魔法使いの嫁<4>
サザナンに越してきてからの私たちは、概ね以前と同じ生活を送っている。
午前中は森へ入り、昼からはナフタリアに魔力を注ぐ。
違うことといえば、以前の森に入るのはナフタリアの採取が目的だったけど、今度の森ではそれを採取する準備が目的ってことだ。
バケツに容れた白い粉を少しずつ地面に撒きながら移動する。直接地面に撒かないといけないらしいので、下生えの所は撒いたあと棒で払い落としていく。
「この白いのは何?」
素手で掴んで撒きながらゆっくり歩くクローの後ろで、棒を振り回しながら訊くと、「劣化した魔石の粉」と返事が返ってきた。
「なんでそんなのを撒くの?」
「光虫は同じ場所に卵を産みに帰ってくる習性があるから、これを撒くことでメスの光虫が間違えてここに卵を産みに集まってくる」
「ふーん? それで蛹になって石化するの?」
「今はまだならない。普通に蛹になって羽化して飛んでいくだけ。それを何サイクルか繰り返していくうちに飽和状態になって、ある程度の数は成虫になるけど、溢れた分は蛹のまま土の中で石化するようになる」
「……謎の生態だね。そういえば、光虫の成虫って見たことないや。ホントに光るの? そのうち見れるかな?」
「光る。真夜中に起きられるなら、三カ月もすれば」
「一緒に見てくれる?」
「……一人で見るつもりだったの?」
振り向いて顔をしかめるクローに飛びつき、しがみついた。
「だってクロー、昨日からなんか変なんだもん!」
アラサーにもなって『だって、だもん』はねーだろと自分でも思うが、クローの前だとなぜかそうなってしまうのだ。
これはもう、如何に私がクローに甘やかされ、それに慣れきってしまったかの証拠でしかない。
そして問題はそんなことより、このクローの態度だった。
まるで弟子だった頃の初期を彷彿とさせる素っ気なさ。
そう。昨日私がクラウスの店に突撃訪問を果たしてから、クローの様子がおかしくなってしまったのである。
私たちが、ここサザナンへ引っ越してきて早二週間。
昨日私は心配するクローを説き伏せ、一人で街中のクラウスの店に向かった。
この家からはもう既に一度クローと一緒に行っているから、道も分かるし乗り合い馬車の乗り方もわかる。クラウスの店までは少し歩くけど、それを入れても一時間かからない。
そもそも私はもういい歳をした大人なのだ。そこまで度を越した心配をしてもらう必要もない。
そう主張する私を置き去りに、「どうしても一人で行くならこれを持っていって!」と用意されたのは、迷子札の如きプレートとクラウスの店の住所を書いたメモ。
そしてクローのお手製だという、怪しげなボール状の護身具とおぼしきなにかを幾つかと、お守りっぽいなにかを山ほど。
道に迷ったらこのメモを見せて道を訊けだの、案内してやると言われてもついていくなだの、幼稚園児かっ! てな注意をてんこ盛りいただいてどうにか一人での外出に成功。
もちろん無事に戻ってきた。
そして昼食を食べながら、クローを安心させるために道中のことからクラウスとのやり取りまで、面白可笑しく話して聞かせる。
だけど最初は興味深そうに聞いてくれてたクローはどんどん相槌が少なくなり、表情も陰り、しまいには明らかに拗ねた風情になった。
「どうしたの?」って訊いても「別に……」って素っ気なく返ってくるだけでわけがわからない。
しばらくそっとしとくか、と気まずい空気のまま午後の日課をこなし、会話はあるもののなんとなく気まずいままの夕食も終える。
こんな雰囲気で一緒のベッドじゃ寝にくいな。どうしようかな、と寝る時間になってもソファーでうだうだしていたら、「まだ起きてるの?」と本を片付けに行ったクローが戻って来て連行された。
でも機嫌が直ったわけでもないらしい。全く視線が合わないからだ。
いつもならベッドに入ったタイミングでキスが落ちてきて、クローの手が触れてくる。
朝起きたら、逃がすものかとばかりにクローの腕が身体に巻きついてて、胸に顔が埋まっている。
時々は後ろから抱きしめられてることもある。
そんなふうに過ごすのが、いつもの私たちの夜と朝だ。
だけど今日は、ベッドに入ってもいつものキスは来なかった。
視線を合わせないままギュッて抱きしめられ、でもその位置もいつもとは少し違う。
私の頭を胸に抱え込んでいるから、私は頬をクローの胸に押しつける形になっている。
つまり、普段と逆のパターンだ。
でも、これはこれで嬉しいかも、と思わず擦り寄ると彼の腕に少し力がこもった。痛いほどじゃなく、苦しくもなく、だけど逃れられないほどの強さで。
私の頭のてっぺんにクローがそっと、顎をスリスリしてる気配もする。
やっぱり怒ってるわけじゃないと思うんだ。
怒られる心当たりもないしさ。
ただなんとなくご機嫌斜めだな、って気がするだけ。
激しい夜は愛情を感じるから幸せ。でも、たまにはこうやってただくっついて寝るのも幸せ。あとは、明日になっていつものクローに戻ってたらいいなぁ。
そんなことを考えてるうちにいつの間にか眠ってしまい、だけど残念なことに、朝になっても彼の謎のご機嫌斜めは継続していたのだった。
さあ、理由を聞かせて? と私がしがみついたまま、クローの苦手とする必殺への字眉の上目遣いで見上げると、彼はたじろぎ、小さくため息をついた。
「?」
私が首を傾げるとクローは、私を引っつけたままバケツを下に置き、一瞬で両手に清浄をかける。白い粉にまみれていた手がたちまち綺麗になった。
何をするつもりかとキョトンとする私を、クローは綺麗になった両手でギュッと抱きしめ、そのうなじに顔を埋める。彼の、艶やかな漆黒の髪が私の頬を擽った。
最近気づいたのだけど、こんなふうにクローが顔を隠そうとするときは、どうやら私に顔を見られたくないときらしい。昨日の夜も、もしかしたらそうだったのかな。
そういう時に無理に顔を見ようとするととても嫌がるので、じっと大人しくしていると、クローはボソリと呟いた。
「そんなにクラウスと仲がいいなんて思わなかったから……」
はい?
「……誰とクラウスが仲がいいって?」
唖然とした私が問うと、クローは肩に額を押しつけたまま言った。
「一度会っただけだって言ってたのに、仲がよすぎる」
「……ごめん。いったいどこを指して仲がいい認定されてるのかさっぱりなんだけど。むしろアイツ私をバカにしてるよ?」
「ほら、アイツとかアンタとか……。クラウスも前からエミカのこと、お前って呼んでる。こないだ行った時も……」
それか──っ!
こうして私は、私有地であるとはいえ立ち入り禁止でも何でもない森のど真ん中で、クローが満足するまで彼のことがいかに好きか、どんなところが好きか、を延々語らされるという、羞恥心を煽りメンタルをガリガリと削られる事態に陥ったのであった。
この恨みはいつかきっちりクラウスに、熨斗つけて返してやる。この世界に熨斗があるかどうかは知らんけどな。
そしてクローがもしいつか何かやらかした時は、必ずやこれと同じ目に合わせてやるのだ。
もちろんそれは、私にとっては最上級のご褒美でしかない。
かくして(主にメンタルが)ヨロヨロになった私は、必死に無表情を装いながらも口元がそれを裏切っているご機嫌なクローに手を引かれ、未来のご褒美を妄想しながら家路についたのである。
さて、まだ慣れない森の中を、目印をたどり家へ帰りついた頃には、そろそろ昼食を作り始めようかって時刻になっていた。そのままキッチンへ向かおうとクローを振り返り、「お昼は何が食べたい?」って訊くと腕を引かれ、羽のような優しいキスが何度も落ちてくる。
ギュッとしがみつくと、クローは吐息がかかる距離で囁いた。
「エミカ……」
何か伝えたいんだ、と思った。そのための呼びかけだと。
夜は意味もなく名前を呼ばれることも多い。私も呼ぶし、なんだか口から勝手に零れ落ちてくる感じ。だけど今は昼間だ。たとえこんな蕩けるように名を呼ばれたとしても。
「うん、何がいい?」
てっきりお昼ご飯のリクエストだと思ってそう聞くと、クローは私の髪を指で優しく梳きながら、また「エミカ」と言った。
そして、耳を擽るような甘い声でもう一度、「エミカを食べたい」と。
「……え、──ええっ!? 今お昼だよ?」
クローが言わんとすることがやっと分かった。でも、今は真昼間だ。
私が目を丸くして叫ぶと、クローは首を傾げた。
「我慢できないくらい、お腹すいてる?」
「いや、別にそんなこともないけど……、でもまだお昼なのに?」
窓に目をやれば、カーテン越しでもお日様が降り注ぎ、室内は灯りなんていらないくらいに明るい。
「お昼はダメなんて誰が決めたの?」
「誰が? えっ? 誰も決めてない……のかな? あれ?」
うーん、別にそんな法律はないよね? でもなんだかそういうのって、暗くなってからするイメージじゃない?
どうしよう──、って困ってるとクローは私の耳元に顔を近づけ囁いた。
「煽ったエミカが悪いよ。責任とって?」
流れるような動作で背中と膝裏に腕が回り、抱えられる。
「大丈夫。部屋は暗くするから」
言葉とほとんど同時に寝室からガタガタバタンと音が聞こえてきた。あれは雨戸が閉まった音だ。
「あお……煽ったってなに?」
慌てて問うと、クローは目を細めた。
私を抱えたまま、寝室に向かって歩きながら嬉しそうに言う。
「僕のキスが好きだって、──気持ちいいって言ったよね。触れるだけの優しいキスも好き。髪を撫でてもらうのが好き。宝物みたいに扱ってもらえるのが嬉しくて、でも激しいのも愛されてるって感じるから好……」
ぎゃああああ──っ!
何言ってんのぉぉ昼間っからっ! つか、言ったのは私だっ!
さっき森の中で、最後のほうはやけくそになってそんなことも口走った気がする。
動転して両手のひらを重ね、全力でクローの口に押し当てると、一瞬目を見開いた彼は私の手のひらの向こうでクスッと笑い、──舐めた。
びっくりして反射で手を引くと、トサリとベッドに下ろされ、いつの間に寝室へ!? とまた目を剥く。
でも──、
「本当に可愛いよ、エミカ。好き。全部好き」
ちゅっちゅっ……と音を立てキスする合間にそんな言葉が落ちてきて、そのうっとりした幸せそうな顔を見てたら、昼間だとかなんだとか、もうどうでもよくなってきた。
「私も好き」って言いながらしがみつくとギュッと抱きしめられ、見上げれば彼の漆黒の目にはギラギラと欲望が宿っている。
「昨日の分も、いいよね」
返事をする前に覆いかぶさってきたクローに唇を奪われ、私たちは時間も何もかも忘れた蜜のひと時を過ごしたのだった。
──お昼ご飯は結局、おやつと兼用になった。
それから二週間程過ぎたある日、私たちはまたクラウスの店を訪ねていた。
今度はクローも一緒だ。
例によってクラウスはクローだけをにこやかに出迎え、私については大変温度差のある視線で迎えてくれた。
でもまあそんなことはどうでもいい。
今日はクローの魔石を売りにきたのだ。そしてついでというわけではないが、私の作った魔石も。
丁寧に魔石を並べるクローの横で、私もちまちまと並べていく。
二週間前にも売りに来たところだから、私の分は少ないけどな。そして色々あって脱力した状態で作った魔石なので、とても頑固職人の技がどうとかいえる代物ではない。だから今回は黙って大人しく並べる。
自分でいうのもなんだが、前回の自信作も今回のも、見た目……そして恐らく品質も、たいして代わり映えしないのが辛いところだ。
そんな私に、クラウスがぞんざいに声をかけた。
「おい、この前の……作ってもらってやったぞ」
「へ?」
何の話だ、と振り向く私にクラウスは、掌サイズで厚み三センチ程の小さな魔道具を差し出した。
「何これ?」
「こないだお前が言ってたやつ。裏側に粘着材が付いてるから、洗濯箱の好きなとこに貼っとけ。中にお前の魔石が入ってて、貼り付けたら自動でスイッチが入るようになってる」
「洗濯箱? これアラーム?」
頼んだのはついこの前だ。しかもクラウスは乗り気じゃなかった。
怪訝な顔をすると、彼は眉間にシワを寄せる。
「お前が言ったんだろ? 終わったら音が鳴るようにしろって。洗濯箱の振動が停まって十秒動きがなければ、五秒間音が鳴る。使ってみて改良するとこがあったら言ってこい」
偉そうに言ったクラウスは、石を並べ終えたクローと場所を代わり、チェックを始めた。
クローは私の手の中を覗き、首を傾げる。
「これがこの前、エミカが言ってた音が鳴る魔道具?」
先日私が多大なるメンタルを犠牲にしたお陰か、クローはクラウスの『お前』発言を聞いても平常心を保っているようだった。
「そうそう。洗濯が終了したら、『終わったよー』って教えてくれたらいいのにな、ってずっと思っててね。でもこんなに早く作ってもらえるとは予想外だわ」
「エミカは面白い物ばかり思いつくね。確かに他の用事をしながらしょっちゅう見に行ってるけど」
「洗い終わったらすぐ干したいもの。うっかり忘れたらシワシワになるしさ」
ある意味ものぐさするための魔道具とも言えるけど、それは『言わぬが花』ってやつだ。
話しているとチェックと計算を終えたクラウスが戻ってきた。
「ほらクロー、今回百個で二万ペルな。お前は二十個で四ペル」
それぞれに渡された袋の中身の違いは歴然としている。クローのは恐らく百ペルコインが二百枚。私のは一ペルコインが四枚。枚数にしてもすごい差だけど、金額にすれば天と地ほども違うのだ。
比べてもしょうがないとは思いつつため息を隠せない。そんな私に追い討ちをかけるように、クラウスがクローに言った。
「ストックはあとどのくらいあるんだ?」
ストックっていうのは、魔石の原料にするナフタリアの在庫のことだ。
私たちは引っ越しを決めてから、しばらくナフタリアの採取が出来ないことを想定して、なるべく多くの石を集めストックしてきた。今はその石を使って魔石を作っている状態なのだ。もちろんストックには限りがある。クラウスはそれを訊いているのだった。
「あと二百と少しかな? けどもうそろそろ養殖ものを手配する」
クローの言葉に、クラウスは憐れみと嘲りを込めた視線で私を見た。
「……ということだ。お前のクズ石も当分見納めだな」
そう。
養殖もののナフタリアを購入するということは、材料費が発生するということなのだ。今までの私の魔石は売値=利益だったけど、これからはそこから材料費をさっぴかなくてはならない。
ところがだ。私の魔石買取価格が安すぎるがために、材料費を引くともう私の魔石には利益が残らないんである。いや、残らないどころか大赤字だ。
つまり作れば作るほど、手間がかかるだけで損をすることになってしまうのだった。
素材であるナフタリアよりも、私の魔力を注いだ魔石の方が安いとか、人をバカにした話だよ。
養殖ものを使ったことがないクローも、先日価格を調べて愕然としていた。いつも拾っていた材料がそんな値段だとは思わなかったらしい。それはもちろん、クローにとっては無料みたいな金額であり、彼は私のために驚き困ってくれたのである。
「残った天然のナフタリアは、全部エミカに譲っても別に構わない。彼女のペースならそれであと数カ月はいける」
クローの言葉にクラウスは嘆息する。
「相変わらず甘やかしてんなぁ」
全くその通りでございます、ハイ。
ともかくそんなわけで、私は早急に魔石の質を高め、小型魔道具の普及に努め、私の魔石の価値を高めて、材料費が出るくらい高価買い取りしてもらわなくてはいけないのだ。
以前見せてもらった試作品魔道具の改良は着々と進んでいるらしい。
先日届けられたという改良版を見せてもらうと、確かに最初のとは形も性能も随分違っている。懐中電灯は一方向だけを照らし、ドライヤーは温風と涼風が選択できるようになっていた。
ミキサーやアイロンとおぼしき物も、前回は試さなかったけど、きっと使いやすくなってるんだろう。
本当にあとは私の魔石だけなのだ。
私が魔道具を手に取り睨んでいると、クラウスが近づいてきた。
「どうだ? かなり良くなってるだろう?」
そう言いながら、店の入り口近くに並べられた新製品の魔道具を眺めているクローを気にしつつ、小声で囁いた。
(なあ、あいつなんだかやたらお前の話を振ってきては、勝ち誇った目で俺を見るんだけどアレ何なんだ?)
(……砂、吐きたくなかったら、聞かない方がいいよ)
私が森での出来事を思いだし、死んだ目でそう返すと、クラウスは悟りを開いたかのように頷き、黙ってクローの元へ戻っていった。
しまった。包み隠さず報告して砂を吐かせてやれば良かったか?
いや、でもそれじゃまたしても私のメンタルがダメージを……。
苦悩する私が何気なくクローのほうを見ると、同じタイミングで彼もフッとこっちを見た。
視線が合った途端クローは柔らかく微笑みかけてきて、それが嬉しくて堪らない私もつい同じように微笑み返してしまう。
もうどうでもいいや……って気分になり、私も二人のところに行くことにした。クローが満面の笑顔で迎えてくれたのは言うまでもない。
そしてクローの横では、私たちの様子をうっかり目にしてしまったクラウスが、またもや砂を吐きそうな顔をしていたのだった。
ここまで読んで頂いて、本当にありがとうございます!




