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お雪  作者: 小町 沙都子
4/6

其の四

 吹雪の夜。大きな岩が瞬く間に小高い丘に姿を変えるほど、川面は雪に埋め尽くされていきます。

 小さな小屋の隙間からのぞくと、息をのむほど切なく美しい若者が目を閉じて横たわっています。

 お雪が小屋の戸に手をかけると、不思議と扉がすっと音もなく開きました。

 そっと若者に歩み寄ったお雪の足元に、別の誰かが横たわっていました。

 その姿を見て、お雪はぞっとしました。

 髪は抜け落ち、やせ衰え、白い歯は一本もなく、肌はかさかさでひび割れています。

 何という違いだろう。

 お雪は身震いしました。

 こんなおぞましい姿でいながら、この二人は同じものなのか。

 こんな姿になってまで、なぜこちらの男は生きているのだろう。

 息も浅く、辛そうだ。やがてその鼓動も止まるだろう。

 お雪は年老いた男に冷たい息を吹きかけました。

 永遠の眠りを与えてやったのです。

 そして、傍らの若者に目をやりました。

 こちらも、この男のように醜くなる前に、美しいままで・・・。

 けれどもお雪には、若者の命を絶つことができませんでした。

 こんなに、美しく、みずみずしく輝いている命。

 お雪は今まで命というものを見たことがありませんでした。

 あの凍てついた星には、お雪のほかに誰もいませんでしたし、お雪自身も体というものを持っていませんでしたから、生きているとはほど遠い存在でした。

 見れば、若者の粗末な衣服に包まれた胸は、静かに規則正しく上下しています。

 しんとした音のない小屋の中には、かすかに若者の鼓動すら響くようでした。

(私にはできない、こんなに美しいものを動かなくするなんて)

 お雪がためらいながら見つめていると、若者がぱっちりと目を開きました。

 その黒々と澄んだ瞳には、まるで星のような輝きが宿っていました。


(己之吉!)

 お雪はがばっと跳ね起きました。

 どうして忘れていたんだろう。

 私はこんなところで、人として暮らしていたんじゃない。

 体も持たず、たった一人で孤独で、何のしがらみもなく、どこまでも自由だった。

 凍てついた星のどこまでも続く広い平原を、気ままにそぞろ歩いていた。

 そしてふと気になってやってきたこの世界。

 あの時の若者が、己之吉だ。私の夫だ。

 お雪の目の前の世界が不意に暗く色を失っていきました。

 あんなに焦がれたはずの世界は、ずっと変わりばえのしない、単調な生活の繰り返しでした。

 肉体に閉じ込められて自由が利かないばかりか、煩わしいことや、不公平なこと、理不尽で腹の立つこともいくらでもありました。

 お雪は、自分の手のひらを広げてみてみました。

 寒さに強いとはいえ、長年の苦労ですっかりひび割れ、節くれだっています。

 この世界には、不公平や不自由が満ち満ちている。

 ここで暮らして、お雪にはいやというほどそういうことが分かっていました。

 お雪の胸に、さあっと冷たい風が吹き込んできたようでした。


 それからというもの、お雪はあまり笑わなくなりました。

 お雪の胸には、この世界への言いようのない不満が満ち満ちていました。

 どんなに働いても、暮らしは変わらない。

 同じように裸で生まれてきても、どの家に生まれたかでその先の暮らしが決まってしまう。

 お雪の子は、きっと誰一人として、立派な屋敷に住むことも、目のくらむような美しい花嫁衣装を身にまとうこともないでしょう。

 そして、お雪にはまた気になることがありました。

 冬吉は、ついこの間まであんなに小さくて何もできない赤子だったのに、

今では身の丈は及ばないまでも、己之吉の片腕としてよく働く少年になっていました。

 時々垣間見える成熟した男の予感は、じきに彼が一人前の若者になることを約束していました。

 人はこんなにも早く成長し、年老いるのだ。

 お雪の胸に、暗い不安があふれました。

(私は、己之吉と一緒に老いることができない。

もしかしたら、子供たちさえ私より先に老いてしまうのかも・・・)

「母様、元気がないね。どうしたの?」

 森の木こりの仕事を終えて己之吉とともに家に戻ってきた冬吉が、

気づかわしげに夕餉の支度をしているお雪の顔を覗き込みました。

 お雪はたえきれず、嗚咽をこらえて両手で顔を覆いました。

 ここは、私の夢の中なのだ。ここで、私は老いることはない。

 お雪の中で、その考えは確信に変わっていきました。

 こんなにつらい心持ちで、この世界にいることは、もうできない。

 何とかしなければ。逃れなければ。

 お雪の焦燥は、日ごとに高まってゆきました。

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