其の五
冬は厳しさを増し、とうとう己之吉の木こり仕事も春まで休まなければならなくなりました。
己之吉は炭焼きの仕事を手伝い、家で縄をない、
里の力仕事を手伝い、久しぶりに子供らの面倒を見ました。
それは、己之吉にとって安らぎの時間でもありました。
お雪は相変わらずよく働き、子供たちの面倒を見、己之吉の世話をしました。
ずいぶん前に亡くなった己之吉の母親は、
金の草鞋を履いたわけでもないのによくこんないい嫁が来たねえ、とお雪をほめたたえていましたっけ。
己之吉は初めてお雪を見た時から、ほかの女には全く目がいかなくなっていましたし、
それまでにもお雪ほどの女に出会ったことはありませんでした。
いえ、そう思っていました。
それが、この頃しきりに思い浮かぶ顔があるのです。
それはたいてい、お雪が物思いに沈んでいる姿を見たときでした。
いつかどこかで、こんな女を見たことがある。
深い憂いに包まれた、生きる望みを失ったような、それでいて気高く美しい女・・・。
子供たちをあやして笑っているときのお雪は、己之吉の慣れ親しんだいつものお雪で、
己之吉の心を和ませ、生きる糧となり、すっかり安心していられるのですが、
時折見せるお雪の思いつめたような表情は、己之吉を不安にさせました。
この暮らしが、消えてしまうのではないか。
そんな予感めいた思いが、時々己之吉の胸を刺し貫きました。
そんなことが、あるはずはないのです。
このまま、子供たちが大きくなり、いずれは嫁や奉公に行って独り立ちし、
冬吉は残って木こりの仕事を継ぎ、やがて働き者の気立ての良い娘と所帯を持って、
自分とお雪は隠居して孫の世話をしながらのんびり暮らし、天寿を全うする。
そんな当たり前の暮らしが、どうして望めないはずがありましょう。
(俺もちっと、老いぼれたのかもしれんな。
まだまだ小さいややもおるのだし、こんな気弱なことではいかん、いかん)
己之吉は自分にそう言い聞かせて、悪い想いを打ち消しました。
それでも心に残るのは、かすかな記憶の中の、妖艶な女の姿でした。
あの女を、振り向かせてみたい。
あの女を、笑わせてみたい。
あの女を手に入れたい・・・。
気が付くと、己之吉の胸にそんな欲望が渦巻いているのでした。
(俺は、お雪よりあの女に惹かれているのか)
そんなはずはない、と己之吉は頭を抱えました。
年が明けて、ますます寒さは厳しくなり、
単調な冬の生活の中でお雪と己之吉は少しずつかわす言葉も減りました。
お雪は、なぜかもう己之吉と肌を交わすことはなくなっていました。
確かに十人も子がいれば、己之吉にしてもこれ以上は養うのも難しいでしょう。
一番下の子は、乳離れし始めていました。
見た目は若々しくても、お雪もこれ以上の出産は体に響くに違いありません。
その分、己之吉の頭の中で、かすかな記憶の中のあの不思議な女の姿がお雪とだぶって、
己之吉はもやもやした思いが募るのを持て余していました。
お雪が、いっそ年相応に老け込んでくれたらよかったのに、とも思いました。
近所のおかみさんたちと同じように、肌もくすみ、しわも増え、口うるさくなり、
大きな口を開けて大声で笑う、そんな気安い女房になってくれていたら、
己之吉も安心して今の暮らしが続くことを信じて疑わなかったに違いありません。
けれども、お雪の変わらぬ若々しさと初々しさは、
一度気になりだすとことあるごとに己之吉を不安にさせました。
お雪は時折、黙ってじっと自分を見つめていることがありました。
己之吉が気付いて話しかけると、お雪は何故か目をそらしてかぶりを振って黙り込んでしまうのでした。
「何か、気にかかることがあるんなら言ってみろ。
子供らのことか、村の衆のことか。気に病むのは体に悪い。
お前、この頃顔色がちいっと悪いようじゃぞ」
そう己之吉が水を向けても、お雪は何故か寂しそうにほんのり笑うばかりでした。




