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お雪  作者: 小町 沙都子
6/6

其の六

 その夜は、家が揺れるほどの大吹雪でした。

 まるで、船の上にいるようだと己之吉は思い、ふと同じように感じたことがあるのを思い出しました。

 お雪は傍らで繕い物をしながら、目はどこかうつろで疲れ切っているようでした。

「こんな吹雪の夜に、今のお前を見ていると、思い出すことがある」

 己之吉は半分独り言のようにつぶやきました。

ふと見ると、お雪の瞳が生き返ったように輝いて、じっと自分を見つめているではありませんか。

「どんなことです?お話してくださいな」

 お雪がこんな風に熱心に自分の話に耳を傾けるなど、ここ何年もなかったことです。

己之吉は心が浮き立ちました。

 そして、すらすらとあの日の思い出が己之吉の口をついて出てきたのです。

「・・・その女は、まるでこの世の楽しみなんぞ何も知らんような、うつろな目をしておった。

それでいてえらく美しゅうてなあ。

今でも思い出すたびに、ああこのおなごを思い切り笑わせてやりたい、

安心させて、満足させてやりたい、そうしたらどんなに美しさが増すじゃろうか、そう思うんじゃ」

そう言ってふと顔を上げて、己之吉はあわてました。

お雪が自分をにらみながらはらはらと両目から涙を流しているではありませんか。

「おお、こりゃ、いらんことを言った。許してくれ。

お前以上の女はおらん。それはもう、じゅうぶんわかっとる。

あれはきっと、夢の話じゃ。どうか気を悪くせんで、な、な」

 顔を赤らめながらお雪の手を取る己之吉のその手を振り払って、お雪はすっくと立ちあがりました。

「お前さん、何てことを言ってくれるの。

私はもう、どこへも帰れない。ここにもいられない。

お前さんの命を取ることも、今さらできやしない。

いっそあの時、お前さんを殺しておくんだった。こんな風になるんだったら、いっそ・・・」

 ひょうと家の中を一陣の雪風が舞い、次の瞬間己之吉の目の前にあの時の真っ白な女が姿を現しました。

「お雪!お前か、お前があの時の・・・」

 そのとき、傍らで末っ子のややがむずかって泣き出しました。

己之吉が思わず抱き上げると、その白い女は凍てつくような鋭い光を瞳に宿して、己之吉をじっと見つめました。

「その子らがいるから、私はお前の命は取らない。

だけどもう、ここにはいられない。

私はずっとお前たちを見ているから。

子供らをしっかり一人前にしてやって。それだけは頼んだよ」

 そう言うなり、白い女の姿は消えました。お雪の姿ももうどこにもありませんでした。

 己之吉は立ち上がり、霧のように消えていった板戸の隙間を呆然と見つめていました。

「お雪が・・・」

 心の奥底でくすぶっていた不思議な女への欲望は、

すでに叶っていたのだとようやく己之吉は気付きました。

 お雪はあんなに笑っていたじゃないか。

お雪は自分のもとで、子を産み育て、いつも自分を頼り、

自分のそばで安心して暮らしていたじゃないか。

(なのに、なんで行っちまうことがある。このままずっと一緒に暮らして、何がいかんのじゃ)

 そう思う己之吉にも、うっすらと分かっていました。

 あの女がお雪なら、お雪はこの世のものではない。

 この世のものでないものを、この世につなぎ留めておくことは、誰にもできない・・・。


 お雪は吹雪の中を風に乗って漂っていました。

 ああ、己之吉。なんであんなことを言うの。

 ずっと、私を笑わせたかったって?安心させて、満足させてやりたかったって?

 私がどんなにお前と一緒で幸せだったか。

 お雪は激しくわが身を呪いました。

 あのまま、何も思い出さずにおけば、もしかしたらあの暮らしを続けられたかもしれない。

自分がどこの何者かなんて考えず、日々の暮らしに疑いなんか持たずに。

 あの凍てついた星で永遠の時を倦んだように、私はいつの間にかここでの暮らしに倦んでいた。

ここでないどこかへ行きたがっていた。

 どうしてこの暮らしに満足できなかっただろう。何一つ、不足はなかったのに。

 失ってみて初めて、お雪は自分がどれほど尊いものを手に入れていたか気付いたのでした。

(ほんの少し、現実に飽いただけだったのに・・・)

 今更、あの凍てついた星に帰る気は、お雪にはありませんでした。


 泣いて泣いて、お雪の体はいつしか透き通った風になっていました。

 いいえ、わずかに水を含んだ霧になっていたのです。

 お雪は冬の間ずっと雪になって己之吉と子供たちの上に降り注ぎ、

やがて春が来ると溶けて川を流れ、海に出ては雲になり、

風に乗って雨になり、大地に降り注ぎました。

 時が過ぎ、土にかえった己之吉の野辺の墓の上に露となって寄り添い、

子や孫たちの耕した畑や手入れした森に雨となって降り注ぎました。


 やがてさらに多くの時が経ち、己之吉の子孫たちは方々に散らばりましたが、

不思議なことに彼らが水や雪に苦しめられることは決してありませんでした。


 お雪の魂が遠い凍てついた星のどこかで

今でもこの世界を夢見ているかどうかは、定かではありません。


<終> 

 


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