいこともあるんでしょ?」
「……そんなふうに思ってたの?」
私は目を瞠った。「だから前に、クローの財産は私のものでもあるとか、私が財産を管理したらいいとか言ってたの?」
クローの腕に力がこもる。
あの頃からもうクローは、不安の種子を抱えてたんだ。
「あのさ、クロー。確かに私は自分で稼いだ自分のお金が欲しいよ。でもね、それは私のものを買うためじゃないの。クローと出掛けて美味しいものを食べたり、クローに似合うものを選んだり、ちょっとしたプレゼントをしたりするのに使いたいの。いつも私ばかり買ってもらってるもの。私だってクローに色々買ってあげたいんだよ」
まだ私にしがみついて離れようとしないクローに、染みこむようにゆっくりと続ける。
「ほら、今してくれてるそのペンダントもね、私が魔石を作って稼いだお金で買ったプレゼントだったでしょ? もしあの時、それをクローにもらったお小遣いで買ってたとしたら、何か違うと思わない?」
この国で、結婚したとき妻が夫に贈るものだというこのペンダントは、女性側からのいわゆる逆プロポーズの場合を除き、本来男性が代金を負担するものらしい。
でも、今でこそ結婚の証につけてもらってるけど、私が最初にこれをクローに渡したときは純然たるプレゼントのつもりだった。そして当時ただの弟子だった私が、クローに贈るプレゼントをクローにもらったお金で買ってたとしたら、それって何かおかしいと思うんだよ。子供がお小遣いで親にプレゼントを買うんじゃないんだからさ。
もちろん今の私はもう嫁だから、クローのお金でクローにプレゼントを買ったっていいようなもんだけど、そこは私の性格だと納得してもらうしかない。
「……僕の、ため?」
胸元に顔を埋めたまま、クローは小さく問う。
「そうだよ。そのペンダントを渡した時みたいに、クローに笑って欲しくて……。でもそのせいでこんなに寂しがらせてたんじゃ本末転倒だよね」
そう言ったら彼はようやく顔をあげた。
「別に寂しがってたわけじゃ……」
強がってるけど、その眉は下がっていた。
次で完結です。




